午前5時 | ナノ

∇ 午前5時


 もしも。暗い部屋の中、倉持は冴えきった頭で考える。
(亮さんの友達が遊びにきてうっかり終電逃したら、こんな感じなんだろうなぁ……)
 すきですきで、いつだって触れたい亮介はテーブルを挟んだ向こう側のベッドの上、さっさと夢の世界へ行ってしまった。ひとり置いてけぼりをくらった倉持は、ソファに転がって夏休み初日の不安定な夜を持て余している。3時間後に電源が落ちるよう設定してあったエアコンの風は、さっき静かに止まった。じわじわと暑さが復活してくるが、薄手のブランケット1枚すら与えられず身ひとつで寝るというのは、やはりどことなく心もとない。端から見たらただの先輩と後輩でしかなくても、キス以上の行為に及んだことがなくても、曲がりなりにも付き合っている自分がうっかり終電を逃してもこのもてなしなのか。
(ま、あの亮さんだし、期待した俺がバカだった)
 そう言い聞かせ納得しているつもりなのに、亮介のわずかな寝息やシーツのこすれる音にいちいち未練たらしくどきどきするのをやめられない。

 時はすこし前にさかのぼる。
 ひさしぶりの逢瀬だった。1週間ずれたテスト期間。先にはじまるそれに向けて亮介が準備をしているあいだ、さすがの倉持も会いにいくのを控えた。彼のテストが本番を迎えるころ、倉持はレポートの執筆に追われる。入学してまだ数か月では書き方もろくにわからず、なんでもいいからとりあえず指定の文字数は埋めようと、キーボードをがむしゃらに叩く。それからいくつかの徹夜を乗り越えテストに挑み、ようやく今日最終日を迎えたのだ。できたのかできなかったのか、手応えは不確かだったが、こみあげる開放感で心配は吹っ飛んだ。数々の飲みの誘いを颯爽と断って、自宅とは反対の方向の電車に飛び乗る。
 忙しい日々の合間にもメールは欠かさなかった。レポート半分終わったところです、明日はミクロ経済のテストです。早く亮さんに会いたいです、亮さんが恋しいです。亮介の返信はいつだって、気まぐれだ。だったらテストぐらい早く終わらせなよ、自分ばっかりって思ってるのが見え見えでむかつく。半日おいて返ってきたメールの内容に、夜食のカップラーメンを喉に詰まらせごほごほと咽せた。
 2週間半ぶりに会った亮介は、見たことのないTシャツを着ていた。淡いブルーグリーンが夏らしくて、似合っている。
「思ったより元気そうじゃん」
「亮さんに会ったら目が覚めて、疲れなんてどっか行っちまいますよ!」
「人のことを栄養ドリンクみたいに言うな」
「あだっ」
 さっそく落ちてきたチョップに、倉持は頭を押さえながら目を細める。
 夕食は、亮介のアパートから歩いて10分ほどのところにある、昔ながらの中華料理店まで食べにいった。カウンター席から見えるように置かれた古いテレビ、そのとなりの招き猫、壁に所狭しと貼られているメニューの品が書かれた長方形の紙、雰囲気もなにもあったものではないが、味はやたらといいのでときどき来る。
 ソフトドリンクがなみなみと注がれたグラスをぶつけて乾杯をする。
「テスト終了と夏休みを祝って、乾杯!」
「倉持が単位ごっそり落としてることを願って、乾杯」
「やめてくださいよ、縁起でもない……」
「ふふ。自信ないの?」
「よくわかんねーっす。……いんですよテストの結果は出てから心配すりゃあ!今は楽しく飲んで食べましょうっ」
 薄いオレンジジュースをぐい、と一気に飲む。仕事が迅速な店主のおやじがタイミングよく、できあがった料理を目の前にとんとんと並べた。
「うわ、餃子うっめー」
「こっちのチャーハンもいける」
「まじっすか、ひと口もらってもいいですか?」
「うん。倉持のチャーシュー麺ひと口と引き換えにね。チャーシュー付きで」
「へいへい」
 たらふく食べて夜道を歩く倉持の機嫌は、最高潮だった。餃子、チャーハンだけに留まらず、チャーシュー麺もすばらしくおいしかった。徹夜中にお世話になったカップラーメンなど悪いが比べ物にならない。それに明日からはしばらく休みだ、もう勉強しなくていい。早起きもしなくていい。そしてなんといっても、となりに亮介がいる。
 帰らなければいけない時間まで、まだすこしある。
「亮さんのところ寄ってきますね。ロンハー見たら帰ります」
「テレビなら今の中華料理屋に残って見てけば?」
「亮さんもしかして……遠回しに今夜はいちゃいちゃしてもいいって言ってる……?」
「言ってないから。」
「そうですか。じゃあロンハー見ながらいちゃいちゃしましょう」
「だから、言ってないから。」
 いや、言ってる。倉持は数日前のメールを忘れてはいない。自分ばっかりって思ってるのが見え見えでむかつく。つまり、会いたかったのは倉持ばかりではなかった、ということだ。今日の亮介はいつもよりもはしゃいでいるように見えなくもない。はしゃぎきっている倉持が指摘したところで信憑性に欠けるし、機嫌を悪くするだけなので、こころの中でだけよろこんで黙っておく。
「調子に乗りすぎ(ビシッ)」
 二度目のチョップ。どうやら顔に出ていたらしい。しかし、そこまではよかった。
 部屋に帰ってきてソファに腰掛けた瞬間に眠りに落ちてしまったのは、完全な誤算だった。安心感と満腹感の最強タッグにしてやられた。
「…………はっっ」
 目覚めは唐突で、倉持は瞬時に状況が掴めない。ローテーブルの上に置いたノートパソコンをぽちぽちいじっている亮介が視界に入って、ここが亮介の部屋なのだと理解する。それをきっかけに、じわじわと記憶が蘇ってくる。テストが終わって、亮介に再会して、中華を食べて、そして。
「よく寝てたねー」
「え、俺……つーか今何時……」
 時計を見てぎょっとする。終電の時刻をもうとっくにすぎていた。残りの帰る手段をぐるぐると考えていると、亮介がスクリーンから目を離さずに言う。
「泊まってけば?」
「ここに!?」
「ここ以外に心当たりあんの?」
「……漫喫とか」
「俺そこまで鬼じゃないんだけど」
「だ、だって……!」
「とりあえず、風呂入ってきなよ」
 はい。よく来るこの部屋でくつろぐために常駐させている自分のTシャツとスウェットを手渡される。
 湯加減など気にする余裕はなかった。生まれてはじめて、亮介とおなじ部屋でふたりっきりで朝まですごす。亮介と出会ったのがそもそも生まれてからだいぶ後、高校生になってからなのだから、生まれてはじめてと表現するのはおかしいのかもしれないが、そうせずにはいられない心境だった。終電の時間ぎりぎりまでいっしょにいるのとは、雲泥の差だ。現在の時刻、午前1時。この時期の日の出時刻、午前5時頃。これから先の未知の約4時間に、一体なにが起こってしまうのだろう。睡眠という当然の選択肢は、動転する倉持の中からは抜け落ちていた。
 付き合いはじめてからおよそ1年半、キスで止まっている関係の発展を意識しないというのは無理な話だった。無防備な亮介がすぐとなりにいたら、朝までふつうでいられる自信がない。現に、そのことを考えているだけでふつうでなくなりかけている。
(落ち着け……落ち着け俺……!)
 両手でばしゃばしゃと湯を掬いあげて顔に掛けてみるも、鼓動は収まらない。
 これ以上浸かっていても怪しまれるし、のぼせる。意を決して風呂からあがってきたときには、亮介は既にベッドの上に転がっていた。倉持が出てくるまでの暇つぶしに見ていた携帯を、枕元に伏せる。
「亮さん、俺……」
 近づきかけると、亮介の指先がすっと思ってもいなかった方向に伸びる。
「倉持のベッドはあっち」
「へ?」
「枕も掛けるものもないけど文句言うなよ。夏だし。ひと晩なんだし」
「…………」
「あ、電気もよろしく」
 泊まるからといって、なにも寄り添ってすごすとは限らない。しかし、泊まってけば?と言われた瞬間からそのことしか考えられないでいた倉持にしてみれば、肩すかしを食わされたも同然だった。勢いがついていたぶん、ダメージは大きい。
「はい……」
 照明を落とし、ついでに肩も落とし、指されたソファに横たわる。うたた寝程度で不足している睡眠をじゅうぶんに補えたはずがないのだが、いろいろと振り回されたせいで眠気はすっかり影を潜め、もう戻ってきそうもない。
 そして冒頭のシーンに至る。

(待てよ……?)
 一連の出来事を思い出していた倉持は、一か所腑に落ちない部分があることに気がついた。
(なんで亮さん終電の時間に起こしてくれなかったんだ……?)
 ふたり揃ってうたた寝をしていたならこうなってしまうのは仕方がないが、あのとき亮介は起きていた。電車がなくなる前に、ひと言声を掛けてくれればよかったのに。そうしても起きないほど、深く眠っていたのだろうか。あるいは、そうするのが憚られるほど、疲れているように見えたのだろうか。どちらもありえる話ではある。しかしいつもの亮介なら、叩き起こすなりなんなりしそうなものだ。
 なにか他に理由でも、と沈みかけた思考を、声が引き止めた。
「倉持?起きてる……?」
 亮介は眠っているとばかり思っていた。考え事の中心にいたまさにその人に考えを遮られて、どきりとする。
「……え?あぁ、まぁ……起きてますよ。どうしたんすか」
「こっち、来てもいいよ」
「…………!!」
「来るの、来ないの」
「う……、い、いいっすよべつにっ」
「…………」
 願ってもないことだったにも関わらず、驚きのあまり断ってしまった。自分の意気地のなさに嫌気がさす。ごそごそと亮介が身動きを取る音が聞こえて、こちらに背を向けたのだとなんとなく想像がつく。
 今のやり取りで、浮かびあがる可能性。
「……っ。やっぱりそっち行きます!!」
 他の理由もなにも、理由ははじめからひとつしかない。帰らなければいけない時間になっても倉持を敢えて起こさなかった。何気なさを装って泊まっていけば、と言う。勘づかれるのが嫌で一度は突き放す。それでも眠れなくて、3時間以上経った今になって許可を出した。あの亮介が。これだけのことをするのに、どれだけの勇気を消費したのだろう。考えるだけで、胸が締めつけられていてもたってもいられなくなる。
 思い違いでもなんでもいい、とにかく亮介を抱きしめたかった。
「亮さん……!」
 勢いで飛びこんだブランケットはあたたかくて、亮介のにおいがして、頭がかぁぁと熱くなった。すがるようにぎゅうぎゅうと抱きしめるが、冷めるどころか逆の効果しかもたらさない。
「こっち向いてください」
 振り向きざまに口づけた。すべらかな頬を撫でて何度もくり返しながら、華奢な身体に覆い被さる。背中に回った亮介の手がシャツを握りしめるのを合図に、深くなる。歯列や舌、上顎をひとつずつなぞって、すきな人の形や感触を確かめる。濡れている粘膜がこすれて生まれる水の音や荒い呼吸の音に、煽られる。すべてを攫うような口づけは同時に、すべてを捧げるためのものでもあった。すきですきで仕方がない気持ちを惜しみなく注ぐ。それを受け入れてくれることがうれしくて、気持ちはますます膨らむ。
 脚の間に手を伸ばしたのは、ほとんど無意識だった。
「ちょっ、どこ触ってんのっ、倉持……!」
 服越しに触れたそれは緩く反応していて、安堵する。持っているもの全部を懸けたのに、これで感じてくれていなかったら、しばらく立ち直れなくなるところだった。触れているだけで反応がじりじりと濃くなっていくのに、倉持は泣きそうになる。
 身をよじって逃れようとする亮介の後ろから抱きついて、離さない。すっかり立ち上がった自分のものを押し付けて懇願する。
「俺も……、俺もだから、だいじょうぶです……」
 なにがだいじょうぶなのか、言っている倉持でさえよくわからなかったが、伝わるものは伝わったのだろう。じたばたする力が徐々に弱まる。いまにも爆発してしまいそうな心臓が耳の奥をどんどんと叩くのをうるさいと思いながら、亮介のハーフパンツのウエストに指をかける。そっと下ろしても抵抗はされなかった。
「ん……っ」
「亮さん、すきです……、亮さん……」
 包みこんだ手を上下に動かして、直接刺激を与える。表情が見たくて覗き込もうとすれば、亮介は拒むようにシーツに顔を埋めてしまった。恥ずかしがっているのもかわいいからそこは妥協して、代わりに項に口づける。熱い吐息の合間に、くぐもった声がこぼれる。押し殺したそれはこんなに近くにいなければ聞こえないほどの音量だったが、いつもと質が違う。はじめて耳にする亮介の感じている声に、倉持はたまらなくなった。
 先端から滲む水分で、滑りがよくなってくる。
「ふ…、ぁ……っ、倉持……」
「ん?なに、亮さん」
「も……、離せよ……」
「なんで?」
 まだでしょう。耳元で囁く。それだけの刺激に、敏感になっている亮介の肌は粟立つ。
「いいから離せ……、は……っ、ん!」
 肩が一度大きく跳ねた。てのひらに、あたたかな液体が広がる。倉持は、ちいさく震える亮介が落ち着くまで、なにも言わずに寄り添っていた。この勝気ないとしい人にどんな言葉を掛ければ、こころを満たすやさしい気持ちを怒られずに伝えることができるのか、ふやけた脳みそで考えながら。なんともしあわせな時間だった。
 結局でてきたのは、さっきからくり返しているありふれた言葉だ。
「すき」
「……ティッシュ」
「は?」
「そこのテーブルの上の。早く拭きなよ」
「あ、はい」
 ベッドに横たわったまま片腕を伸ばして、数枚引き抜く。適当に拭っていると、乱れた衣服を整えながら亮介が呟く。
「……俺もだよ」
 なにに対する俺もなのか理解したとき、感動でごまかされていた中心がふたたび熱を持って疼いた。見逃さない亮介が、今度は倉持の衣服に手をかける。
「わ、りょ、亮さん……」
「さっき背中に思いっきり当ててたでしょ。俺もやられっぱなしは嫌だしね?」
「……っ」
 突き抜けた快感に、思わずぎゅ、と目をつぶった。亮介に触れられている、そう意識するだけで限界が近づく。そう簡単に果ててしまうのは悔しいから、倉持は亮介の空いているほうの手を握りしめて、感覚をやり過ごそうとする。しかしそれすら見抜かれて、くすくす笑われる。多少の違いはあれど基本的な構造は変わらない。どこをどうすれば気持ちがいいのかはわかりきっている。だからはじめてでも戸惑うことなく亮介の快感を引き出すことができたのだが、それは亮介にとってもおなじだ。こんなときになって、男同士って厄介だな、などと考えた。
「気持ちいいんだ?」
「は……っ、すっげーいい……亮さんうまいっすね」
「慣れてるみたいな言い方やめてくれない?」
「や、そういうんじゃなくて……ん、……あっ」
「あれ、早かったね……」
「〜〜っ。いつもじゃないっすよ!今日は亮さん触ってるときからやばかったんですっ。すっげかわいいから」
「男にかわいいとか言うもんじゃないよ」
「すいません」
 ちゅ。くちびるにちいさく音を立てて口づけたら、かっこよく攻めていたのが一転、ぽっと頬を赤く染めたりするから、倉持は注意をされた傍からおなじ過ちをくり返しそうになった。そそくさとスウェットを引っ張りあげる。
「もう寝るよ。倉持がへんなことはじめるから朝になっちゃったじゃん」
 ブランケットにくるまって丸くなる亮介の姿に実感が押し寄せて、大きく息を吸いこんだ。よっしゃああ、とでも叫んでガッツポーズを決めたい気分だ。沢村のおーーし!おし!おし!にうるせえんだよと常々切れてきた立場だというのに、これは緊急事態である。どうしよう、亮さん!寝ると意気込む亮介を引き寄せて、懲りずに抱きしめる。そろそろしつこくて怒られるのでは、という予想に反し、亮介は倉持の高鳴る胸に顔を埋めた。どうやら亮介も緊急事態のまっただなからしい。
 窓の外はぼんやりと白みはじめている。



おわり

終わらないループに陥って死にそうになりました。攻め亮さん苦手でしたらごめんなさい〜;これだけの事でこんなになってしまう倉亮、一線越えられるんだろーか。長々した話におつきあいくださり、ありがとうございます。2012.10.18

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