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『気に食わない―――ただそれだけだ』



地に這いつくばって見上げた後ろ姿は女の物とは思えず、凛として目の前に立っていた。
殴り嬲られ転がされた痛さも忘れるほど、一瞬の出来事に騒然とする。
周りにはのされた奴らが、―――今まで自分をそうしてきた奴らが唸りながら倒れていた。自分と同じ年頃の、しかも女に。そう強そうでもない知らない女の返しに。



『…ッ』



―――まだ小さいオレは悔しさと怒りでいっぱいになる。

それがアイツとの最悪な出会いだった。




◇―◇―◇―◇



白い景色。しんしんと空から降ってくる雪でこの地は一面覆われていた。緑自然豊かな様相が隠れてひと月は経つ。



「―――…、」



そんな地で目を覚ますのももう慣れた。
鳥の囀り。雪に反射する陽の明るさ。
…今日は、天気がいいらしい。

雀はちゅんちゅんと外で騒がしく、体を起こした。

肌小袖にもう一枚小袖を重ね、袴を履く。肩に簡素な打掛を羽織って髪を結い、縁側を二足でしかと歩く。時折小さなそよ風で髪が棚引いた。



「お早うございます」



膳を置いて微笑む女中を視界に収めながら、いつもの座敷で朝餉を食べる。

奥州に来てひと月が過ぎた。漸く体も完治に近く、真面に動けるようになったというのに。



「…っ」



カタンっ…

―――青琉は新たな問題に直面していた。



「!どうされました…!?」



引き返そうとした女中が駆け寄ってくる。持っていた箸が落ちる途中で膳に当たって、畳の上にばらけたのだ。



「―――また例の頭痛か」

「!」



頭を押さえて項垂れている青琉にかけられる、どすのきいた声。顔を上げると横の縁側に小十郎がいた。
頭から手を離さずに顰め面のまま見てくる青琉を瞳の中に止め、再び歩を進める。
「一旦下がってもらえるか?」と女中に促すと、彼女は急いで平伏し、そそくさと部屋を後にした。



「…」



部屋には小十郎と二人だけになる。

彼は今だ動けない青琉の前に座り、じっとその様子を黙視した。



「…何だ」

「まだ政宗様に言ってねえのか」



沈黙に耐えかねた青琉の鬱陶し気な態度も気にせず、直ぐ飛んできた言葉に寧ろ青琉が言い詰まる。
面食らった一瞬を直ぐ引っ込めて、じっと黙り込む青琉。



「今でこそ件の顛末書に目を通すのに忙しくしておられるが、いつまでも隠してはいられねえ。
…いずれ知れるぞ」

「…わかっている」



ズキン…



『―――大事にしろよ?』



頭が脈を打つ。
そもそもこんな事態も甲斐を出て聞こえたあの声、



『―――大事にしろよ?』



独眼竜が言った言葉に同じ声が重なって聞こえたのが始まりだ。

奥州に来て数日は何もなく、いつも通りだった。
だがある夜、自分の部屋に向かって縁側を歩いていた時。



―――青琉―――



『!』



また響いたあの声。はっとして空を見上げたが入れ替わりに頭痛が起き、私はしゃがみ込んでしまった―――。

それ以来、頭の痛みが日常的になった。一日に数回突拍子なく起こる。声が聞こえたのはあの二回きりだが、自分の体に何か起き始めているという事は理解できる。



「…」



片倉に知られたのも発端―――奥州に向かう時の私の様子を見抜かれてのことだった。運悪く頭痛の現場も目撃され、次の日に言われたのだ。



「それで、どうする」

「―――!」



その声でやっと前に片倉がいる事を認識する。真面目な表情を一転、呆れた溜息に変えられた。



「何ぼーっとしてやがる。その頭痛、またお前の姉絡みの可能性も無きにしも非ずなんだろ」

「…」



否定するほどの根拠はない。

小十郎はひと間返事を待ったが改めて軽く目を閉じる。



「武田での件―――どうも家宝だけが狙いじゃねえ気がしてな」



態々、もぬけの屋敷を襲撃する利点が見えねえ。



「…」



自分が襲われた時の事が頭を過った。
片倉は腰を上げる。



「お前は本源だ。言えねえもんを抱えてる以上、俺達の信用もその程度だって事を覚えとけ」



そう言って部屋を後にした。



「…ああ」



人気がなくなった部屋の中で小さく答えた。
信用していないわけじゃない。



『少しでも変えてえと思うなら―――行動で、剣技で示せ」



そう。
分かっている。でも。
―――私は。

(私が…信じられない)

ぐっと頭を押さえる力が強くなる。



『あオ、…か』



此方に来てからその話を聞いた。私は青香を―――。

その時の記憶は正直ない。青香が私の首に手をかけた事、その後から武田で目を覚ますまで一切がなかった。
言われて私は、自分が自分の思う以上に恐ろしいと―――思わざるを得なかった。



「…」



この手は、体は此処に存在しているのに。私は私をよく知らない。
私は青香を助けたいのに、傷付けた。
知らない声が独眼竜と重なる。
私は、



『―――異なる時世、先の世から来た人間よ』



私が分からない。

じゃら…と、あの鉄鎖を掌に広げた。
全ては記憶。私の記憶が不確かなまま生き続けている事。
周りが知っていても私にはなく、私に起きていても周りには理解できない。
互いの納得など見えない世界で私だけ藻掻いて…進める筈がない。

(でも)

記憶の事が曖昧で、打ち明ける事が出来なくても
記憶が、記憶だけが鍵だと確信している。
この鉄飾りが示している―――。

片倉に、ましてや独眼竜にも全く言っていない記憶の事。記憶をなくした拾い子である私の話。
青香とは姉妹どころか、生まれ変わりかもしれないという話。
私自身も理解できない事を話すきっかけなど、まだ持てないと思っていたのに。



『俺とお前のlucky item―――かもな』



これが。―――独眼竜と何かの声を重ねるから。



―――青琉―――



―――遠い回顧をみたような懐かしさに胸が騒ぐから。



「頃合い…か」



苦笑した。そんなもので笑い飛ばせるような簡単な事じゃないのに。

青琉は立ち上がった。
空は澄んだ薄水色で、所々筆で掠めたような白墨の雲がかかっている。平和そのものだった。
あれがいつ暗雲に変わるか、片倉の言った通り私は答えを出さなればならない。

青琉は見つめていた手の中の鉄飾りをそっと握った。

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