しあわせはつづくのです | ナノ

∇ しあわせはつづくのです


 散りばめられた暖色の光を映す降谷の眸は、星空の縮図さながらだった。
 街路樹に巻きつけた無数の電球を灯すだけの、ごくシンプルな仕掛けに街全体が色めきたつ。クリスマスの黄昏時ともなれば、あたりをそぞろ歩くのは、睦まやかに身を寄せ合う者たちばかりだった。降谷と春市は、周りのようにあからさまに腕を組んだり手を繋いだりすることはなかったが、そうすることとさして変わらぬ視線を交わす。自らの瞳に春市が吸い込まれているとはつゆも知らず、降谷ははにかむ表情に心臓を揺らす。写真の演出のように、バックグラウンドの電飾や車のテールランプが滲んだ。
 寒くて当たり前の冬が、実はいちばんはっきりとあたたかさを感じられる季節なのだと知ったのは、まだそう昔ではない。人恋しい感覚を植えつけた犯人は今、まさにとなりにいる(ゆえにその感覚は、春市恋しいと表したほうが的確なのかもしれなかった)。
 せっかくだから電車に乗って街へ出ようと言いだしたのは、春市だった。恥ずかしがり屋で意見を強く主張するタイプではないわりに、しっかりとしている。ふたりでいると自然に行動を起こす役回りになる春市に、野球以外のことにおいてはてんで疎い降谷は引っぱられるままに付いていく。行き先が恋人同士で賑わう人混みだろうと、異存はなかった。携帯のブラウザで「イルミネーション 東京」のキーワードで検索しながら照れている耳にいたずらに口づけて、前髪の影からきゅっと睨まれたのは、つい3時間前のことである。
 ショーウィンドウもまた、いつもよりきらびやかに飾られている。通り沿いのそれらを外から眺めて歩き、時折店の中も物色する。ふらりと立ち寄った雑貨屋の一角で、春市が降谷を振り返る。
「来年の買ってこうよ」
 ずらりと並ぶおなじ西暦、つまりカレンダーだった。壁には、サンプルがところ狭しと掛かっている。キッチンの冷蔵庫にマグネットで貼りつけてあるあれをもう取り替えなければいけない時期か、と納得する。あと1週間もしないうちに年が明ける。
「来年はどういうのがいいかなぁ」
 サンプルに端から目を通しながら春市が呟く。やっぱり日めくりよりも月ごとのほうがいいよね、という台詞に頷きつつ、降谷も気になったものを適当に平積みから手に取って眺めた。裏には、各月のデザインが小さくプリントされている。
「これは?」
「どれ?」
 降谷が手にしているのは、犬のうたた寝がテーマのカレンダーだ。毎月違う種類の犬が、それぞれのポーズで気持ちよさそうに眠っている。誕生月をチェックすると、白いもこもこの犬がソファの肘掛けに顎を乗せてとろけている、見ているほうまで力の抜ける顔のアップだった。
「今年はねこだから」
「で、来年は犬?」
「うん」
「いいよ。それにしよう」
 レジの列に並んでいるときになって、すこしからかうような調子で言う。
「降谷くんってさ、意外に……っていっても最近意外じゃなくなってきたけど、かわいいものすきだよね」
 春市こそ、降谷にとってのかわいい人なのである。あいくるしい犬やねこに抱くことの決してない特別な感情を以て、かわいいと思っている。カレンダーの犬にのんきににこにこしている横顔に、「春市もかわいい」の直球をぶつけてみようかどうか迷ったが、その手の言葉がよろこばれた試しがなかったことを思い出し、そっと引っ込める。かわりに口を結んだまま静かにうんと肯定すれば、にこにこの眼差しが今度は降谷に向けられる。春市は春市で、外では怪物と呼ばれる無愛想で不器用な男をたいそうかわいいと思っているのだった。
 一服しようとスターバックスに入るも、みな考えることはおなじなのだろう、狭い店内はごった返している。
「僕はキャラメルホワイトモカにするけど、降谷くんは?」
「バニラクリーム、フラペ、」
「フラペチーノって冷たいやつだよ。いいの?」
「……。春市とおなじやつ」
「はいはい」
 席を探すことを早々と諦める。歩道橋に凭れ、車と人の流れを傍観しながら買ったばかりの熱くてあまったるいコーヒーを啜る。顔に受ける、きんと澄んだ風の冷たさは、目下にまっすぐと浮きあがるイルミネーションの美しさと引き換えだった。紙のカップに縋る春市のかじかむ指先をあたためるのが自分の手だったらよかったのに、と降谷はこころの中でひとりごちる。
「夜、どうしよっか。やっぱりチキン?」
 とはいえ、フライドチキンを扱うチェーン店はスターバックス以上の盛況ぶりで、今さら予約もなしに行っても門前払いを食らうだけだろう。家で調理するにしても、春市の料理の腕前は揚げ物を作るレベルまでは達していないし、キッチンにはローストチキンができるようなオーブンも備わっていない。かしこまったレストランの1軒ぐらいは空いているかもしれないが、そういうのは苦手だ。
 うーん、と考えこむ春市に、降谷の助け舟が流れつく。
「……シチューがいい」
「シチューかぁ。あったまっていいかもね」
「鶏肉とじゃがいもとブロッコリーと、あと……にんじん」
「きのこは?」
「入れる」
 こんな話をしていると、いつもの空間が恋しくなってくる。
「ケーキ屋さんにも寄ってみよう。もしかしたら買えるかもしれないから」
「どこ……?」
「うちに帰る途中、早稲田通りにあるじゃん。駅前のでもいいけど」
 こんなことになるなら、前もってちゃんといろいろ予約しておけばよかった。いまだ納得しきらない様子の春市の脇腹にさりげなく腕を回す。日が暮れていようが、行き交う恋人たちにまわりが見えていなかろうが、公衆の面前であることには変わりない。ウールのコートに留まったてのひらは、すぐに埃を払うような仕草ではたき落とされてしまった。一瞬だけ触れた体温は案の定、態度よりも冷えている。
 それでも降谷の考えていることはじゅうぶんに伝わったのか、カップを大きく傾け、残っていた中身を飲み干す。
「そろそろ、行こっか」
 歩道橋を降り、光に沿って来た道を戻る。駅も近くなってきたころ、春市が急に立ち止まった。
「あ、」
「どうかした?」
「さっきカレンダー買ったお店でスケジュール帳も買おうとしてたの、忘れてた」
「……」
「急いで買ってくるから、ここで待ってて」
 呼び止める暇もなく、雑踏に消えてしまう。取り残され、降谷は仕方なく道のすみに移動する。
 東京に来てからというもの、どうにか順調に人脈を広げつつあるというのに、溢れかえる人々の笑顔はどれも知らないものばかりだ。春市がいなくなったとたんに、そのことに気がつく。ごまかすようにショーウィンドウに目をやり、今季の新作の衣服を纏ってポーズを取る、首から上のないマネキンの男女をぼんやりと眺めた。さきほどは立ち寄らなかったアパレルショップである。
(そうだ)
 降谷にしてはめずらしく気の利いたことを思いつく。
(今のうちにプレゼントを買って後であげたら、よろこぶかな)
 ふたりのあいだでそういった話題がのぼらなかったからなにも考えていなかったが、たとえサンタクロースでなくても、クリスマスにプレゼントを渡すのはおかしなことではないだろう。そういえば大学の先輩が何週間か前に、彼女がクリスマスだからって何万もするアクセサリーをねだってきて困る、かといってこの時期に別れるのもなんだ、選択肢がいくらでもあるお前は慎重に女を選べよ、と謎のアドバイスを寄越してきた。クリスマスにかこつけてねだることが許されるのであれば、クリスマスにかこつけて押しつけることだって許されるはずだ。そしてあわよくば、ほんのり頬を赤くしてよろこぶ春市の姿が見たい。
 そうと決めたら、他人の波に感傷に浸っている場合ではない。降谷はさっそく、店に足を踏み入れた。
 さて。店に来たはいいものの、なにをあげるべきか咄嗟には判断しかねる。ディスプレイされているさまざまな服の中で、どれが春市のこのみに沿うのか降谷には見当がつかない。同居人兼、洗濯物を畳む担当にも関わらず、はっきりと焼きついているのは、服のデザインやスタイルよりもサイズだった。寒くなる前に着ていたクロップドのチノパンや淡いブルーのシャツ、いくつか印象に残っているアイテムはあれど、傾向を鑑みられるほどの数ではない。情けないことに、今日春市がコートの下に着ている服ですらあいまいにぼやけている。
 プレゼントが身につけるものでなければいけない理由も、ここで決めなければいけない理由もない。しかし、今さら店探しからはじめる時間は残されていなかった。自分用の買い物ということにして店員に相談するなど器用な真似ができるはずもなく、フロアをうろうろとさ迷っていた降谷の目に、ようやくひとつのものが留まる。
(手袋……)
 春市の凍える指先が記憶に蘇る。外で手を繋いだり触れることができないのならせめて、これぐらいはあげてもいいのではないか。いくつかの形や色から、甲の部分にケーブルデザインが施されたダークグレーのひと組を選んだ。
「あの、値段は見えないように……」
「プレゼント用ですね?」
 レジのカウンターのお姉さんにすかさずにっこりと微笑まれて、降谷はわずかにたじろぐ。押されるように頷くと、慣れた手つきで値札を切り落とし、クリスマスシーズン限定らしい店のロゴにシカとMerry Christmas!の文字がプリントされた袋に入れる。リボンの色は赤か緑かと訊ねられ、意味もわからないまま緑と答え、後になって春市だったら赤だったか、と考えた。
 ラッピングされたプレゼントを雑貨屋の紙袋に忍ばせ店から出てくると、人の流れの中に立ち尽くしきょろきょろとしている恋人がいる。
「春市」
「どこ行ってたの!?携帯鳴らしても出ないし」
「ごめん、気がつかなかった」
「だと思った。もう帰るよ」
「うん」
 下りの中央線はやはり混んでいる。

 カレーとおなじ要領で具材を煮込み、白いルーと牛乳を加えただけのクリームシチューも、駅前の洋菓子店で所在無さげにしていたカット売りのケーキも、そしてクリスマスを祝っているにしてはまったりとしすぎた雰囲気も、悪くはなかった。豪華ものはなにひとつ置いていないのにはなはだしっくりくる食卓には、悪くないという褒め言葉がよく似合う。こういうものは、帰するところ、どうやってすごすかではなく誰とすごすかなのだ。降谷も春市も言葉にはしないが、おなじことを思う。
 つい数週間前にローテーブルと入れ替わった正方形のこたつの一辺にわざわざふたりで収まり、足りている温度をわざわざ与えあう。出掛けているあいだ自由に触れることのできなかった鬱憤を晴らすかのように、降谷はぎゅうぎゅうと春市を閉じ込める。首に鼻先をうずめた窮屈な体勢でしばし呼吸をし、あまつさえ唇を寄せればくすぐったそうに身じろぐ。
「ん、ちょっと」
「なに」
「離して」
「どこ行くの?」
「自分の部屋」
「なんで」
「すぐ、戻ってくるから」
 わかりやすくしゅんとする降谷の唇に小さな口づけを落とし、春市がドアの向こうに消える。部屋の角には、子供の背丈ほどある、いっしょに飾りつけたツリーが佇んでいる。おそらく数日以内に収納されてしまうそれの、ちかちかと安っぽく点滅する赤や黄や青のライトが白い壁で不規則に踊るのをなにとはなしに見つめていた。
「降谷くん……」
 数分で戻ってきた春市は、かばんを抱えている。またどこかに出掛けるのかと思いきや、もじもじと俯きながら、中からなにかを取り出す。
「これ、降谷くんに」
「?」
「クリスマスプレゼント、買ってみたよ」
 その言葉にはっとする。
「僕もある。プレゼント……春市に」
「ほんとに?」
 恥ずかしそうにしていた春市が、顔をあげる。隠していた包みを持ってきて差し出せば、びっくりした表情が優しくほころぶ。賑わう店をひとりさ迷ったこころ許なさやお姉さんの笑顔に感じた気まずさは帳消しになり、それどころか買ってよかったと安堵さえ覚える。
「降谷くんがこういうの用意するなんて思ってなかったよ。いつの間に……」
「今日」
「え?」
「春市が、いなくなってたとき」
 答えを耳にした春市がたのしそうにくすくすと笑いだす。うまく掴めずに首を傾げる降谷の肩に、こてんと凭れる。
「僕もそのときプレゼント買ってた」
「スケジュール帳は……?」
「ごめんね、あれは嘘。プレゼント買ってくるから待ってて、なんて言えるわけないじゃん。昨日までどうしようかな、って迷ってたんだけど、やっぱり買わなきゃって思って」
「……(じーーーん)」
「あれ、感動してる?感動するのは開けてからにしてよね」
「春市が先に開けてよ」
「だめ、降谷くんが先」
 押し問答に負けて、あげたものよりも大きなプレゼントのラッピングをほどく。現れたのは、ベージュのマフラーだ。
「降谷くん、いつも首元が寒そうだから」
「……」
「暗い色の服が多いのは知ってるけど、たまにはこういう色もいいかなって……!」
 春市は降谷が気に入ったのかを心配しているようだったが、ショッキングピンクの花柄だろうが関係なかった。試しに巻いてしあわせな気持ちに浸っていると、遠慮がちに似合ってると言うのが聞こえてくる。
「春市も早く開けて」
「う、うん。なにかな……」
 ごそごそ。
 降谷の「あわよくば」が叶うまで、あとすこし。


 
おわり

降谷くんと春っちのアウターがそれぞれダークグレー、ベージュを想定しているので、マフラーと手袋が加わるととても恥ずかしい図になります。ひたすらかわいくしたかったのでここで切りましたが、後日、この後のえろを書くかも。メリークリスマース!2012.12.25

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