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音が静まった。景色が真っさらに見えた。
間を挟む粉雪は意識の外で、風に任せるまま髪が頬を横撫でる。



「―――…隊長ー!」



ざくざくと走ってきた亀助の声が青琉の背に近付く。



「やっっ…と、追い着いた…。急にいなくなるんですから…ん?」



中腰で息を整えた彼が顔を上げると沢山の人の中に一人、目につく少女がいた。



「子供?」



少女は自分に向けて手を振っている。まるで風景の中の一場面を見ているような気分でその少女を眺めていた。いたいけのない様子から、まだ齢は五つ前後ではないだろうか。
亀助は心当りを探そうとした。しかしその前に少女が懸命に走り出す。雪に不慣れな、おぼつかない足取りで。引き留める母親らしき声を聞き入れもせず、様々を理解する暇も与えず。



「―――青琉お姉ちゃん!!」



目の前で視界を埋めたその顔、その一瞬。はっとした青琉が受け身を取る間もなく少女が抱き着いた。
幸か不幸か、勢い余って倒れる青琉の後ろにいた亀助を下敷きにして周りに白が舞い上がる。



「牡丹…なぜ此処に」



雪に埋もれた亀助などお構いなしに、自分の肩口に顔を埋めている牡丹に聞くと彼女は顔を上げた。
しかし先に「―――…隊長―!…」と、青琉の耳は重蔵の声を拾う。



「やっと追いつきましたぞ。…んん?」



青琉の背中を見ていた重蔵の目が、不意にひょっこりと肩から顔を出した少女を見つける。
牡丹は重蔵を指差しながら声を張り上げた。



「あ、お侍さんいっぱいだー!」



顔を白い息と桜色に染めた頬でいっぱいにして、そうはしゃぐ牡丹に重蔵の顔はぽかんと気抜けした。その後ろから青琉の部下が「なんだなんだ」と集まってくる。



「…た、」



暫く硬直をしていた重蔵が、



「隊長に娘子があああああああーー!!」



驚愕で顔を皺だらけにし眉を吊る。
いつしか風が止まった冬の晴れ空に、野太く黄色い声が響いた。



◇―◇―◇―◇



「大変失礼いたしました………」



重蔵が深く頭を下げた。

伊達屋敷内。検問が終わり、人々が各々居住まいを割り当てられ散り散りになっていく中、ある女性の前で重蔵が土下座をしていた。



「いえいえ、滅相もありません!頭をお上げ下さい!」



直ぐしゃがんで、そう重蔵に伝えるのは牡丹の母だった。その背に直ぐ覗き込むように牡丹が乗っかる。
重蔵の横では青琉が眉をぴくぴくと吊りながら目を瞑り、腕組みで仁王立ちしていた。

もとは重蔵の多大な勘違い。青琉に子供が抱き着いているその図は、彼に【青琉には子供がいる】と思わせてもおかしくないくらい違和感のないものだったのである。
重蔵からしてみれば青琉は年頃の娘。さらには普段の青琉からして子供と戯れている想像などつかない分、現実にそれを見て混乱の果てに結びつけていた。
しかし当の本人は戯れているつもりはなく、寧ろ急に引っ付かれたという被害者である。



「くっくっ…、…HAHAHAHAッ!」



しかしその状況をさらに悪化させるような無遠慮な笑いが起きた。
上座で事の経緯を見ていた政宗は腹を抱えて笑っていたが、落ち着いてくるとその場を見渡し言った。



「…Ahー、面白ぇ。重蔵、お前いいsenseしてるぜ。これからもその調子でそいつを揶揄えよ?」

「私は決してそのようなつもりではおりませなんだ…」

「独眼竜、お前後で殴られる覚悟はいいな?」



火に油を注ぐ政宗により、重蔵への怒りか、自分が苦手なこの状況への怒りか、あやふやだった原因が一気に政宗へと向く。
そんな二人のやり取りを見る小十郎は恒例の溜息をついた。【飽きるほど見慣れた】この流れは今になっては小十郎の待ったも入らない。



「で、だ。言った通り青琉、お前の部屋に頼むぜ」



何もなかったかのように言い渡した政宗に、青琉は突っかかりかけた言葉を引っ込めて口ごもると「…分かっている」と表情を尖らせ返した。
しかし直ぐ「ご面倒をおかけいたします」と青琉を向いて頭を下げる牡丹の母に、極端に驚いて体を構えると少し戸惑った後で「…気にするな」と目を逸らす。



「お姉ちゃんと同じ部屋!」

「牡丹、青琉様を困らせぬようにね」



目をやんわりと緩めて青琉の前でぴょんぴょん跳ねる牡丹。落ち着かせようと牡丹の母がその体をそっと自分の方に引き戻す。
その光景の傍ら、日陰の中に黙って立ち続ける青琉のその顔を見て。



「…」



小十郎は目を細めた。



◇―◇―◇―◇



「私達は部屋に戻る」



ひと段落の後。障子を開けて敷居を跨ぐと背中越しに視線を遣り、青琉はそう言った。障子の裏側に消えた青琉を追ってすぐ牡丹親子が続く。不慣れな牡丹の頭を軽く伏させた牡丹の母は丁寧に土下座をすると去っていった。
その足音が居常に紛れて消えていくと少しして、



「…よかったのですか?」



言葉を発した。政宗がふと目を向ける。
しかし小十郎は真っ直ぐ遠くを眺めているだけだ。



「あの幼子を青琉の側につけて」

「ああ」



『ばいばーい!お姉ちゃん!』



即答する政宗は落ち着いた薄笑いを頬に溜めている。

あの時の青琉の表情。偶々通った縁側の向こうで牡丹と別れる青琉を見つけたあの時。吹く紅葉に彩られ、とても穏やかに佇む青琉がいたのだ。
それは見た事のない、少女を見守る優しい眼差しだった。



「―――少しアイツを戦から遠ざけたくてな」



突然、色を正した政宗に小十郎の目が詮索するように細くなる。政宗は立ち上がり真っ直ぐ外に進みながら言った。



「昔お前に言ったろ。青琉は戦に向いてねぇと」

「…あの時の、ですか」



縁側の端で止まり、空を見ていた政宗が側の柱に寄りかかり腕を組む。



「アイツの周りには常に戦があった。あの湿っぽい顔が張り付いた頃には織田で心が擦り減ってたんだろうさ」



身内を失い、生きていると知った姉を助けたい一心で信じていた自分の行いも否定され、



『黙れ黙れ黙れええええええッッッ!!!』



心が耐えきれなくなっていたのだろう、あの時。意地でも最後まで貫き通すことが出来ず、織田でしてきた己の業を罪と認めてしまったのだと思う。
アイツは分かっていた。
織田のしていたことが認められるものではないと。

この戦の世だ、他人を犠牲とする事を一概に善悪で判断するには難しい。それでも他国との戦で刃を向けるからには、芯に相手の意志を、命を己の国の命へ繋げていく志は持っているのが―――民草を持つ国の将。



「復讐を根っこに織田で長かったアイツは国を守る戦を知らねぇ。守ることを知らなかった。刀を取るからには避けちゃ通れねぇ覚悟に欠けていた」



命を奪う覚悟。奪ってその上に立っていく覚悟。―――己のした事を受け入れる覚悟。
青香のために、自分以外の者のためにあらゆる犠牲に目を瞑ってきた青琉だからこそ、優しさをひた隠してきたアイツだからこそ人から指摘されることは一番に苦しかったのだろう。
更には信じていたあの女に否定され、その行いを自分の所為だと責めている。



「だからオレは驚いたぜ」



『コイツ、俺達を助けてくれたんです!松永の手下から!』

『そうなんです!ボロボロになりながら戦ったって』




「青琉があそこまで身を張ってあいつらを助けに行ったのにはな」

「…それはこの小十郎も同じ」



ざっとその場に正座をした。



「あ奴の成長はまるであなた様を見ているようです」

「…」



小十郎を見て鼻を鳴らし笑うとまた空に顔を戻す。



「アイツは不器用だが優しい。だから重蔵達の様に付いてくる部下もいるんだろう」



…それに青琉が気付いているかは分からねぇが。

―――カコン。と、大きめの竹鳴りが響いた。鹿威しの音である。
中庭の隅で鳴ったそれを始まりとして今まで潜んでいたかのように少しずつ鳥が囀りをしだす。



「―――アイツがあの女と向き合うと決めたなら、」



と。沈黙を破った政宗が背中を離し、



「少しの間だろうが、忘れさせてぇんだよ」



再び外を向く。



「胸張って、今を生きていいんだってな―――」

「…」



小十郎が目を閉じて、向けられた政宗の背中を黙って聞いていた。
それからどれだけの沈黙があっただろうか。
「―――そういや、」と声色の戻った政宗に顔を上げる小十郎。
すると見えた表情は丁度怪訝そうに首を傾げている。



「アイツ、わざわざオレのところに来たんだがお前何か聞いてるか?」

(…あの話、か)



小十郎は心の中で察した。そんな彼の心境は露もしらない政宗は、首だけで向けた顔を空に仰ぎ戻す。



「アイツ、オレに話があったらしいが―――」



『!!―――…』



ひどく驚いて、放心して。青琉が持っていたあの鉄くれを隠したのを覚えている。



「いざオレの前に来ると何も言えないらしい」

「…」



小十郎は静かに言葉を咀嚼した。そして、



「何も聞いておりません」



そう静かに答える。



「…」



政宗は再び顔半分だけ向けてつまらなそうにするが、「そうか」と空に向き直る。



「まぁ、言いたくなったらまた会いに来るだろ」



いざとなったらこちらから会いに行けばいいしな、と軽いノリに戻った政宗の心の声は堂々と音になっていて。聞こえた小十郎に「なりません」と却下された。
が、政宗は聞く耳持たない。

急ぐ必要は無い。今はこうして近くにいるのだから。



「そろそろ戻りましょう」

「そうだな」



ふらっと踵を返した。
やる事は沢山、新しく受け入れた民の事から他国の趨勢まで当主として様々である。
今後は小十郎も付ききりで政宗の側近(という名の監視)に戻り、前の様に執務をサボって木刀に触る事すら望めないかもしれない。



「あー、まいったぜ」



そのまま歩き出すものの、後ろを付いてくる小十郎に妥協策を促そうとちらつかせながら天を仰ぐ素振りをする。しかしそれが功を得た事はなく、いつもの無言に難しい顔というお決まりstyleだった。早速青琉がどうしているか気になってしまう。

青琉が牡丹というあの子供に思い入れているのはなぜだか知らないが、特別な存在なのだろう。此処に来たのは本当に運がいいと感じている。



「………」



一人を好む、…否。
誰かといると話さざるを得ないことに躊躇う青琉は言葉を、人を選ぶ。
それは近付けば近付くほど秘められるが牡丹―――あの少女は、少女だからこそ何のてらいもなく青琉の心を開かせる。そんな気がする。

だからそれに少しかけてみたいと、政宗は小さく笑った。

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