言葉の応酬 | ナノ

∇ 言葉の応酬


 空へ向かって落ちる。この瞬間はいつも、そんなちぐはぐがまかり通ってしまうような錯覚にとらわれる。
「んぅ、…はぁ……っ」
 春市の手が、重なった降谷の手の指を巻きこんで、ぎゅうとまるくなる。慣れない横向きの体勢で受け入れたぶん、馴染むのにいつもよりも時間が掛かっている。すくんでちいさく震える肩や首すじに幾度となく口づけるのは、抽象的にしか感情を表現しない降谷が恋人の前でだけ見せる、直接的な慈しみの表現だった。繋がっている箇所は熱く、時折戸惑うようにひくついてはきつく圧迫する。意思がうまく反映していない発作も似たそれが起こる度に、春市は降谷の手を握り直す。口づけが落ちる。跳ねあがった心拍数が、すこしだけ落ち着く。
 なにも生まれないはずの逸脱した行為は不思議と命に満ちていて、ふたりしてこんなに必死になってなにをしているのだろう、とは決して思わないのだった。
 溺れていた呼吸がだいぶ穏やかになったころになって、待ちかねた降谷はあまえるように腰を擦りつけてみる。
「はぁ…、降谷くん…」
「そろそろ、落ち着いた…?」
「うん。…それよりさ…、今日はバイトどうだった?」
 溢れかえる思考のすべてが春市に向いている降谷には、その問いかけがまるで外国語のように聞こえた。ぽかん、としてからもう一度言われたことを頭の中でくり返し、そしてようやく理解した内容にまたぽかんとする。
「……え、なにいきなり」
 背後にいる降谷の姿は見えていないはずなのに、ぽかんの雰囲気はじゅうぶんに伝わったのか、春市はこうしているときにしか聞かない、くぐもった声で笑う。しっとりと垂れ下がる空気がほのかに揺れた。
「いいじゃん。たまにはおしゃべりしようよ」
「…この状態で?」
「うん…、だめ?」
 おあずけを食らっている気がしないでもなかったが、たのしそうな春市の言うことに逆らえる理由がどこにも見つからないのだった。ふたりの間柄について知る人はまず、あのマイペースな降谷に春市がせっせと尽くしているというイメージを抱くのだが、その実、あのマイペースな降谷も春市にはかなり振り回されていたりする。
「いいけど…」
「よかった。…えーっと、なんの話だっけ?」
「いや、話振ってきたの春市…」
「あ、そうだそうだ、バイト」
 おしゃべりができるのならなんでもいい、と適当に振ってみただけのつまらない話題だった。それでも夢ごこちな脳みそでは他にいいことも思いつかない。背を丸めた降谷が左の肩に顎を乗せ、ふ、と息をつく。
「いつもと変わんないよ」
「それじゃつまんない。なんかあるでしょ」
「…社員みたいな人に怒られたけど」
「なんかそれって、いつも怒られてるみたいに聞こえる」
「………」
「ははっ、まあいいや。なんで怒られたの?」
「愛想がなさすぎるとか、接客の心得がどうのこうのとか…。あの人たまにしかこないくせに…むかつく」
「ふ…、あははっ」
「なんで笑ってんの…」
「だって営業スマイルで接客する降谷くんとか…ありえないし」
「………」
「そんなたまにしか会わない人の言うことなんて気にしないでいいよ。うん。降谷くんはそのままでいい。ていうかそのままがいい」
「………」
「それに愛想はないかもしれないけど…、感情は豊かだもんね。僕よりずっとさ」
「春市…」
 誇らしげに言う春市に、それこそ豊からしい感情がこみ上げて、ぜいたくにも繋がっているだけでは足りなくなる。さっきよりもすこし強く揺らして、さっきよりもすこし奥へ入り込む。そうなると予想していなかったのだろう、慌てて口を噤んで飛びだしかけた息と声を飲んだのがわかった。
「………っ」
「やっぱりもう動きたい…。もっと欲しい、春市…」
 ちょこんと覗いている耳が赤くなる。
「…どうしたの、いきなり…っ」
「春市がそういうこと言うから…」
「そういうって、どういう」
「なんでもいいじゃん。…おしゃべりはもうおしまい」
「は…っ、…、わかったから…、ゆっくりして…」
「これぐらい…?」
「…ん……」
 恥じらう余裕もないぐらいめいっぱいに感じる春市もいいが、ぼんやりとした快感をいっしょうけんめいに追いかける春市もよかったから、言われたとおりにゆるゆると尽きない欲を小出しにする。溶けてしまうには及ばない温度の、ほっとするような心地よさがじんわりとすみずみまで浸透してゆく。こういうのもたまには悪くないと、降谷は新たに知る。
 よかれと思って春市の中心にそっと触れれば、拒むように手首を掴まれる。
「や…っ、さわんないで…」
「…なんで…」
 こんな些細なことでしゅんとしてみせる降谷の手を取り、ふたたび指を絡ませる。
「まだわかんないかな…、だから…今日はなるべく…な、長くって、思っ」
「……!」
「わっ、……あぁっ」
 みなまで言われてしまう前に、顔が見たかった。唐突に引き抜いたときの強い刺激に、つややかな声があがる。覆い被さって至近距離で見つめた春市の表情は、いささか乱雑に扱われたことに対する不満の色も含んでいたが、たった今どんなことを口走ったのか自覚はあるのだろう、照れているといったほうがずっと的確だった。とんでもない殺し文句をひと晩にふたつも紡いだ唇をふさぎながら、繋がり直す。
 そしてまた、世界はまっさかさまにくつがえる。



おわり

迷走に迷走。えろくないえろを目指してみました…。次こそはかわいい降春を書きたい。2012.09.27

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