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さく、さくと雪が静かに音を立てる。先程までの喧噪はどこへやらで屋敷への帰路に件(くだん)の一件で動いているような兵はおらず、閑寂を極めていた。
そうか、午の刻―――皆腹ごしらえに屋内へ戻ってもおかしくはない。この雪冷えの中、好んで外を歩く輩はこの奥州に来てそうそう見かけなかった。
居るといても己の屋敷の庭ではしゃぐ子供ぐらいだ。
今はそんな睦まじい話声も聞こえない。

訪ねた時とさして変わらない風景を一人歩く。
大方片倉が既に手を回して騒ぎが大きくならないようにしているのだろう。相変わらず抜かりない。



「…」



それに比べて私はどうだ?



『悪いがお前は部屋に戻ってろ。話はまた今度だ』



私はただ、奴に会いに行っただけか?
書庫まで出向き、挙句、庭まで足を運んだというのに。



『―――部下を助けた事、礼を言うぜ』



見せたくない顔を見せて、気恥ずかしさを覚えて。
何も目的を果たさないまま帰ってきた、



「…、」



不甲斐ない女、そのものだ。



『まだ政宗様に話してねえのか』



ぎゅっと長く強く手を握る。



「隊長ー!」



目を大きくした。なんとも場違いな声に我に返って横を振り返ると男数人が駆けてくる。
彼らは同じく小袖姿で元織田の―――青琉の部下だった。



「良かった!朝からどこを探してもおられなかったので、屋敷の者に聞いたら向うに行かれたと」

「…」



よく喋るこの無邪気な青年は亀助と言った。まだ齢十四の、同じく両親をなくした者。
じっと見つめて、小さな溜息とともに視線を斜め下に落とす。



「だから私はもう隊長ではないと…」



苦い顔で答えた青琉の前に止まる亀助。先頭を切って辿り着いた彼が力強く両拳を作って見上げてくる。



「違います!」

「我らにとって隊長はあなた様お一人」



亀助の言葉を受け継ぎ、後に続いてきた大柄な男は重蔵という。亀助を子供とすれば重蔵は父親と言っても過言ではない、戦に長けた武勇人だ。
短くも濃い髭を鼻に生やし、凛々しく濃い眉をこれまた眼力のある二重瞼の上に乗せている。

重蔵はその雄々しい眉をくっと顰めた。             



「信長公のしてきたことに異を唱え、刃を向けたあなた様の行動こそなすべきものでした。…あの時のふがいない我らをお許し下さい」



彼が頭を下げれば周りの兵士も頭を下げる。説得力のある重蔵はいつも隊の兵士をうまく纏め、律していた。それは信長のやるような服従ではなかったし、人の気質に準じた―――要は世話焼きの上手い男だった。その名残は今も変わらない。

青琉は黙視していた。一見無表情だが、自分の前に数十人の低頭が広がるのは正直不慣れなもので、さらにこんな時に揃いも揃ってと対処に困る。



「なぜ謝る?」



平静を装って返した。



「言っただろう」



『私はお前達を自分の復讐のために利用した。そのための駒にしただけだ』



それは青琉が伊達に来て初めて自分の部下達と会った時だった。
彼らは青琉が政宗の制止も振り切って信長に向かったあの時、そのまま伊達に保護されていた。勝手に託して安堵した通り、政宗は兵士を連れて帰ったのだという。
此処に来てから生きていた事を知った彼らは伊達に生き、少なくともそれがとても合っているのだと表情を見れば分かった。
だから、



「お前達こそ抜けるなら今の内だ。この先少なくとも私は…身内との戦が避けられないだろう」



だからこれが感動の再会などというありきたりの未来に行きついては何の甲斐があろうか。
私は一度、手放した。
文字通り、捨てたのだ。

青琉は目を伏せているかいないか分からないくらいのところで瞳を止めた。

心残るものにならないように、



「―――私の因縁に巻き込まれて死にたい奴は勝手にしろ」



守るものを作らないために。

青琉は凛とした眼差しを正面に戻し、そう突き放った。
―――それでも。
部下の中には息を飲む者もいるが、青琉から目を離す者はいない。
次の言葉を待ち侘びるように見つめていた。―――僅かに物憂げな色を宿して。



「…」



そんな彼らを睨み付けながらも無言が続く。雪がちらちらと降っていた。ずっと音も立てずに降り積もっている。
しかしふと、体に積もった雪が優しい一陣の風に取り巻かれると。



「―――…馬鹿が…っ、」



耐えかねた。

先に情けない声で吐き捨てたのは私だった。
それと同時に彼らの表情が承諾の意と汲んで花開く。

顔を斜め下に逸らした青琉は髪で見えないと踏んで唇を震わせた。肩も力んで揺れそうになるのを、零れる感情を曝しそうになるのを必死に押さえつける。



「……」



こんなこと、認めていいわけがないと分かっているのに。
私は。

亀助は分かりやすいほどに困った目を大きくして「た、隊長!?」としどろもどろしていた。
重蔵を始め他の者達も穏やかに見合って、喜びを分かち合っている。



「お前達を死ぬまで使うぞ、いいんだな?」

「御意に」
「我ら、あなた様をずっとお待ちしておりましたから」



背を向け、脅迫めいてやっと強がった言葉も。



「この命、あなたに賭す事こそ本望にございます」

「…っ、」




その言葉で直ぐ剥がされそうになる。
そんなもの、私が望んではならない機微だろう。



「隊長」



呼ぶな。そんな目を向けるな。
私は弱い。お前達の思うような、奴じゃない。

お前達はいつの間にそんな、強い心を。―――折れない意志を手に入れた?

誰もが真っ直ぐとした目と頼もしい顔つきで青琉を見つめる。青琉には見えなかった。振り向いて目を合わせることが出来なかった。でも、

(…そうか)

自然に目に入ったのは彼らの見つめる先。遮るもののないしじま、氷雪の吹きすさぶさざめきだけが鼓膜を叩く―――この景色。
目を細めた。
このかじかむ寒さ、視界を妨げる雪霰、足場を奪う氷上。

(お前達は先に、この地で戦っていたのだったな―――…)

青琉はそっと目を閉じる。



「―――好きにしろ」



進む足。「…はい!」「応!」「承知」と各々の返事のもと、ざくざくと雪音が重くなった。―――人の数だけ足音と軌跡を残していく。

織田の因縁に、望月の因縁に再び引き戻すことになっても。



「…」



ついてくると、命を懸けると言う者達がいる。
私は、



「……―――、」



また手放せなかったらしい。



「そうだ!独眼竜と片倉様達がさっき正門に向かってましたよ」

「どうも神妙な面持ちで急いでいましたが、何かあったのでしょうか?」



並んだ亀助が言い出した例の件で状況を思い出す。
百を超える他国民の受け入れ。円滑に進まないのには彼らもいるからだ。
伊達が受け入れられる枠を少なくとも自分の部下が占めている。



「………」



それ故の自分の立ち位置をどうすべきか、また青琉は一人で悩もうとしていた。
しかし、



「俺達も向かいましょう!」



知らない亀助は、はつらつと提言する。それが案じ始めた青琉の空気を強制的に吹き飛ばした。



「妙案だ。我らも何か役立てる事があるやもしれん」

「…なっ」



重蔵も当たり前のように後ろで頷く。

彼らに知れるのはまずい。そう思った青琉はすかさず止まり、焦り混じりに後ろを見た。



「おい待て。その独眼竜に言われて私は戻ってきたのだが」

「独眼竜のところに行っておられたのですか」

「そうだったんですか!?…にしても流石だなあ独眼竜。隊長が言う事聞いて―――ごへっ!」



重蔵の言葉に次いで一言以上多く発した亀助の言葉は見事青琉の拳骨により打ち止められる。
それを見て他の者が小さく笑うが、彼女の一望によりすぐ咳払いをした。



「…やはりゆく」



それで直ぐ堪忍袋の緒が切れた青琉も部下達にとってはとんだ困り者である。



「いや、やっぱり此処に居ましょう隊長!!」

「独眼竜が此処にいてと言ったのであれば大人しく待ってましょう!?」



と困惑し始めた部下達の言葉は最早遠い。色々と重なりすぎて頭に血が上り切った青琉は、走ってくる亀助達の余地を許さない勢いでずんずんと門を目指す。

(何が“流石だなあ独眼竜”だ。私は決して、決して奴に下ったわけではない!)

意味不明に辱められた気持ちになって、それも気に食わなくて。
半自暴自棄に歩き、気付けばかなりの距離を進んでいた。風が邪魔をして途中から彼らは追いつけなくなっている。代わりに遠く、行く手を阻むように並んだ人の群れが見えてきた。
少しずつ風は止み、霧雪の向こうに。



「―――!」



見知った顔を見つける。

正門は半開きをし、入り口で丁度政宗と小十郎がその親子に話かけていた。応える母親。側で頭に布を被り、首元も巻いて退屈そうにしている少女が何気なくこちらに顔を向ける。
すると大きく目を輝かせて、



「―――お姉ちゃん!」



と満面の笑顔を咲かせた。

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