境征参加 | ナノ



(見られた……!?)


顔を上げられない。彼の足が視界の上部に映っている。


(どどどどうしよう!)


名前の心臓が緊張でばくばくと脈打つ。まるで全力疾走しているような気分になってきた。

頭上から静かな、けれど心持ち苛立った声が降りかかる。


「……名字殿、少し、話がある」

(来たァァァァ!!)


もうだめだ。

彼女は手ぬぐいで顔を覆いながら突然立ち上がると、そのまま猛然と廊下を走り出した。

政宗の隣りを抜ける時彼の肩にぶつかったが、そのまま走り続ける。


「っオイ!」


突然のことで一瞬呆然とした政宗だが即座に我に返ると、走り出した名前の後を追った。


「Stop! 話があるだけだ!」


政宗の呼びかけに、しかし名前は答えない。


(佐助、幸村ー!!)


半泣きになりながら彼女は迷彩服と朱色の着流しを探した。

しかし後ろから段々近付いてくる足音。言い知れぬ焦燥感が背筋を伝う。


(あ、足速いよ伊達政宗!)


カーブを曲がるにつれ距離が縮まっていくのがわかった。このままではもうじき捕まってしまう。

この包帯のことと顔のことを、どう説明すれば良いのか。


(……殺されるな)


なんとなくそう思った。

それにあんなに心配してくれていたのに実は怪我なんてしてませんよー、なんて今更言えない。


(――ええい!)


彼女は突然、庭に面している廊下から飛び降りた。冷たい土の感触が火照った体に走る。

しかしそう悠長に感じてはいられない。名前は光の無い庭を走り出した。


「ッ何処走ってんだ……!」


後ろから追いついた政宗がそう言うのが聞こえた。しかし足音はもう聞こえてこない。


(ま、撒いたかな)


その後しばらく走ってからようやく立ち止まり、ゼハーゼハーと荒い息を繰り返す。
今日一日で二回も全力疾走してしまった。現代では体育くらいしか運動をしなかったのに。


(疲れた……)


へろ、と屈みこむ。地面は土だからお尻はつけられない。つけても良かったのだが、この後会う佐助になんて言われるか想像しただけでも気が滅入る。


(素足で庭を走った時点で怒られるのは決定済みだけどね……)


汗がこめかみから伝い落ちる。もう一回風呂に入らなければ、と思うと溜息が零れた。

その時。


「Hey,you」


後ろから響いた、低い声。

その声と言葉遣いは紛れもなく先程の追跡者のもの。

血の気が音を立てて下がったのが、自分でも分かった。

考え事で頭が一杯だったからなのか、彼女は足音を消してゆっくりと背後に迫っていた政宗の気配に気付かずにいたのだ。


「ただ話があるっつっただけなのに、何でそんなに逃げるんだよ、全く……」


政宗は不機嫌そうだ。

慌てた名前は彼に背を向けたまま立ち上がって走り出そうとした。が、すぐに手首を掴まれてしまう。


「!」

「だから、逃げなくてもいいだろ?」

「すみませんすみません嘘ついてすみませんだから殺さないで下さいすみません痛いのはいやです痛いのだけは」


もはや逃げるのは無理と思い、彼女は泣きそうになりながら必死に呪文のように謝罪の言葉を紡ぐ。

それに政宗は不可解な顔をした。


「……何謝ってんだ? 誰も逃げたくらいでアンタのことを殺さねぇよ」

「……へ?」


半泣きの彼女は思わず顔を上げた。
月の光に反射する強い瞳と目が合う。


「おま、やっぱり……夕方の……ドザエモンじゃねぇか!」

「あははは、そうですね……」

「さて、どういうことだ? Ah?」


口の端を引き攣らせる政宗に、彼女は泣きたくなった。




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