マシュマロココア説 | ナノ

∇ マシュマロココア説


 濃紺の夜空に凛と白く輝く月や星が美しい。しかし寒いものは寒い。
 上京して4年目。出身地を告げたときの、東京の冬なんて寒くもなんともないでしょう、という反応にもすっかり慣れた降谷は、駅を出たとたんにさっそく吹き抜けた冷たい風に思わず顔を顰めた。氷点下が当たり前につづく北海道の真冬に比べればかわいらしいプラスの気温はそれでも、涼しくて気持ちがいいと思える温度はじゅうぶんに下回る。そうなれば身体は寒いと訴え、ぬくぬくとしたあたたかさを恋しがる。求めているあたたかさが手に入る場所にいち早くたどり着くために、早足で風を切った。
 誰もいない部屋に帰るのはすきではない。高校時代は寮にいても学校にいても常に野球部の誰かしらが近くにいたし、卒業してからはいつしか特別になっていた春市と暮らすようになった。自分から輪に入っていくのが苦手なくせに、ひとりっきりになると不意に壁に向かって投げていたあのころの記憶がよみがえる。そのことがとうとうばれたとき、春市はけらけらとのん気に笑ってみせた後、降谷くんってほんとはすごく寂しがりやだよね、とうれしそうに言った。
 今日も春市のほうが先に帰っていたらいいな。そう思いながら玄関のドアを開ければ、靴や物音を確認するよりも早く、部屋の奥から漂うあまい香りが嗅覚を刺激する。
「なに作ってるの?」
 自室に寄って荷物とコートを落としてから、キッチンに立つ背中の真後ろにそっと添う。春市はとくに驚くでもなく、頭をゆったりと預け降谷を見上げた。
「おかえりー」
 ただいま、と言葉にするかわりに無防備な唇に口づける。柔らかなそれはあたたかく、そして漂う香り同様にあまい。ものの喩えとしても決して間違いではなかったが、それは確かに砂糖のあまさを伴っていた。口づけまではさすがに予想していなかったのか、ぎくりと一瞬固まったと思えばすぐに振り返り、泡立て器を持っていないほうの手で降谷の肩を軽く叩く。
「ココアだよっ。降谷くんもいる?」
「……いる」
「じゃあマグふたつ持ってきて。いつも紅茶飲む大きめのやつ。あとテーブルの上の雑誌片付けてよ。昨日の夜から出しっぱなしで邪魔!」
 俯いてあれこれと注文をつけると、コンロの小鍋にふたたび向き直ってしまった。降谷は名残惜しそうな視線を襟足に残し、カップボードへ向かう。

 暖を取るように両手で包んだマグカップの上に浮かぶ湯気を見つめながら、春市が言う。
「兄貴と僕が小さかった頃、冬になると母さんがよく作ってくれたんだ」
 ココアのことだろう。降谷はへえ、と呟くとマグカップを鼻先に近づけた。湯気を吸い込み、まだ熱そうな中身にふうふうと息を吹きかけて、ほんの少しだけ口に含む。じんわりと広がったのはまだ記憶に新しいあたたかさとあまさで、さっきの口づけは春市がこれの味見をした後だったのか、とようやく合点がいく。
「ひさしぶりに飲みたくて作ってみたけど、降谷くんにはあますぎたかもね」
「そんなこと、ない」
「そう?昔なんてさ、これにマシュマロも入れてたんだよ。ココアが見えないぐらいたくさん」
「…………」
 降谷の実家では、冬になってもココアなど出てこなかった。熱い緑茶やほうじ茶、せいぜいホットミルクぐらいだ。幼い日の春市をぼんやりと想像しつつ、カップを傾ける。もしかしたら春市が纏っている雰囲気は幼いころから飲んでいたあますぎるマシュマロ入りのココアによって作られたのではないか、と降谷はわりと真剣に考えた。いっしょにいると、ときどき魔法に掛けられたかのような心地になる。
 降谷以外の周りの人間は春市のことをそこまであまくふわふわしたタイプだとは認識していないとか(沢村に言わせてみれば恐らく正反対のタイプなのだ)、そのころ常にいっしょにいたはずの毒舌かつ最強の兄貴はどうなるとか、そもそも人格は食べ物や飲み物によっては形成されないとか、この説にはいくつもの不可解な点があったが、降谷には見えていない。まさしく恋は何とやら、である。
 沈黙を間違った意味で捉えた春市が、話題を切り替える。
「そういえば、」
「?」
「最近こたつ欲しいなぁって思うんだけど、降谷くんはどう思う?」
「こたつ?」
「うん。リビングのテーブルの代わりに」
「使ったことないからわかんない……べつに春市が欲しいならいいよ」
「こたつ使ったことないの?」
「……?うん」
「あったかくて気持ちいいよ。でも毎年毎年テーブルとこたつ入れ替えるの面倒かな?」
「え」
 毎年。春市から自然に出てきた単語は、降谷のこころにざわざわとした波を起こす。この生活がはじまってから、まだ1年も経っていない。それなのにまるでこの先何年もずっといっしょに暮らしていくような――すくなくとも春市はそう考えているような、言い方だった。
 目元を赤くする降谷に、春市までもが頬を赤くして慌てる。
「あっ、いや、そういう意味じゃなくて!」
 降谷が春市の言葉をどういう意味で受け取ったのか説明をする前から、そういう意味ではないとばたばたされてしまっては、そういうことが春市の無意識に組み込まれているのだ、と証明しているも同然だ。
「うん」
「ほんとに、そういう意味じゃないからっ」
 冷めない頬を持て余して、春市は冷めてきたココアにやっとのことで手をつけた。勢いよく飲み込んだせいでこくんと喉が鳴る。降谷は夢見心地で訊ねた。
「来週買いに行く?」
「な、なにを」
「だから、こたつ」
「あ、うん。そうだね……。そしたらみかんも買わないと」
「なんで」
「こたつとみかんはセットだから」
「……?」
 新たに浮上したこたつみかん説に降谷は首をひねる。ぽかぽかとあたたかい、冬のひとときだった。


 
おわり

ココアふうふうする降春&照れる降谷くん(パターン2)でしたー。2012.11.19

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