境征参加 | ナノ
それより少し前のこと。
女中に用意させた客間で、信玄は客二人のために茶を立てていた。
しゃかしゃかと茶をたてる音だけが響いている静かな空間で、口火を切ったのは政宗だった。
「ここまで来た理由を聞かねぇのか」
政宗の来訪は突然のことであった。
内密に。そのように書かれた書状が届いたのは三日前で、理由は「親睦のため」とあり、特に書いていなかった。
「親睦以外のお話しがおありか?」
「そうでなきゃ俺達二人で来たりはしないさ」
政宗は小十郎を一瞥して首を竦めた。
分かっているだろう、と言外に伝える政宗に信玄は溜め息を吐きたくなった。
そも何が二人だ。隠密に城の回りを伊達勢が囲んでいることを信玄は知っていた。この席で政宗に何かあれば城に火を放つ魂胆なのだろう。
「では、聞かせていただこう」
一拍置いて政宗は口を開く。
「織田攻めをしようと考えている」
「――」
水音がぴたりと止んだ。信玄は顔を上げた。
部屋の空気は更に緊張感を増す。
「奴らはちぃとやり過ぎだ」
いつもの乱暴な口調に戻った政宗は、暗い目で呟いた。
織田の乱行は今に始まったことではない。最初は小さな勢力だったものが、回りの国を潰し吸収していった結果、今に至る。
そして現在織田は、今川を破った。
今川は駿河、つまり今の静岡あたりの守護をしていた武将である。
それなりに強大な勢力を倒し、国力を得た織田は着々と北上してきていた。
「こうなっちゃ東にくるのも時間の問題だぜ」
政宗は信玄の方を見た。信玄も、静かな瞳で目を合わせる。
「そこで、協力をしてほしい」
信玄の傍らに居た幸村は驚きで身を乗り出した。
「伊達殿、つまりそれは」
「Ya。同盟、ということになる」
信玄は無言で茶を立てるのを再開した。
その頭の中では目まぐるしく計算をしていた。武田の未来。この同盟で得られる利潤と負担、危険性と展望。
どう返事をするべきか。答えは驚異的な頭の回転の末導き出された。
ことん、と政宗の前に器を置く。
「その申し出、喜んでお受けしよう」
息を呑んだのは幸村だけではなかった。
政宗もまた、隻眼を僅かに見開いた。
「……伊達殿の申し出がなければ、近々こちらから申し込むつもりであった」
「Wow。奇遇だな」
そういってにやりと笑みを交わす。
今は笑っているものの、政宗にとってこの誘いはいわば賭けであった。織田を潰すか組みするか。武田の方向性はこちらと同じだと自信はあったが、確実ではなかった。
織田からは遠い伊達。近すぎる武田。伊達は織田を倒すために仲間が必要で、武田は織田から身を守るために仲間がいる。
そうして、伊達と武田の相互扶助同盟が結ばれることと相成ったのであった。
その旨をしるす書状をしたためている途上、不意に政宗が尋ねた。
「……そういや、風の噂で客人を匿っているってのを聞いたんだが」
茶道の作法などおかまいなしに体勢を崩して茶を飲む政宗は、片目だけで笑ってみせた。
「何処の縁の者だろうか」
「……わしの旧友の娘御だ」
「……隠し事はなしといこうぜ、武田殿」
(やられた……)
天井に潜んでいた佐助は密かに額に手をやった。やはり何かおかしいと思ったのだ。
彼らがここにやってきた本来の目的は、同盟を結ぶことであって名前の情報を得ることではないにしろ、ここに来た目的の一つなのは確かだろう。
彼女の情報を撹乱しすぎて逆に相手の興味を引いてしまったようだ。
(……大将はどう反応すっかねぇ)
天井板にある穴から信玄の様子を窺うと、小さく溜息をつくのが見えた。そして、次の瞬間自分が呼ばれるのも分かった。
(あーあ……)
そうして佐助は下に降りていった。
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