境征参加 | ナノ





「大事に、大事にございまする!」


突然のことだった。武田の陣の中央にある本陣には信玄と政宗、そして名前たちがいた。各々、現状の打破と緊張を解すための会話を交わしていた時であった。


「何事だ」


取次も挟まずに、本陣に足軽の一人であろう兵士が入ってきた。突然の来訪に、にわかに騒然とする陣の中で、信玄は顔色を変えずその兵に問うた。

兵は息が荒く、落ち着くのに少々時間を要した。その間に、信玄はつぶさに兵の様子を観察した。
足軽ゆえに鎧もほとんど身に着けていない。そのため、体の至る所に深い傷が見えた。出血もひどい。
地面に膝をついている今も、彼の膝元には血だまりが出来ている。

もう長くはない。
今は緊張と焦りでなんとか繋ぎ止めていられるが、それも時間の問題だろう。


「急ぎの要件であるな。よい、その場で申せ」


この期に及んで中継ぎをと言うほど、甲斐の虎は愚かではない。
横に座る政宗も口を挟まず、じっと兵士を見つめている。

傷ついた足軽は息を整え終えると、地面に額づくほど頭を下げた。


「申し上げます! つい先ほどから、織田の軍勢と我ら武田の軍が交戦しておりまする!」

「なんと……!」


どういうことだ。思わず信玄はあの橙色の忍を目で探した。

とうの忍は、その声が耳に入った瞬間、その場から姿を消した。消える前に垣間見えた表情からは焦りが滲んでいた。

(佐助が見誤ったのか……?)

思わず眉間にしわが寄る。いつでも、あの忍の仕事は正確無比でこれまで間違いなどないに等しかったのだが、それでも彼も人であるのには違いない。
間違いは誰にでもあるもの。
信玄はそう思ったものの、やはりこの苦々しい気持ちを消し去ることは出来なかった。


「それで、どのへんまで来てる?」


考え事に心を奪われていた信玄に代わり、政宗が兵士に尋ねる。
兵士の命は長くない。それまでに引き出せるだけ情報を引き出しておかないと、お互いに後悔する。

兵士は見慣れぬ男の問いにも臆さず、問いに答えた。


「はっ。ここより大分離れておりますので弓矢や鉄砲なるものは届きはしません。ですが、本陣にやってくるのも時間の問題かと」


何事もごまかさずに伝える兵士に、政宗は深く頷いた。戦場で身内の中での見栄は必要ない。ごまかさずに包み隠さず伝えなければ、それが敗因になることもあり得るのだ。


「して、戦況は?」

「芳しくはありませぬ。拙者が畏れ多くも信玄公の御前までお伝えいたしたのは、助太刀を頂きたく」


地面についている膝はもう自らの血でぐっしょり濡れているというのに、兵士は小揺るぎもしない。その様子に、弾かれたように幸村が声を上げた。


「その方の旨、確かにこの真田源次郎幸村が承知した! いかに織田の軍勢がいようとこの双槍で蹴散らしてくれよう!」


鼓膜を震わすその大音声に、その兵士は思わず顔を上げる。
すると、満足そうに笑んでいる顔が見えた。


「さすがは我らが御大将。よろしくお頼み、申し上げまする」


満足そうな笑顔をしたまま、兵士は地面にくずおれた。
ぱしゃり、と水音が上がる。体が沈んでしまうのを、済んでのところで幸村が抱き留めた。

自らの戦装束が血と泥に塗れることを意にも介さず、力尽きた兵士を抱き留めた幸村は、彼を血だまりではなく、乾いた地面の上まで移動させてその場にそっと下ろした。


「その願い、確かに聞き届けた。今はゆるりと休め」


ぼそりと兵士に向かって囁かれたそれは、名前の耳のも届いていた。
その声の優しさや、幸村の表情から伝わる死への悼みが、周囲には痛いほど伝わっていく。

土に吸収されなかった血だまり。その傍らに横たわる兵士の顔色。そんな彼を見下ろす血と泥で汚れた青年。

乾いた地面に横たわる兵の体に、赤い布がかぶせられた。それは軍旗。四つ割の菱が染め抜かれた、武田の家紋。彼の最期に敬意を表して、だれも口を利かず、軍旗に包まれたその体は陣の中から運びさられた。




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