境征参加 | ナノ
それから体感時間にして約1時間ほどだろうか。佐助が戻ってくるまで、との事で名前と信玄は茶を啜りながら会話を楽しんだ。
大半は信玄の逸話などを話してもらっていたが、未来のことが聞きたいという要望に答え、名前は請われるまま口を開いた。
「未来では、日本の何処にでも人がいて、たくさんの物で溢れています」
「ほう。活気があってよいな」
「でも、よく事件も起こります。事故も絶えないし、緑も少なく空気も汚れています。テレビのニュースはそのことばかりで毎日飽き飽きしますよ」
「ほう。活気があるのも考え物だな。
……それにしても、先ほどから聞きなれぬ言葉があるのだが、もしやそれは南蛮語か?」
南蛮語、という意味が分からなくて一瞬考えたがすぐに合点がいった。
「テレビにニュース、ですか? これは英語です」
「えいご、とな?」
「ヨーロッパやアメリカ……ここでは南蛮というんですね。そこの言葉です。南蛮語と同じですね。私がいた時代では、英語は絶対に学ばなければならないものなんですよ」
「なんと! ではお主の時代では皆奥州の青竜みたいなのがごろごろおったのだな。大変な世の中だ」
「奥州のせいりゅう? どなたですか?」
「独眼竜伊達政宗。聞いたことはあろう?」
名前は目を見開いた。
伊達政宗は英語を操るらしい。伊達政宗は史実に余り残っていないが、その幼少期の逸話などは有名で、名前は少しだけ、会ってみたくなった。
「……会ってみたい、ですね」
「いつかまみえる時が来る」
「はい」
それからしばらく二人で談笑していると、物音一つせず小部屋の木戸が開き、佐助が帰ってきた。
その顔は真剣そのもので、のほほんとしていた空気が一変した。
少しあとずさってしまったのは秘密だ。
「お館様、只今戻りました」
「ご苦労。して、どうであった」
「どうもこうもないですよ……」
彼を知る者にとっては珍しく、苛々と感情を発露させて乱暴にがしがしと頭を掻きながら、懐から取り出した巻物を信玄に手渡した。
ざっと巻物に目を通した信玄は、眉間に深い皺を寄せる。
それに付け加えるようにして、佐助が低い声で告げた。
「……使いにやっていた部下によると、その子の言った通り、織田が動きました」
ちらりと鋭く名前を一瞥して、佐助は続ける。
「現在織田は桶狭間にいる今川軍に奇襲をしかけ、交戦中です。今川軍は多勢ですが、破れるのは……時間の問題かと」
「……そうか」
信玄は巻物を巻きなおし、佐助に返した。
そして名前を見据える。
「お主。しばらく甲斐におれ」
「……え」
驚いたのは名前だけではなかった。傍にいる佐助も巻物を持って呆然としている。
「ちょ、大将……それは」
「佐助、お前にこやつの世話を任せる」
「はぁ? 俺様仕事たくさんあるんですけど! 旦那の世話でいっぱいいっぱいなのに……」
「許せ、佐助」
「そりゃないよ大将……」
佐助は座り込んで頭を抱えている。よほど今の仕事内容がきついのだろうか。
忍者ってハードスケジュールっぽいもんなぁ、と名前はこっそり考えた。
信玄はこほん、と咳払いをして、再び名前に話しかける。
「行くあてはないのであろう?」
「……そう、ですね」
ここは戦国時代だ。身内はおろか顔見知りの人間すらもいない。
次に信玄が言った言葉は、彼女をひどく驚かせた。
「お主のその知識、他国に知られては分が悪い」
「そんな……大層なものでは」
「今お主が当てた情報は、この佐助しか知りえなかったもの」
信玄に名前を出されて、佐助は名前をちらりと見た。
彼女は視線に気付いていながらそちらのほうを見ないようにした。
「お主には、聞きたいことが山ほどあるのだ。この国の、行く末を」
その言葉の意味はよく分かった。
受験以外で初めて、歴史を勉強しておいて良かったと思った。
「……はい」
「ということで、よいな?」
これは強制だ。
しかしここから逃げ出しても、野たれ死ぬのが関の山だ。
もしかしたら、「秘密を知ったからには」と、逃がしてくれないかもしれない。
死にたくは、ない。
「……お世話になります」
名前は信玄に深く座礼した。
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