全力疾走中 | ナノ

∇ 全力疾走中


 "疲れてるからなんにもしたくない"。亮介から返ってきたメールの内容に、倉持の頬はだらしなく緩んだ。――今日はこうきましたか、亮さん。
 通う大学が離れているせいで、倉持と亮介の生活圏は重ならないどころか掠りもしない。もしもふたりが付き合っていなくて、会う努力をしなかったら、道でばったり出くわすなんてことはまずないだろう。しかし現実にはふたりは付き合っていて、倉持は努力を惜しまない。暇さえあれば、亮介の生活圏にまで足を伸ばし、会いにいく。あれもしたいこれもしたい、行きの電車に揺られながら膨らむ計画は、会ったとたんに舞いあがってしまってほとんどが果たされない。それでも帰りの電車の暗い窓に映る倉持の表情は、並んだ乗客の疲れきったそれとは対照的に、へらりとしているのだった。
 亮介はなし崩しに物事が進んでいくことを嫌がる。倉持もそれに異論はなかった。高校時代にあんなに苦労して通じ合わせた、真剣な思いは今も変わっていない。スマートに運べなくても、うやむやにせずに段階を踏んで進んでいけばいい。通いつづけているうちに入り浸ってしまうのは、倉持としても不本意だった。だから会いにいくときには、ちゃんと事前にメールで許可を取る。
 最近はそれだけではない。行ってもいいですか、という質問に対する返事をひそかにたのしみにしている。そもそもあの亮介が、そうやすやすと許すわけがないのだ。はじめのうちこそ、亮さんは俺に会いたくないのかな、と心配もしたが、一度も来るなとは言われない事実に気づいてしまったら、つれない返事がかわいくて仕方がなくなった。それにしても、今日のこれは。
「あまえてるようにしか聞こえねえよな…」
 少し考えて、メシなら作るしマッサージもします、と返す。他人の目には、倉持ばかりが必死で格好悪いように映るのだろうか。それでも構わなかった。亮介相手に、体裁など気にしている余裕はない。

 行き慣れつつあるスーパーで、特売品の豚こまと野菜を何種類か見繕う。白いプラスチック袋をぶら下げて、亮介のアパートまで歩くこと約3分。ドアの前で軽くひと息ついて、インターホンを押す。
「亮さーん、俺です!」
 ドアが静かに開いて、部屋着姿の亮介が現れた。
「俺じゃ誰かわかんないよね。お前ぐらいしか来ないけどさ……」
「へへっ。友達とか呼ばないんすか?」
「週に3回も4回も押し掛けといてよく言うよ」
「それもそっすね!」
 玄関にあがってすぐのこの背中を、想像ではもう何度も抱きしめた。そのチャンスは一瞬で、今日も逡巡のうちに終わる。大人しくプラスチック袋を傍らに置き、スニーカーをもたもたと脱ぐ倉持を待たずに、すたすた部屋の奥に行ってしまう。あーあ。更新された連敗記録にひとりで軽くへこんでいると、腕の届かない位置で亮介がくるりと振り返った。
「それ、いくら掛かった?」
 視線で袋を指す。
「300円とちょっとです」
「わかった」
 倉持が夕ごはん付きで来るのは、あまり珍しいことでもない。そういうときの費用は亮介持ちだった。残った食材はここに置いていくことになるのだし、亮介も食べるのだから当然といえば当然だが、安くはない電車賃を負担して来る倉持を気遣っているように思えて、そんな些細なことにも浮かれる。
「作りはじめていいっすか?」
「どーせもう腹減ってんだろ」
「ばれてました?キッチン借りますね」
「ん」
 フロアソファに転がって、雑誌を読み始める。倉持が来る前からそうしていたのだろう。ざくざく野菜を適当に切りながら、リラックスしている亮介に話しかける。
「疲れてるって言ってましたけど、今日なんかあったんですか?」
「べつに、ふつうに授業行っただけだけど?」
 なにもしたくないほど疲れているという言葉をあっさり覆すかのように、しれっとそう答えるのは、倉持の予想の範疇だった。こみ上げてくるくすぐったいなにかに耐えるように肩をすくめる。亮介の注意がこちらに向いていなくてよかった。こんな顔をしているのがばれたらたぶん、チョップどころでは済まされない。
 仕上げの調味料が加わっていいにおいがしてきたころになって、亮介が肩からフライパンを覗き込む。
「わ……、油はねますよっ」
「なに作ってんの?」
「肉野菜炒めっす」
「へーうまそうじゃん」
「そりゃあ、愛がこもってますから!」
「…………」
「無視!?」
「……あ、ごめん。ちょっとひいてた」
「亮さん〜」
 茶碗に盛るごはんの量は、あのころに比べるとずっと少ない。

 皿洗いを終えて、食事前とおなじ場所でおなじ雑誌を読んでいる亮介を見下ろす。
「マッサージ、しますか?」
「なに、ほんとにしてくれんの」
「もちろん!そういう約束じゃないですか」
「そ。じゃよろしく」
 亮介はページの端を折って雑誌を閉じると、うつ伏せの体勢のまま上体の力を抜いて横たわり、組んだ腕に顔を埋めた。このままマッサージしろということなのだろう。
「どこマッサージして欲しいっすか?」
「全身」
「はいはい」
 肩と背中からはじめるか、とソファに乗りあげ亮介の腰の横あたりに膝をつく。ここまでの倉持には下心はなかった。読み物ばかりしている亮介に対して、すこしは構ってほしいなと思っていた程度で、マッサージしますかと訊ねたのもあくまでメールでそう言ったからだ。メールを打っていたときにももちろん、変な気はなかった。
 ところが亮介の温度をしかと感じる距離で、さきほどは届かなかった無防備な背中を真下にしたら、意識がどこからともなく吹き出して急激にどきどきしてきた。沢村相手だったら、なんの躊躇もなく抱きつくような体勢だろうがなんだろうが技をかけることができるのに、相手がすきな人になったとたんにこの違いはなんだ。
 どこに手をついたらいいのかもわからず、内心だぁぁ!とかなぁぁ!だとか叫んで悶える倉持に、訝しむ亮介の声が掛かる。
「ねえまだ?」
「う…、今しますって!」
 細い首すじが目に入ってしまったらもう、だめだった。後先のことがうまく考えられなくなって、そうっとそこに顔を近づける。
「……!!」
 あとすこしで口づける、というところで、腿の裏側に衝撃が走った。亮介のかかとだ。
「なんかマッサージ以外のこと考えてない?」
 呆れて振り返った亮介が間近に見たのは、頬やら目元やらを赤くした倉持の情けない表情だ。
「〜〜っ」
「なにしようとしてたのかな」
「だから……っ」
「ん?」
「……キ、キスですよ!キス!」
 ソファから退こうとする倉持のすんませんでしたという台詞と、亮介のすれば?という台詞がちょうど重なった。
「いいんですか?」
「そういうこといちいち確認されると気まずいよね」
「え……と、じゃあ……します!」
 振り返る亮介の顔にてのひらをすべらせて、くちびるを重ねる。背後のかかとは相変わらず威嚇するかのようにゆらゆらと揺れていたが、もう倉持を攻撃することはなかった。うすく目蓋を開けば、しっかりと目を閉じる亮介の頬が上気しているのがぼやけるほどの距離で確認できる。自分ばかりが踊らされているわけではないということがうれしくて、倉持はそこにも何度かついばむような口づけを落とす。
 こんなに恋人らしい雰囲気になったのは久しぶりだった。



おわり

こっちを先に書くべきだった…。倉持がかわいすぎたので、次は亮さんをかわいくします。当然このふたりはまだ一線を越えてません。2012.10.10

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