境征参加 | ナノ
忍――佐助は夜風に髪を遊ばせながら、こちらを見下ろしていた。
彼は夜だというのに昼間と変わらず迷彩服を着ていて、今にも夜の闇に溶けてしまいそうだ。気配も薄く、声をかけられるまで近くにいることに気付かなかった。
佐助は離れの部屋の襖を開けると、名前に入るよう促した。
「もう遅いから寝たほうがいいよ。風邪ひくし」
今の彼の口調は親しみしか感じさせない。
しかし名前は酷く緊張してしまい、あわあわと言葉を返した。
「い、いえ、眠れないんです。だから、もう少しここにいようかな、なんて」
そう言ってから何となく申し訳なくなって、すみません、と謝った。
佐助はその言葉に少しだけ眉を動かしたが、それだけであった。
そのまま帰ると思いきや、彼は不意に名前の隣に微妙な距離を空けて縁側に腰を下ろした。
「ちょっとしばらく、ここいい?」
「え? あ、は、はい」
予想外のことに名前は戸惑った。だが直ぐにどうぞ、と軽く会釈した。
拒むに拒めない様子だし、何より佐助の放つ雰囲気が以前と違っていて少し穏やかで、前よりも怖いとは思わなかった。
「……あんさ」
不意に発した佐助の声は低く、耳に心地よかった。
「……今さっき、故郷のこと思い出してたでしょ」
佐助の核心を突いた柔らかい言葉に、少し驚いて彼を見つめる。
佐助は苦笑した。
「俺様、そういうのに敏感なんだよね」
あはは、と軽やかに笑った彼は空を見上げた。
名前も佐助から視線を外すと、空を仰ぐ。
「……まぁ、そんなものです、ね」
「へぇ」
「正直、今すぐ帰りたいです」
「だろうね」
「でもあまり、強くは感じません」
何て言うのかな、と彼女は言葉を探しながら目を細めた。
「初めて見るものがたくさんあって、寂しいなんて気持ちがあんまり追いつかない、です」
テレビの中では見たことのある風景。でもそれを実際生で体験するとこんなにも違う。
おざなりに歴史をなぞっていた自分だが、実際に生きている人を目にして色々学んだことがたくさんあった。
名前は小さな苦笑をする。
「でも、多分すぐにホームシックになりますよ」
「ほーむしっく? それって南蛮語?」
「あー……」
聞き慣れない言葉に不審な顔をする佐助に、どう訳そうかと彼女は頭をかいた。
「故郷が恋しくなる病気のようなもの、っていう意味です」
「へーえ。ほーむしっくってそういう意味なんだ」
誰もが知っている知識だから披露することもなかったので、驚いた声を上げる佐助に体の何処かがむず痒くなった。
それから会話は切れて、しばらくの間二人して空を見上げていた。
無言が続いたが、不思議と気まずさはあまり感じなかった。
だが名前が一つ欠伸をすると、佐助は立ち上がり名前を立つように促す。
「もう遅いし、そろそろ寝な。夜更かしはお肌に悪いって知ってる?」
「あは、気にしてません」
「俺様が気にするの。お館様に怒られちゃうでしょ」
「あ……」
信玄のためなら仕方ない、といった風に彼女は立ち上がり、部屋に入る。
佐助も付いてきて、明日の服の用意や灯りなどの処理をした。
しかし素晴らしい手際の良さだ。清も手際はいいが、佐助は流れるように事を済ませている。
見ていた名前はつい呟いてしまった。
「……お母さん、みたい」
その言葉に、佐助は一瞬だけ動きをとめた。
「……よく言われるよ」
「す、すみませんつい」
「あやまるこたぁないけどね」
佐助は苦笑して、懐から包帯と薬の入った壺を取り出した。
「さあ。首、見せて」
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