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ばっと地図を広げた。縁側の上、小十郎はじっとそれを見ながらある一点を始点になぞるように指を差していく。



「各地で謎の襲撃が相次ぎ、村や町を追われた民が流れてきております」

「例の松永の残党か?」



政宗の問いに小十郎は頷く。



「断定するには時期尚早ですが、織田がなくなり牽制が緩んだのも事実」



前回の松永久秀の騒ぎもその一因だとこの場にいる誰もが理解していた。魔王が討たれたと日ノ本中に広まり、一番大規模な動きに見舞われた伊達と武田だったが、その報せは今や魔王の件に次いで他国にも知れ渡っている。
しかし何処の国も周りの出方を窺っているのか、松永の一件以来、自国の勢力拡大の動きは全く見られない。
兵力増長や武具補充など、織田包囲網を中心に何処ぞの国も反撃の機会を狙っていた織田の時代。それもあっという間に移り変わり、束の間の平穏はこの流浪民の増加によってまた、動乱の時代の幕開けをしようとしている。



「多くは尾張、近江―――あの一帯から来ているようです」



まさにぴたりと合致していた。
織田の残した傷跡、そのほつれ。まさにその一帯は治める者をなくし右往左往する民で溢れているという。
あんな織田の治世でも民にとっては衣食住に与れる自分達の場所だったのだ。尾張ほど圧政にはない近江でも、簡単に賊が手出しを出来ない状況下、ある意味民は生き延びてこれた。
多くはほど近い加賀に流れ、他、南は土佐、薩摩―――北は三河、甲斐、越後まで流れついていると話は耳にしている。他国がどう取り合っているのかは分からないが簡単なものではないだろう。

小十郎は地図上の尾張、近江からすっと指を北へ滑らせた。そして声色に緊張を混ぜて告げる。



「今し方、門前に多数の民が押し寄せてきました」


小十郎の指が奥州を差す。
目を丸くした政宗と青琉はその場で表情を固めた。
次いで青琉が顔を顰める。



「門兵達が事に当たっていますが、なにせ数が多い」

「どのくらいだ」

「百は居るかと」



政宗の目も鋭くなる。



「…」

「―――いかがいたしましょう」



小十郎はいつもと変わらぬ揺るがなさで政宗に炯眼を向ける。

とうとう此処にも来たかと、しかもこの凍えるような時期を選んで来たかと誰しも思う。
それでも答えは政宗の判断にかかっていた。

他国からの大多数の民を受け入れるには危険が伴う。単に民を受け入れるだけならまだ容易いが、あくまで素性が知れぬ者達だ。同盟関係にある国の民なら話は別だが、もしかするとこの不穏な動きに乗じて紛れ込んでいる不逞者がいるやもしれない。それを確かめるためにも検問は必須となる。
それだけではない。数十人であればまだ城の中に受け入れが利くが、話の数となると村への負担も考える事になるだろう。

冬の備蓄は自分達が冬を越すためにもとても貴重だ。しかしこの雪の中で訪れた者達を放置しているわけにもいかない。

この冬に、しかも他国の民を養うだけの負担を村人にかけるのは城主としていかがなものか―――。
素性が知れぬ者達の受け入れに是か否か、どんな言葉を以て小十郎を説き伏せるのか―――。

それを見定めたい小十郎からの問いも兼ねた間だった。



「…」



政宗は地図を射るように見ながら黙っていた。そんな政宗の横の青琉も難しい顔で黙りこくったままだ。そして。 



「―――いつまでも放っておけねぇだろ」



そう口を開いたのは瞑目した政宗だった。青琉の目も彼に切り替わる。
座っていた縁側から腰を上げると草履を履き捨て、屋敷に上がった。



「オレが出る」

「!!御身自ら前に出るなど…!」




すかさず小十郎が食いつくように政宗を見上げる。掴みかかっていきそうな身の乗り出し具合だが、政宗はその返しにも慣れたもので悠々と腕組みをして、目線横に涼しい顔である。



「門の奴らが対処するとなりゃあ、検問やら諸々オレにくるまで時間がかかる。…そうしてる間に、本当に路頭に迷ってる奴らがぽっくり逝っちまったら後味悪いだろ」

「しかし、」



小十郎は渋る。

奥州の冬は特別極寒だ。政宗の言う事ははったりなどではなく、事実雪の寒さで人を殺す可能性があるという話だった。それは小十郎も知っている。
いや、雪国に住む人間には常識で、まして相手は雪を知らないような国の民。
小十郎の眉間の皴がさらに深く濃く刻まれた。



「そいつらはこの雪の中訪れた客だ。
伊達を選んで訪ねたからにはその面、拝みに行かねぇとな」

「…」



小十郎はまだ反論の意志を宿して政宗を凝視している。
口を挟めない雰囲気だった。
もとより先立ってまでその雪に翻弄されていた青琉は、話を汲み取り想像を膨らますので精一杯で、緊張感の中、身動きが出来ないでいる。



「―――全く…、」



痺れを切らし小十郎が先に下を向いた。



「心からの賛同とは参りませんが、最も早い策は仰る通り」



―――既に城の者達には温かい米、汁物を用意させております。と小十郎が付け足す。
すると呆れたような慣れたような無表情で政宗は遠慮なく一息漏らした。



「…そういうこったろうと思ったぜ」

「―――急ぎましょう」



小十郎はまだ眉間に凹凸を作って政宗の隣に並ぶ。政宗がぼやいている間に地図を片付け、最早準備万端だった。二人は縁側に沿って歩き出す。

不意に政宗が振り返って言った。



「―――つーわけで青琉、悪いがお前は部屋に戻ってろ。話はまた今度だ」



おそらくこれから忙しくなる、その英気でも養っておけと。
言われた青琉は床に両手を付き、身を乗り出して焦り混じりに目を大きくしている。



「おい待て―――!」



言いかける視界は、政宗と小十郎が丁度曲がり角に見えなくなる時を映していた。瞬間、

≪どくん≫

と視界が二重にぶれる。



「―――…っ!」



上体が床に近付いた。がくんと力が抜けた体がなんとかうつ伏せにならずに済んだのは、腕を曲げて支える事ができたからだ。

(何でこんな時に―――…)

床にある自分の手が目に入る。握り締めて震わせても痛みは引かない。
片手を頭に押さえ付けて、沈んだ視線を元に戻した時には政宗達はいなかった。
手を離す。



「…」



言えなかった。
いや、これから他国の民を受け入れる準備があるのだ。
私の話など聞く暇はない。



「…ふっ」



痛みが嘘のように引いていた。
笑いすら出てきたのはそんな自分を見下してか、それともまた別の諦めに似た感情だろうか。

空から降ってくる雪は後にも先にも変わらず、無音で間隙を埋めていく。
それを見つめる自分の心も穏やかさを取り戻していった。

なんて天は悪戯なのだろう。
私に話すなと、まるで秘めておけと機会を奪う。

じゃら…と懐から出した鉄飾りを見て青琉は目を閉じた。

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