ほどけたリボン | ナノ

∇ ほどけたリボン


「部屋の中じゃちょっと暑いね」
 困ったように肩を竦ませる春市がそう言って、もらったばかりの手袋を外す。ほかほかの手はついでに降谷の首元に巻きつくマフラーにも伸びてくる。するりと滑り落ちてしまった過度なあたたかさに微量の不満を送れば、困った色が濃くなった。明日提出のレポートが白紙で困るのとは違う。こんな風に春市を困らせることができるのは自分ひとりであることを、そしてその理由までも、降谷はもうずいぶんと前から直感的に悟っている。
「お茶いれる?」
 首を振って、すぐそばに留める。
 そういう雰囲気というのは、確かにある。ランプの光の淡く透ける安全なブランケットの下、額や唇やてのひらをどちらからともなく合わせて立ちのぼるときもあれば、不意にぶつかる相手の高まった温度に絆されてじわりじわりと広がるときもある。しかし今夜だけは、ベッドにたどり着く前から、雰囲気はリビングのこたつでのほほんとするふたりを包んでいた。
 いつからなのかは定かではない。ひょっとしたら今日が特別なことを知っている時点から意識ははじまっていたのかもしれないし、賑わう街のイルミネーションにそそのかされたのかもしれない。あるいはついさっき、部屋着にマフラーや手袋をつけた不自然な恰好で見つめあった束の間に起こったのかもしれない。とにかく、ふたり揃ってそういう展開を期待しているのは、すでに明白なのだった。
「そっか……」
 うわの空の返事を浮かべ丸くなる春市の腹に腕を回し、小さい背に頬をくっつけて休む。なにも言わずにただくっついてじっとしているのが心地よくて、落ち着く。なにも言わなくても伝わっているのだろう、降谷よりもよっぽど言葉の扱いがうまい春市もなにも言わずにじっとしている。二度とくり返さない貴重な時間をこうするためだけにだらだらと費やすのは、極上の贅沢だった。いずれにしても、ベッドを目指すにはまだ早い時間だ。期待はしているが、べつに焦っているわけではない。
 夜が深まるころの浴室も同様に、湯気と静けさが漂うばかりである。朝に出かけ、晩ごはんまで外で済ませてくるような日は湯に並んで浸かりながら積もる話のひとつやふたつもあるが、ほとんどの場面をともに特別にすごした今日は、それぞれぼんやりと振り返るぐらいがちょうどよい。バスタブの縁に肘をつく春市の肌ではじける水滴を、指先をすべらせてひとつずつ拭っていく。邪な動機ではなかったはず、乾くまでの暇を持て余すそれらがただなんとなく気になっただけだ。しかしその行為は、降谷の余裕を忽然と奪った。
「もう、あがろう」
「……うん」
 余裕を奪われたのは、なにも触れたほうに限られてはいない。湯からあがる前に、春市は指の感触をごまかすべく改めて深く浸かった。

 ぬかりなくエアコンを入れておいた降谷の寝室は、ほどよくぬくもっている。洗い立ての寝具はひんやりとしていて、それはそれで火照りの残る肌に気持ちがいい。
 ベッドに入ってすぐに交わす口づけはひとつめから、確かめるまでもなく確信に満ちていた。はずみで鼻から抜けた声に戸惑いひく顎を捕らえて、ふたつめ、みっつめとつづける。唇や舌をあわせるたびに香る歯磨き粉のミントは次第に弱まり、数など数えていられなくなる。早く先に進みたいはずなのに、同時に名残惜しくて不思議なテンポになる。もういいかと離れても、恐らく無意識に作っている、ねだるような表情で見上げる春市の唇に舞い戻ってしまう。まだ水分の抜けきっていない髪に指を絡ませつつ、もう片方の手で服の上から腰を撫でさする。
 それだけの動きに、煽られる高鳴りが身体の末端まで響く。迫りあがるむずむずするくすぐったさに思わず、降谷のシャツの裾を握りしめた。ただの無邪気なくすぐったさではない官能を孕んだ刺激に、春市の呼吸は熱くなる。そして熱は伝染するということを、合間の息継ぎで思い知る。すっかり欲に取りつかれる降谷の目は、どこかぼうとして見える。
 腰をさすっていたてのひらをできるだけ自然に前に持ってくれば、春市の性器は布越しでもわかるほどには反応している。素肌を晒す前から、たかが口づけと安易な戯れで感じてしまうことをいささか嫌悪して俯くのを追いかけて耳元で名を呼んだ。決して器用とはいえない施しすら敏感に受け取ってくれる春市が、降谷にとってはたまらなくいとおしい。名を呼ばれ反射的に顔をあげたところに、飽きない口づけを求める。下腹の手を焦れったく動かして、だんだんと反応を顕著にするそれの形を何度もなぞった。
「はぁっ……」
「春市、こっち」
 ふたつの枕を並べたふかふかの特等席にいざなう。潔くシャツを脱ぎ捨て、春市が腰から下に纏っているものもすべて取り払った。上半身を覆い隠す服をたくしあげれば、ほとんどの肌があらわになる。
 降谷も細身ではあるが、背が高いぶん、パーツのひとつひとつを比べればやはり春市のほうがひと回り華奢にできている。ともに厳しい部活動に打ち込んだのだ、やわではないことは頭ではわかっていても、それを目の当たりするといっそう大事にしなければと思ってしまう。胸元から順番に、身体をずらしながら余す箇所のひとつもないよう優しくてのひらと舌で触れていく。背けた頬を枕に埋め快感に耐える表情を、時折ちらりちらりと盗み見た。
 やがて立ち上がる性器に行きつく。視線と息をすぐ近くに感じて、小さく身じろぐ。
「……っ」
 なにをしようとしているのか察して否応なく高まる予感に先走った透明の雫を舐めとる。しかし、舐めた端から滲んでしまう。その様子を降谷がじいと眺める。どうにか鎮めようともがくほど、状況は悪くなるばかりだった。
「降谷くん……、んっ」
 裏筋を舌先でたどり、ついに口に含んだ。根元を手で扱きつつ、口内の先端は舌や上顎に押しつける。深く浅く銜えこんで唇でも摩擦を与える。どれも春市にされてよかったことを真似た愛撫だったが、するのとされるのではまったく別の話である。シーツに皺を寄せていた手が、肩に縋る。もしかしたら引き剥がそうと試みているのかもしれなかったが、結果として縋っている。離れるつもりなど始めからない降谷にとっては、願ってもない誤算だった。
「降谷くん、は、あぁっ……、降谷くんっ」
 何度も聞こえる名前と精一杯の声色から、達する寸前なのを窺い知る。口が塞がっていては、返事をしてやることも、呼び返してやることも叶わない。代わりに指を絡めれば、ぎゅうと握り返してくる。
「あぁっ」
 飛びだした液体をそのまま飲み下す。自分の精液は一滴も口にしたくないというのに、春市のそれには不快感をつゆも感じない。恋に落ちたとたんにこれだ、人の精神とはなんとも好都合にできているのである。
 漸く解放した、果てた直後の感じやすい性器や内腿の柔らかな肌に軽く吸いつきつつ、くったりとしている身体をさらに深く折り曲げる。後ろをほぐす前、緊張を拭おうと会陰からそこにかけてそっと撫でる指に、恥ずかしがりながらも快楽を見いだしているのを降谷は知っている。今夜は舌でくすぐってみようかと企てる。徐々に降りていき、尖らせた舌先で内側の粘膜に触れたとき、とうとう涙が滲んだ声があがった。
「やっ、降谷くん、やだ……っ」
 顔をあげれば、春市はこれでもかというほど頬を染めあげている。
「なんで」
 嫌なはずがない。迎えた絶頂に一度萎えた性器はふたたび緩く反応している。春市が否定の言葉を発したり涙をこぼしたりするたびに真に受けて傷ついていた降谷だったが、何度も身体を重ねるうちに、本心で拒んでいるわけではなく羞恥が積み重なった末の咄嗟のしわざなのだということがわかってきた。這いあがって、赤くなめらかな頬に自らのそれを擦り寄せる。
「ほんとに、嫌なの?」
「〜〜っ」
 その証拠に訊ねれば、口ごもる。とはいえ、あんまり追いつめては可哀想だ。しばし、欲よりも慈しむ気持ちを優先して抱きしめる。包みこむ体温に露骨に現れる安堵がうれしい、しかし逸る衝動に脳が痺れる、不安定なバランスを保つのは容易ではない。投手にありがちなエゴイズムを色濃く持ち合わせる降谷が、相手のペースに合わせようと尽力しているかわいさにふと気づき、春市は浮きでる肩甲骨を労った。
 舌と指で丁寧に柔らかく溶かした器官に、押し充てる。
「ふ、あ、あぁっ」
 痛みはなくても、熱いものに貫かれる衝撃は計り知れず、このときばかりは鮮やかな声を抑えることができない。降谷はゆっくりとすべてを収めると、首に巻きつけた腕で必死にしがみつく春市を抱えあげて、膝の上に乗せた。ふだんはしっかりとしている春市が、その実なにもかもを委ねてくれているのを体全体で示しているような、この瞬間が降谷はすきだった。本来受け入れるための構造をしていないぶん時間も根気も要するが、ほんとうに想っている人と繋がれたときのしあわせはひとしおだ。
 乱れた後ろ髪を梳き、耳を食む。
「顔見たい」
「……ん、うん」
 肩に埋めていた顔をおずおずとあげて、春市がこちらを向く。視線が結ばれると、わずかにはにかんだ。中途半端に引っかかったままになっていたシャツをさっと落とし、両のてのひらでほんの少し下の位置にある降谷の頬を挟む。そして春市のほうから唇を寄せてくる。鼻先を触れあわせながらついばむ口づけは、だんだんと深く長くなっていく。夢中になっている表情をぼやけるほどのごく近い距離で堪能したくて、こっそりと薄目を開き、さりげなく伸ばした指で隠れた切ない眉と震える瞼を晒した。肘をついて上体を支え、衝きあげて揺らしはじめる。
「んぅ、うぁ……っ」
「はぁっ、春市……」
 内壁が擦れて、ふたりに快感をもたらす。一方的にされるがままになっていた春市もほどなく、殊更に感じる場所に当たるように、照れながら腰を動かしはじめる。唐突に気になって、尻に添えている片方の手を繋がっている部分に持っていった。降谷の性器を受け入れ広がるそこは、揺れるたびに溢れる唾液やローションでしとどに濡れている。
「ここ……、すごい濡れてる」
「そんなとこ、趣味悪いよっ……」
「じゃ、こっち」
「……あっ」
 腹の間で先走って同じく濡れているそれを掴めば、ひくりと狭くなって降谷を締めつける。そのまま後ろのシーツに背を預け、あまく乱れる春市に見惚れた。この世界にいる他の誰にも渡さない、僕の恋人。蕩々と満たされる独占欲に酔って、めまいがした。

 そっと横たえた春市は、息が整い余韻が去ってまもないうちに、うとうととまどろむ。はじめてのときのように気を失ってしまうことこそないものの、熱烈に求めあった後はいつもこうだった。
「まだ寝ちゃだめだよ」
「……」
「春市?」
「……うん……」
 自分の身繕いもままならないまま、冷えて体温を奪う汗や精液の類いを急いで拭い、引き出しから新たな服を持ってきて着せてやる。いくらエアコンがついているとはいえ、こんな無防備な恰好で夜を明かしてはきっと、風邪をひいてしまう。なにもかもを放ったらかして眠ろうとする春市に、風邪をひかせてはならないとたどたどしく世話を焼く降谷、いつもとは立場がまるで反対である。促される通りにのろのろと腕や足をあげるあまえきったこの状況下限定の姿に、こころがあたたまる。この感情もまた、恋に落ちなければ知ることはなかった。
 となりにもぐりこみ、ひと足先に夢に迷いこんだ春市を引き寄せる。
(今日も、かわいかった)
 そして降谷も常のすばやさで、眠りに就くのだった。


 
おわり

安心セックス。誰の話を書いてるんだか…。降谷くんのことだから服を後ろ前逆とかに着せていて、翌朝春っちはそれですべてを悟り、またやっちゃったよ…って照れる裏設定。2013.01.08

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