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―――こうして松永久秀との戦いは幕を閉じた。
青琉が人質を助けた事は伊達軍全体に知れ渡り、それまで敵視していた者も一目置くようになる。結果的に彼女を受け入れる態勢は伊達軍の中に浸透していった。



『…』



そしてその自然治癒も伊達武田双方の知り与るところとなる。



『青香から受けた傷以外治ってしまう。…それが私の体だ』



伊達は政宗と小十郎、武田は信玄と幸村と佐助の揃う合議の場で青琉はそう口を開いた。
そして青香の事。千里眼で遠くの出来事が見え、また霧を使った幻覚の類ができると。

そして三好三人衆が突如黒い淀みに落ちたあの時いたのは、行方知れずとなっていた市だった事。だが満身創痍の青琉と、気を失っている仲間の側にいた良直の前から姿を消した。




―――松永との戦いが幕を閉じて次の季節が訪れようとしていた。真相の行き交いが落ち着いた頃、武田の屋敷では賑やかな剣戟が起きている。



「…―――はっ!」



カンッ、キンッと打ち震える刀。攻め手と受け手が時度入れ替わり鉄の音を軽重に奏でる。
一人は束ねた鉄紺の髪を、もう一人は後ろに撫で上げた髪を俊敏な動きと共に前後左右落ち着きなく波のように揺らしていた。
互いの剣筋を鬩ぎ合わせる一人は小十郎、攻め手は眉間に皺を寄せて次へ次へと手を休めない青琉である。



『身内を殺してまで、そなたに持った恨みとは如何ほどのものよ』

『あんたって拾い子?』




頭の中をぐるぐると記憶が回っていた。目に少しばかり苦の色がちらつく。



「…っ―――、」



―――その所為で一瞬意識が今を離れた。

即座、小十郎の目が尖る。強く真っ直ぐな風が吹き付け、青琉は目を丸くしその場に固まった。音が入ってくるのを捉えられないくらい速く一手は決まる。風を渦巻かせ、ひゅんひゅんと回転したものは背後の何処かに思い切り突き刺さった。

引き構えていた両手から弾かれた己の刀が気付けば地面に傾いていたのだ。



「―――、…はっ、はっ…」



どっと片膝を付いた。時が動き出したのをやっと理解したように、此処にきて呼吸が上がっていた。



「何考えてやがった」



右手を付いて地面と顔合わせしている青琉を見下ろし、小十郎は聞いた。
左脚への負荷を分散させるための右手だろう。肩を上下している様がまだ万全でない現状を表していた。…というのは小十郎の憶測であるが。
答えは青琉が上げたその顔に痛みを堪えてなお、目の奥に燻る熾火が見えた事で解する。

軽く目を閉じた。



「雑念は捨てろ。―――刀を鈍らせるだけだ」



鍔鳴りをして刀をしまう小十郎。青琉に背を向け歩き出すと縁側に上がり、「先に行ってるぜ」と残して屋敷の奥へ消えていく。道伝いに曲がり角に入ると見えなくなった。

すると一人残された青琉は糸が切れたように、だんっともう一つの手を付く。



「はぁっ…!はぁっ…、はぁ…、」



左脚に乗せていた左手だった。滑るように地に押し付け前のめり、肩で息をする。溜めていた限界を吐き出す勢いで少しの間その場に止まっていた。

横髪が周りの明りを遮断していたものの、この時間になって白い日差しが無理やりすり抜けて当たってくる。
―――未の刻手前。
涼しさから寒さへ肌の認知も変わってきたのを鑑みると、雪の季節が近づいているのを感じた。

(雪、か…)

追憶に意識を取られる前に、青琉は立ち上がって縁側に進み、崩れるように腰を下ろす。少しは呼吸がましになると、知らず全身の力が抜けて猫背のようになっていた。
瞑った瞼の裏に、思い出される。



『あなたは正義…?それとも悪…?』



市の言葉だった。



『長政様…、市、悪を滅ぼしたよ…』



第一声。突然自分が対していた三好を飲み込み、堕とした禍々しい黒淵を辺りかしこに巣食わせ現れた市が零した言葉がそもそもの始まりだった。
あの時の心地を死と呼ぶのだろうか。呆然と理解に追いつかない頭で拾った言葉は、掃討した彼らを悪と称したのだと分かった。
そしてその目に己を視認し、少し目を細めて首をゆったりと傾げると、不可解なものでも見ているかのように、眉間に影を線引いた顔で問われたのだった。
正義か悪か、と。

―――青琉は目を開ける。
床に手を付いて、立ち上がると縁側に背を向けて部屋を挟んで反対側の縁側に向かう。



「いやー、まさか本当に来るとはね」



目を大きく開いた。目的の縁側に足を上げた途端、予期しなかった声にばっと顔向ける。
進行方向と反対―――五、六歩ほど先の行き止まりの壁に腕を組んで寄りかかっていたのは佐助だ。

青琉は忽ち顰蹙して黙視した。



「驚いたよっ…と、」



壁をばねに背中を離して、しゃんと立つと両腰に腕を構えて言われる。



「あんた人の言う事聞かなそうだもん」

「…」



待ち伏せしていたのだろう。次から次へと饒舌な佐助を青琉は眉一つ動かさず睨んでいた。



「…そんな事を言いに来たのか」

「―――…。違う違う!」



青琉の返しに寸時、唖然とした佐助だったがわたわたと片手を左右に動かす。対して合点がいかないと表す顔が、青琉の目を刃物のごとき鋭さにしていた。
佐助はすうっと力を抜きながら手を下ろし、肩を竦める。



「あんたの事、少し勘違いしてたってね」

「…」



相変わらず青琉の眉間の影りは浅くならず、次の言葉を待っている。



「あんたは望月な事を隠してた」



『…姓などない』



「てっきり俺はあんたが父―――、望月出雲守が捨てた名を出すまいとしているのかと思ってた」



望月出雲守。それは青琉が暮らした望月家の当主であり、昔佐助が里にいた頃名を馳せた甲賀の忍でもある。
霧を得意とする忍術に長け、人目を欺き、諜報や刺客として買われていた。
しかし佐助が忍の生きる術を身につけ始めた頃、望月出雲守は里を抜けた。忍らしからぬ面倒見の良さで人望のあった彼は身内部下数名と共に急に姿を消して、佐助も追跡に駆り出されたものだ。



「あの人はすごい忍だった」



結局望月達の行方は掴めないまま月日は過ぎていた。しかし久方ぶりに既視感を覚えたのは、米沢城をおとりにされた竜の右目を追っている時の明智光秀の消え方だ。蒸発するかのごとく気配を消したのに違和感を感じたまま、織田討伐で安土城大手門前でも挟み撃ちに気付けなかったあの時、【霧】という可能性に望月を思い出したのだ。



「正直あんたにその影が見えなかったからさ、迷ってたわけよ」



と、佐助がじっと視線を上げるがてら、ふっと頬を緩めた。

姉が霧を使った忍術を持つ事、そして明智光秀が血塗れの望月と称した事、総じて漸く確信を得た。その中でも今回の伊達の一件は予想外で思うところは様々だが。



「―――案外面倒見がいいんじゃないの」

「…勘違いするな」



対する青琉は無表情ながらに隙のない眼差しを送り続ける。



「私はただの余所者。―――お前が盗み聞きしたようにな」



体を翻して背を見せると少し佐助を振り向きながら青琉は言い終えた。
しかしすぐに足を進めて離れていく。
その後ろ姿を眺めながら、佐助は薄笑いを口に結んだ。

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