境征参加 | ナノ
その場の空気が、止まる。ただただ、名前の喉から血だけが流れ続けていた。
やがて、ゆらりと光秀が動いた。ゆっくりとした動作で、彼女の目の前までやってくる。
何をされるのかと身構えたが、光秀はただ口を開いた。
「私としては、このまま貴女が息絶えるのを見ているのも良いのですが、仰る通り、信長公は貴女を望んでいる」
「……だったら」
「ええ、いいでしょう。貴女の条件を呑みます」
「……!」
名前はそれでも動かない。震える手を力ずくで刀に添わせる。
口約束は、何の効力もないと言いたげに。
その様子に光秀は苦笑したように見えた。名前が言わんとすることを察してか、彼は自分の足元に向かって声をかける。
「聞こえていますか。私の部下たちと蘭丸に伝えなさい。望みの品が手に入ったので、今すぐ尾張に戻る、と」
「御意に」
まさかと思ったが、地下に忍がいたようだ。忍は姿を現さず、そのまま命令通りに伝言をしに行ったのだろう。
光秀は名前を見据えた。
「これで貴女の条件を果たしました。さあ、行きましょう」
「……はい」
喉元から、刃を離す。じくじくとした痛みが広がるが、血を拭うこともせずに光秀の傍に歩み寄る。
これから、彼らとともに尾張に行く。
そんな彼女の背に、声がかかった。
「名前、ちゃん……」
一瞬、動きが止まった。しかし振り返らない。振り返れば、今までのことが全て無駄になる。
顔がみたい。駆け寄りたい。傷の治療をしたい。いつものように笑い合いたい。
けれど、それはしてはいけない。
ここで別れなければ。
顔を見れば、きっと後悔する。
「ごめんね」
たくさん迷惑をかけた。たくさん心配もさせた。
たくさんたくさん、優しくしてくれた。
「今までありがとう。そして、さよなら」
これが私なりの、恩返しだから。
すでに歩き始めた光秀を追うように、足早にその場を離れた。
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