境征参加 | ナノ



「いやはや、これは奇妙なことですね」


茫然と空を見上げていた彼女は、背後から聞こえてきたその声に振り向いた。

そこにいたのは、すべてにおいて色の白い男であった。人、というよりもさながら幽鬼のようだ。


「……誰、ですか」


彼女のその問いに、白髪をところどころ赤く染めた男はにんまりと笑うと、けだるげな動作で彼女に歩み寄ってきた。

あの血は自分のものだろうか。それとも、違う誰かのものだろうか。
そんな考えが頭の中によぎったが、すぐに「どうでもいい」と考えるのをやめた。

どうでもいい、私には関係ないことだ。

投げやりな彼女の様子を気にも留めず、幽鬼のような男はそのまま名前の眼前まで歩み寄ると、細くしなやかな指で彼女の顎に手を添えた。
名前はそれに嫌がるそぶりも見せず、されるがまま身をゆだねた。


「奇妙この上ない。しかし、同時に非常に興味深い。貴女、泣きながら笑っているではありませんか」


高いとも、低いとも取れる奇妙な男の声は非常に楽しそうに弾んでいる。

その言葉に、名前は頷きも否定もせず、ただただ彼の瞳に見入っていた。
紫水晶のように、怪しげな光を放ちながらも目が離せない美しい色。瞳には静けさと歓喜とが共存している。

この男こそ、奇妙だ。


「あなたは誰ですか」

「おや……私のことをご存じないのですか」


幾分つまらなさそうな声だが、表情は変わらない。


「私は明智光秀と申します」

「明智、光秀……」


名前の目が、驚きでわずかに見開かれる。
当然、知っている。知らないわけがない。現代の日本国民の中で知らない人間の方がすくないほどだ。

明智光秀。織田信長の配下の武将でありながら織田を裏切り、本能寺で彼を追い詰めた張本人。そして彼が天下を取ったのは三日だけ、というのはあまりに有名な話だ。


「さて、貴女の名前も是非お聞きしたいところですね」


その言葉に、なんとなく彼女は信玄が昔言っていた言葉を思い出したが、ためらわずに自分の名前を口にした。


「名字名前、といいます」

「ほう。ということは、貴女が武田の客人……」


何か思い至ったのか。光秀は彼女から手を離し、くつくつと笑いをかみ殺していた。


「なんという幸運。そして、悲しいことか。興味深いものに出会えて、なおかつそれをまだ殺めることができないとは……」


何やら物騒なことを言っているようだが、今手を下されることはないようだ。


「貴方は私を殺さないんですか?」

「ええ。殺さずに、持ち帰れという命が下っています。残念ながら」

「……なぜ?」


先ほど、己の無力を心から味わったところだ。これ以上何を期待されても、何も返すことはできない。
光秀はしかし、彼女の予想外のことを口にした。


「貴方は遠い未来から来たのでしょう? 我が主は、貴女の話と知識をご所望なのです」

「……!」


何故、この男がそのことを知っている。彼女が未来からタイムスリップしたことは、信玄と佐助以外誰も知らないはずなのに。

先ほどまで茫洋としていた瞳に、疑いという名の感情が波を起こした。

それに気づいた光秀はまたくつくつと笑声をもらした。


「先程の貴女なら、すぐに頷いてくれると思ったんですがねぇ」

「……なぜ、そんなことを」

「未来からきたことを? さて、私はとんと知りません」


直接、信長公にお聞きになってください。
そう言ったは早いか、彼の鎌の柄が名前のみぞおちを目がけて放たれた。

衝撃を予想していたが、しかし、痛みはやってこなかった。

思わず開いた目を開けると、彼女の傍らには軌道を強制的に修正され地面に落ちた鎌が転がっていた。

光秀は手が痺れたのか、片方の手でかばっている。しかし依然ねばつくような笑みはそのままだ。


「ふふふ……不意を突かれましたね」

「?」


光秀の視線につられて目にしたもの。

巨大な手裏剣。この武器にはひどく見覚えがあった。


「その子に、手を出すな」


もしかしたら。期待を含めた視線の先にいたのは、いつの間に現れたのか、橙色の髪をなびかせた戦忍が立っていた。



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