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がやがやと人が集まって口々に話をしている。
第一の門を潜って直ぐ、立ち並ぶ屋敷を見渡せる此処は武田で一番広く、よく出陣の前に隊が集まる場所だった。今は武田のみでなく伊達ともう一つ、加賀梅鉢の旗を掲げる軍が揃っている。



「…―――青琉殿ー!!」

「!?」




がばっとその影は、立ち止まり振り返った刹那の青琉に抱き着いた。「げっ」と言いたげな引き攣り顔をしたのも一瞬のうちに抱擁の中である。
青琉を見つけるや、ぱあっと顔を明るくし両手を広げて走って飛び着いたのだ。青琉は倒れかけたがどうにか踏ん張り、少しずつ背を起こす。



「良かった…。ご無事で」

「まつ、…なぜ此処に」



まだ顔を肩に沈め、大切に慈しむように離さないまつに対して青琉は手の置き場に困り、まつの腰の両側でその手を彷徨わせている。
そんな青琉を見るのは周りにいた伊達の兵達で、途中まで同じように歩いていたのに今では皆足を止めて穴が開くように見つめていた。呆然と塞がらない口でいる。
その状況が青琉をさらに追い込み、「ッ」と小さく舌打ちをし、目を泳がせ、少し桜色の顔で歯を噛み締めているところに、最悪がやってくる。
先を歩いていた政宗が引き返してきて、横に並ばれ、ばっちりと楽しそうな細目と合ったのだ。

そんな事はつゆ知らず、まつは今だ青琉にぎゅっとくっついている。



「何故って今後の話し合いに―――」
「分かったから離せ!」



漸く両手で引き剥がすと、直ぐに腕を組んで眉をぴくぴくと動かし下から睨むような顔になる。しかし頬は薄っすら赤い。
まつはされるがまま青琉と対面するが特段驚く風もなく、きょとんとしていた。
直ぐに包み込むような表情に変わり、注ぐ細目はまるで子を見守る母親の様だった。



「お変わりないようで…安心いたしました」

「分かっているならするな!」



気恥ずかしさを隠し通そうと声が大きくなる青琉。

というのも前田は織田の使いとしてよく加賀にくる青琉と面識があった。
その頃から無口な反面、何か心に一物抱えていると感じていた前田家の二人―――利家とまつは彼女を気にかけ、まるで両親のように接してきたのである。
その関わりぶりは、「…ではな」と要件を終えて直ぐ帰ろうとする青琉を「お待ち下さいませ!」「少しお痩せになったのでは」と引き留め、「たんと食して下さいませ!」「そうだ!まつのめしは美味いぞ!体力がつくぞ!」と口を挟む隙も無く、無理くりお膳の席に連れていき食べさせたくらいである。それは二度、三度に留まらなかった。

青琉はまだ興奮が収まらない中、横に相変わらずいる政宗を向いて「見るな!!」と一喝する。すると鼻ですんと笑って、



「…先行ってるぜ」



と政宗が離れていった。先に行ったのを絞るようにぎゅっと力んだ横目で確認すると、



「…で」



と、なんとか真顔に戻してまつを見る。



「包囲網に入るのか」



まつは頷いた。



「犬千代様は迷っておられましたが」



と言って後ろの前田利家を振り返った。少し離れた場所で兵士と話している。気付いたのかこちらを見て「青琉殿ー!」と手を振ってくることに「―――っ、」と舌打ちすれすれに視線を斜め下に投げた。再び調子が狂う。
すると頭に「こら」と軽く手刀が降った。



「女子がそのような真似をするものではありません」



きりっと怒った顔だったが、すっと力を抜いたような微笑でまつは見下ろす。



「ほんの罪滅ぼしかもしれません。なれど思うのです。もう少し早く出兵を決めていたら…、」



『長政様…っ…』



「お市様の事―――防げたのかもしれないと」

「…」



青琉は顔を下げ、前髪に両目が隠れた。



「すまん」



まつは目を大きくする。しかし困ったように眉を八の字にして微笑み瞑目した。



「いえ私の方こそ口が過ぎました」



そんな返答の後、次の言葉を待たずに背を向けて離れ始める青琉。



「―――あなたの方が…お辛いでしょうに」



まつの呟きは地面に向けて消えた。
青琉は黙って歩みを進める。いつもの無関心を装っているように、背中を見送るまつには思えた。

彼女は憂えた顔をきゅっと引き締め一歩前に出る。



「行くのですね」



青琉は立ち止まった。だが振り返らない。

その先には集まっている伊達軍がいる。さっきまで周りにいた筈の伊達の兵達はいつの間にか向こうで馬に跨り、出発を待っていた。此方はまばらに人がいる程度で武田の面々も彼方にいる。



「あぁ」



風が青琉の髪を撫で攫う。静かにふわり、その一陣が止むまで持ち上げた。



「いつでも加賀に遊びにいらして下さりませ」

「…」



まつは柔和な目で淑やかに笑う。見えない青琉は、じっと前を見つめたままだったが。



「…何を呑気な事を」



と、長く目を瞑った。開くと再び前進する。



「あなたにはそのぐらいが丁度良いでしょう?」



青琉が止まって振り返るとまつはまだ其処にいた。



「お元気で」

「…」



青琉は笑みひとつ浮かべない。だが見つめる目の色は澄み渡り、真っ直ぐまつを見つめ返す。―――それはほんの一時。
次には目を伏せ、背を向けると歩き出した。



◇―◇―◇―◇



人だかりの島ができていた。其処は武田の屋敷内で今日一番の盛り上がりを見せている。中心には馬に乗って他より高い位置から群衆を見渡す集団があった。
―――伊達軍である。



「政宗殿」



幸村が見上げて言った。



「―――次に見(まみ)えるは戦場にて」

「ok.…それまでくたばんじゃねぇぞ、真田幸村」



生き生きと自信に満ちた顔つきでそう声をかけられ、政宗も同じく返す。



「ご面倒をおかけ致した」

「これも浮世の情け。気にするでない」



逆隣では小十郎が信玄に深々と頭を下げていた。が、少し面を上げると真剣な眼差しを向ける。



「あなたとは一度真剣に兵法を語りたいと思っていたが、またの機会に」

「竜の右目の誘いとあっては儂も鼻が高いのう」



各々が一時の別れを共有している後ろで青琉はいつも通り、つんとした顔で別に誰との会話にも参加しないつもりでいたが。



「―――お姉ちゃーん!!」

「…っ!?」




青琉だけでなくその場にいた伊達、武田の皆がその声に目を上げた。しかし青琉が一番顔を狼狽でかちこちに硬直させている。
声の主は青琉を慕って話しかけてきた先刻の少女だった。
離れた屋敷の縁側から精一杯背伸びしながら満面の笑みで両手を振っていた。母らしき打掛姿の女性が少女の後ろで急いで手を下げさせ、“ばいばい”の所作は弱くなったが笑顔は絶えない。女性は何度か軽く頭を垂れて苦笑を零していた。

(………っ、)

斜め下を向いて、歯を噛み締めていた。少女相手だからか舌打ちはしなかったが、頭を抱えたい具合である。合わせられずにいた目を試しに上げると腕を組んでこちらを振り返る独眼竜が、ひゅうっと満悦に口笛を鳴らした。



「ほ、放っておけ!」



青琉が吠えると周りの伊達兵士たちが一斉に肩を揺らして笑いを堪える。小馬鹿にしたような目で見られた青琉は、ぎろっとひと睨みで兵士達を咳払いさせた。

奴め、本当に許せん。

口を引き結んで眉を揺らす青琉の頬は誰が見ても分かるくらい薄い桃色に色づいている。



「…独眼竜はとんでもない狂犬を手懐けたみたいじゃのう」

「…」



それを見守る信玄の声に小十郎は真顔だった。一切笑わずに、この先を考えての真顔である。
眉間の皺が幾つも、岩石のように固まって動かないのが証拠だ。

―――そしてとうとう馬が鳴く。それを合図に伊達は武田を後にしたのだった。



◇―◇―◇―◇



「―――青琉」



駆ける馬は既に幾許走っただろう。
先の賑やかさが遠い出来事に思えるほど、時が早く感じる中で急にその声は呼んできた。
武田の門が全く見えなくなった林道をひた走りながら目を向けた。



「!」



咄嗟に腕を高く広げて掴む。光るものが飛んできたからだ。
ゆっくりと手を開く。



「お前のものだろ?」



それは鎖のついた鉄の塊―――自分の手がかりの代物だった。
そういえば松永の時に拾ったのを、何処にやったのか存在自体忘れていた。



「何でお前がこれを…」

「安土城の地下牢で拾った」



政宗は何という事もなく前を見ながらそう答える。



「まさかお前がまた拾ってるとはな―――ただの鉄くれにしちゃあ大した縁だぜ」



くるっと青琉を一瞥して目を細めた。その横顔を夕暮れ時の明かりが、空との境界線が見えなくなるほど白と橙に染め上げる。



「俺とお前のlucky item―――かもな 」



『―――大事にしろよ』



「ッッ!!」



目を見張った。しかし政宗は薄笑いのまま前を向いて馬を早める。
青琉の目は今だ政宗を見て驚愕に揺れ動いていた。ついに息を呑んだ青琉を、横目で小十郎は眺める。

(何だ、今のは………)

小十郎に気付かないくらい目の前の事でいっぱいになっていた。
少しずつ小さくなる政宗の姿は目に入ってはいるものの、沢山の蹄の音は弱く叩いた小太鼓のごとく殆ど耳に入ってこない。

青琉は目を伏せた。

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