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独眼竜の執務部屋は中心部の米沢城と並んでいる本丸御殿の中にあった。奥州に入り一度、案内の時に流し見た程度だが、近頃の独眼竜は起床就寝もそこで過ごしているほどの多忙ぶりだと聞く。
織田の一件、武田の一件。戦続きだった故の事の収集に目を通し、まだ健在の織田包囲網関連の書状をしたため、民の声に耳を傾け、不在の間の異常の有無や今後についての合議を繰り返す。
そんな中で暫く青琉に会いに来る事すらなく、本当に此処にいるのかさえ不明だと思えるくらい彼は最近の青琉には遠かった。
いや、こうして同じ場所にいるようになったからこそ、前ほど相手の存在を気にかけなくなったからかもしれない。

青琉は今、小十郎の屋敷に泊まり込んでいた。其処から橋を渡り、堀に囲まれた本丸へと唯一繋がる門を潜らなければならないため気軽に立ち入れるものではない。
それでも門兵には顔が通るようで入れてもらえた。礼を言う、と言ったら目を頻りに瞬かせ「は、はぁ…」と凝然とされたのだが、あれはどういう事だ。



「…」



そうこうしている内に目的の作業庫の前に辿り着いていた。襖は左右でしっかり閉じられていたが次の瞬間、両手で開け放った青琉によって室内に朝の明かりが一気に差し込む。

(いない…)

そこは書庫、兼政宗の今回の作業部屋だった。左一列、天井近くに窓が連なり、決して真っ暗ではないが薄暗い。部屋には奥行きがあって、さらに閉じた襖があり、左右には棚とその上に何冊かずつに分かれて積まれた蔵書があった。襖の手前にある机には硯と筆と、何十枚も紙束が積み上げられている。
様子からしてまだまだかかりそうだと思った上に、机の上の雑多な置き具合から大体の事情は察した。



「…」



しかし、いない。
入る前ももしやとは思ったが、いざ近付くと静寂に包まれた無人部屋。特段、用がない限り来ないところを、意を決して来たのにいないというのはこちらとしても納得がいかない。
かといって此処で待つのも腑に落ちないわけで。

(出直すか―――)

刹那、ぶんっと小さな音が耳に入った。鋭い物が空を切る聞き慣れたそれは、遠くからでも分かるくらい体に染み込んでいて。青琉はふと振り返った。



◇―◇―◇―◇



右に薙ぎ、其処から垂直に下ろし真ん中へ刺突する。一連の動作が素早く完結し、時が止まったような静止―――その瞬きには緊張がほとばしった。
…のも束の間、木刀は真剣と変わらない太刀筋で直ぐまた目の前の空を斬り裂き、宙を踊る。

(だから)

中庭で繰り広げられている剣技を斜め後ろに、

(なぜ私が隠れている…)

青琉はその場に留まっていた。角を曲がれば政宗のいる中庭に面する一歩前の縁側の壁に背中を貼り付けて立っている。

彼方は堂々と執務から離れて木刀を振り回しているというのに、何も疚しい事などしていない私がなぜこうしてこそこそとしているのか。
何かとてつもなく理不尽でならない。
こんなところまで足を運んだというのに其処から先に踏み込めない自分も、

(…)

自分でも答えが出ていない状況も。



…私は何をしているのだろうか。



手にある鉄飾りを広げる。

人に話す―――打ち明けるという事はそもそも良しとしてこなかった。
そんなもの必要なかった。
必要とするような大切なものは、もう私には残っていなかったと、そう思っていたから。



『お前は…青香じゃない!!』



青香が生きていると知った時も、直ぐには信じられずに私は数年に及ぶ私を守り続けようとした。
自分の強さだけを信じてきた私を壊さないように必死だった。

だがどうだ。

一番信じていた青香が仇だと知り、青香に恨まれていると知り、あの時の私は正常にものを考えられなくなっていた。
打ち明けた結果は、既にあった溝を確認するかのように。

…自分の無知を思い知るだけだった。
そして、



『明智と連れの女―――…テメエによく似た女の仕業だ』



生き延びてそれを実感し、様々な終わりが私の知らなかった青香を発端として起こった事を知り。
私の生きてきた理由が、縋るものがどんどん崩れ始めた。
…歯止めが利かなくなって独眼竜にぶつけた言葉はむき出しの私だった。

打ち明ける事がこんなに苦しくて制御できないものかと思うと怖くなる。



怖さが過ぎる自分が情けなくなる。



迷って動けなくなる自分が弱くて嫌になる。



(強さとは、―――何だ)



「お前、こんなところで何してる」

「!!」




俯いて細目になった青琉が途端に瞠目する。斜め後ろ、縁側の角には政宗が木刀を肩に担いで立っていた。



「なっ……」



予想外の中の予想外、まさに今の青琉にはそうだった。今だ状況が理解できなくて放心状態の顔を政宗に向ける。そんな青琉を見て、手にある何かを見て、視線に気づいた青琉がやっと鉄飾りを自分の元に寄せて隠した。
逃げるように顔が逸れる。



「…」



政宗は僅かに真剣な目をした。だが次の瞬間には口元に悪い笑みを浮かべる。



「丁度いい、連日部屋に籠りきりで体が鈍っちまってな」



言うが早いか青琉の腕を掴んだ。



「付き合え」

「んな…!?」



掴んだら待つ事もなく、立ち尽くしている青琉を引っ張って中庭に向かっていった。

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