境征参加 | ナノ
走った。全力で走った。
政宗から借りた鎧は重く、足をとられたが、それでも走った。
走っていく先からは、剣戟が聞こえる。聞き慣れた声も聞こえる。近くに彼らがいることは分かっていた。
政宗はそんな自分より重たい装備のはずだが、名前に合わせる速度で並走している。
「……もう少しだ」
荒い息を吐く名前を気遣うように、政宗が声をかける。それに頷くしかできない。
幸村や信玄を先に探すこともできた。
けれど名前は、佐助を探した。
理由はいくつかあった。佐助は自分を逃がして、光秀と戦っていることを知っていた。
いつも自分のことを助けにきてくれた。
そして、失うことを一番恐れた存在だった。
(今度は、私の番だ)
そして走り続けた結果、ギリギリのところで間に合うことができた。
少し開けた場所で、佐助は仰向けに倒れていた。その肩からは血が出ている。怪我をしたのだろう。
それだけで胸がずくりと痛んだ。
そして、彼に光秀が歩み寄っていくところを見た。その手に握られているものを見て、頭の中が真っ白になった。
あの鎌で、佐助を殺すつもりなのだろう。佐助はなぜか倒れたまま動かない。意識はあるようだが、立ち上がれないようだ。
全力疾走で息が荒い。心臓もどくどくと波打って苦しい。
それでも叫んだ。待て、という政宗の制止も耳に入らず、肺の空気を全て出し切るほどに。
「待って!」
私の大切な人を、殺さないで。
その声は、二人の耳に届いたようだ。二人の目が、こちらを捉える。光秀は無表情で、そして佐助は、信じられないものを見る表情で。
「名前、ちゃん……」
「待って、下さい! 明智さん……」
「おや。貴女からいらっしゃるなんて」
名前の呼びかけに、光秀は依然鎌を佐助に向けたまま応える。
名前は呼吸が苦しいのを、ぐっとこらえた。
今から大事な場面だ。情けない顔なんて、していられない。
「明智さん。私と取引しませんか」
「取引、ですか? はて、一体何と?」
「織田信長は、私を望んでいるんですよね? いいですよ、行きます」
「なっ……! 名前ちゃん!」
光秀よりも先に、佐助が反応した。体が動かせないのか、ふるふると震えている。
光秀はというと、しばらく黙考してから、ゆっくりと佐助の喉元から刃を外した。
名前は胸を撫で下ろしたが、まだだ。
まだ残っている。
「行く代わりに、この川中島から撤退してくれませんか?」
「織田軍全てを? それはいくら貴女の望みでも……」
「望みでなく、条件です」
ずっと隠し持っていた短刀を、腰から抜く。白く光る刀身が露わになった。
そして、そのまま自分の喉元へ据える。
手が、震える。
「織田に下る代わりに、川中島からの即時撤退を条件とします。守られない場合は、」
堪えろ。
名前はぐっと、短刀を喉元へ押し込んだ。
痛みが集中する。熱いものが流れ落ちる感覚。
政宗や佐助が、息を呑むのがわかった。
「この通りです。私は、自分の知識を書き残したりしていません。全て、頭の中です」
自分を殺すのは惜しい、と思わせなければ。
光秀からは何の反応もない。無表情のまま、こちらを見つめている。これくらいでは動じないのか。
名前は、更に切っ先を喉に差し込んだ。更に血が流れてくる。
佐助の方は、見ないようにした。
見てしまえば、何かが崩れる気がした。
痛みを感じていないような素振りで、光秀に問う。
「このまま見殺しにしますか。それとも、私の条件を呑みますか」
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