デートじゃないけどね | ナノ

∇ デートじゃないけどね


 高架下をくぐり、南口のアーケード商店街に足を踏み入れる。入ってすぐの、行ったことはなくても存在だけはしっかりと認識していたラーメン屋さんが、いつの間にか唐揚げが自慢のお弁当屋さんに変わっている。それを見つけた春市がすかさず指をさしたが、対する降谷の反応は、おいしそうだね、というちょっとずれたものだった。そうじゃなくてさ。説明しようか短いあいだ悩んだのち、一度出した右手を大人しくパーカーのマフポケットに引っ込める。そして瞳だけを動かして、となりの降谷が歩く様子をそっと探った。日々下がってきている気温にも負けず凛とまっすぐに伸びる背筋は、たった今聞いたピントの合わない台詞とは似ても似つかない。
 休日といえど、電車に乗ってどこか特別な場所にまで出掛けるのは億劫だった。しかし1日中部屋でだらだらしているのもそれはそれで不健康、ということで結局、見慣れた街をぶらぶらしている。
 こんなときにこそ済ませておきたい細かい用件はいくつかあった。なぜだか少しずつ勝手にいなくなって揃わなくなるくつ下をそろそろ買い足しておきたいとか、今すぐなくても特別困るわけではないけどできれば寝室にフロアランプが欲しいとか、残り3分の1ぐらいになっているボディソープの詰め替え用があったら安心だとか。どれも差し迫ってはいない。やたら生活感のただようそれらを、せっかくだしまとめて片付けてしまうのもいいだろう。春市は頭の中で、これから寄らなければいけない店と効率のいいルートを考える。安いアパレルチェーン、ドラッグストア、ちいさなインテリアショップ。その他にも気になった店には寄ってみよう。なんにも考えていない降谷はただついてくるだけだ。
 アパレルチェーン店の、3足セットのくつ下が並ぶラックの前、無地のものを手に取る。
「これでいいや。降谷くんは?」
「僕もそれで…」
「まったくおんなじだと洗濯したときわかんなくなるからやめて」
 そう言ったとたん大した種類もないのに悩みはじめた降谷を置いて、入荷したばかりらしい冬服を目的を持たずにチェックする。今年もヒートテックはわりと売れている。店いち押しの、いろいろな色のニットが山積みになっている。着ているパーカーを脱いで、シンプルなカーディガンを羽織ってみた。この値段なら買ってもいいかも。そう思いながら、ふたたび降谷に近寄る。
「ねえ」
「?」
「これ、へんじゃない?」
「………」
「こっちの薄いグレーと、」
 ごそごそ。もうひとつの候補に着替える。
「こっちのブラウンと、」
 ごそごそ。
「ネイビー。どれがいいと思う?」
「うーん…」
 くつ下そっちのけで、しばし考え込む。ふたりとも、ひとつのアイテムに何万もつぎ込んだり、特定のブランドを毎シーズンチェックしたりするほど、ファッションにはこだわらない。それなりの値段でそれなりの着心地のものを、それなりに着こなしているだけだ。お互いの私服に文句はもちろん褒め言葉をつけることすらまずない。
 だから、ネイビーを羽織ったままの春市とグレーとブラウンの残像を何度も見比べて、何色がいちばん似合うかどうか吟味している降谷というのは恥ずかしかった。なんでこんなこと聞いちゃったんだろう、適当に自分で決めればよかった、後の祭り。
「ネイ…グラウン」
「ん?」
「全部、似合ってる」
 聞いたこともない新色を告げた顔はどこか惚けていて、横にでている吹き出しを例えば「すきです、付き合ってください」にすりかえてもきっと誰も気がつかない。却って購買意欲を削がれてしまった。そそくさと畳んで、それぞれの色の山のてっぺんに戻す。くつ下のラックからランダムな1セットをひったくった。
「くつ下だけ買ったら、もう行くよ。降谷くんのはこれね!」
「セーター買わないんだ…。似合ってたのに」
「今日は、いい」
「ふーん…?」
 すきです付き合ってください、なんて実際には言われたことがない。これだから天然は。

 ドラッグストアで、セールになっていたボディソープと、ついでに歯ブラシを買う。ガム、オーラツー、クリニカ、どこのにしても降谷がブルー春市がグリーンというのが定番になりつつある。レジの列に並びながら取り留めもない話をしていたら、すぐ前にいるお姉さんがちらりと振り返り、どういうわけか微笑んだ。
 それからCDショップに寄って、川上先輩がいいと言ってたのと、御幸先輩がいいと言ってたのを視聴してみる。御幸先輩セレクトを聞きながら降谷が、またあの人らしい…、とちいさく呟いたが、春市にはなんのことだかよくわからなかった。どっちかといえば、川上先輩セレクトの方がこのみだ。ヘッドフォンを外して顔を見合わせ、ま、レンタルでいっか、という結論に落ち着く。代わりに向かいのベーカリーで、おやつのシナモンロールとチェリーが乗ったペストリーを入手する。
 フロアランプをチェックしようと訪れたのは、インテリア雑貨を取り扱う狭い店だ。時計や収納アイテム、照明器具、一人掛けのソファなどがところ狭しと並んでいる。
「これは?」
 降谷が指しているのは、無難なデザインのランプだった。シルバーのフレーム、それぞれに角度が調節可能な3つのスポットライトがついている。
「うん。いいかもね。そんなに高くないし。けど」
「けど…?」
「ちょっと明るすぎない?3つも…」
「明るすぎるってこれランプなんだけど。明るすぎて困るときなんて…あ」
「え?」
「あーうん。そういうことね…」
「え、ちょっと、なに?なにひとりで納得してんの?」
「うんうん」
「ちょっと、違うよもう!寝る前に本とか読めればいいなって思ってるだけだから、そんな明るい必要ないし…てゆーかそんなに明るくしたかったら天井の電気ふつうにつけるしっ」
「じゃあこっちにする?」
 今度は、まんまるのテーブルランプを指す。
「こっちは明るさ調節もできるみたいだよ」
「これにしようかな…」
「今買うの?あんまりお金ないけど」
「いいよ、僕が出すから。欲しいって言ってたの僕だもん」
 会計を済ませたとき、レシートといっしょにカラフルなチケットを2枚渡された。首を傾げると、おだんごに髪をまとめているレジのお姉さんが、親切に説明してくれる。
「このチケット5枚で1回くじが引けるんです。商店街で使える商品券とかが当たるみたいなので、集まったらぜひ!会場はすぐそこの角です」
「通りすぎたよね、さっき。やたら騒がしかった…」
「おんなじチケット何枚かもう持ってるかも…。ほら、やっぱり!」
 春市の財布のお札入れには、無意識にためてしまうレシートに混ざっておなじチケットが挟まっている。以前にこの商店街で買い物をしたときに別の店でもらっていたのだろう。数えたら、3枚ある。今もらったのと合わせるとちょうど5枚。それに気づいたお姉さんもにっこり笑う。ぜひ行ってみてください、とくり返した。
 来た道を少しだけ戻る。チケットにプリントされた、商店街のマスコットらしいおちゃらけたサルがウインクをしながら、ハワイのペア旅行券が当たる☆☆☆とか言っている。
「ハワイ当たるかもしれないって」
「ハワイ…」
 どこまでもつづく海と白いビーチ、ヤシの木、ウクレレの音色が浮かぶ。暑いのがすきではない降谷にとって、それは☆がみっつもつくほど魅力的な光景ではなかったが、春市と旅をするのはいいな、と思った。
 会場の前には短い列ができている。順番に、サルのチケットと引き換えに、真ん中に置かれた大きな箱から決められた回数だけくじを引く。正面の壁には、上位の賞品を当てた人の名前がずらりと貼られている。いちばん上、ハワイ旅行の欄はまだ空だ。チャンスはまだ、箱の中に埋もれているらしい。
「そういえば、1回しか引けないけど、どっちが引く?」
「春市の買い物でもらったチケットなんだから、春市でいいよ」
「うーん、でもここはついてる方が引くべきじゃない?じゃんけん3回勝負しよ。じゃーんけん」
「ぽん」
「ぽん」
「ぽん」
 降谷、春市、降谷の順番で勝ち、総合優勝は降谷になった。
「じゃあ、降谷くんが引いてね」
「ほんとにいいの?」
「うん。そのかわり、ハワイ当ててよ!」
 笑いかけられて、降谷のまわりにはごおおお、と見える人には見える炎があがった。
「はい、お兄ちゃん、チケット5枚ね!1回だけ引いていいよ」
 商店街の名前が襟に入ったネオンピンクのはっぴを着たおじさんに、チケットを渡す。ただならぬ空気をまとったまま、降谷は真剣そのものの表情で箱に手を突っ込んだ。あたりくじは、底の方に隠れているのだろうか。それとも案外、上の方にあるのかもしれない。けれど手を突っ込んだときに、上の方にあったくじが底に沈んだと考えると、やっぱり底か。ぐるぐるかき回す。長いこと選んでいる降谷に後ろに並んでいる人が眉をひそめるのも気にせず、マイペースに1枚を引っぱりだした。
 三角形のそれの端を、おじさんが慣れた手つきではさみを使って切り落として、中に書かれた文字を確認する。一瞬、目を見張った。からんからん、とベルを鳴らす。
「おめでとうございます!!」
(えぇぇ、うそー、ほんとに当てちゃったの!?)
(ハワイ…!)
 ふたたび、ウクレレが鳴る。ざざーん、というのは波の音。
「…でました!特別賞のワイン!」
「ワ、ワイン…?」
「これねー、フランス産でねー、買うと結構高いんだよ!」
「はぁ」
 拍子抜けしすぎてぽーとしている降谷の横で、春市がくすくす笑う。
「ワインだって。それでもすごいじゃん!」

 深いグリーンのボトルが入った細長い紙袋を抱えて、帰路につく。付き合いで飲むことはあっても、家ではほとんど飲酒をしない。強くもなければ、とくにおいしいと思うわけでもない。飲めるだけ飲んで武勇伝(という名の失敗談)を作ってやろう、という若者にありがちなへんな冒険心も持ち合わせていなかった。
「どうしよっか、これ。今晩飲んでみる?ワインに合う夕ごはんってなにかな」
「麻婆豆腐食べたい…」
「ワインに麻婆豆腐って聞いたことないよ」
「………」
「ふたりじゃどうせ空けられないだろうから、みんな呼んでみよっか」
 降谷の左足と、春市の右足がおなじタイミングで前にでる。足首を結んでいないのに、まるで二人三脚のようだった。



おわり

のほほん日常。商店街ってなんかいいですよね。2012.09.15

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