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「…―――あの時の、借り…か」



白が明けて夜の黒が再び戻った時、久秀は壊れかけた大仏に磔になるように埋まっていた。炎が並び立つ木々のごとく盛り、傷を負った彼を照らし炙る。



「くく…よく熟れたものだ」



首を垂れ、肩を揺らした嘲笑いが影を揺さぶる火に妖しく残響する。



「…アイツらの場所を言え」



鮮やかに小さく主張してくる火の粉に髪を躍らせながら、政宗が睨んでいた。頭上離れている久秀に向かって刀を突きつけている。



「そう焦るな…竜の右目はまだ警戒を解いてはいまい」



しかし小十郎へ視線を流されて気に触った政宗が横を一瞥すると、彼は真っ直ぐ頭上の男を睨んだままだった。片手に刀を持ってはいるが、背筋を伸ばし仏像のように動かない。政宗は目を戻してじっと口を噤んだ。
その先で久秀が目を細める。



「溺れない事だ…卿に蔓延る闇は、直ぐそこまで迫っている」

(闇…?)

「どういう意味だ。松永」



漸く小十郎が口を開いた。疑問に眉顰めた政宗に続いてだ。
鼻を鳴らして一度だけ久秀は笑う。佇む黒と盛る鮮紅の狭間で、彼はとても凪いだ眼差しで二人を見下ろした。



「堕ちて堕ちて開花した徒花に…対抗できるものか、
―――…あの世で見物するとしよう」



すっと手を掲げて酷薄に笑う彼に、気付いた政宗が舌打ちと共に走り出したが。



「さらばだ」



―――久秀の一手が先を行った。
翳した手の内でパチンと鳴るや、轟く炎を上げて爆破した。半壊した大仏諸共白光し向かい風が押し寄せる。
政宗は片腕で顔を庇い、細目でその姿を探すが視界は白に奪われた。
そして目が、黒と赤の景色を取り戻す頃には、炎の海が敷いてある瓦礫の上で激しく波打っていた。



「…小十郎」

「はい」



前を見続け不躾に呼んでくる政宗に小十郎は俯いて返事した。目を閉じ、それ以上言わない様子は申し開きなど最初からするつもりはないと意を決したものである。
暫し待ってそれに気づいた政宗は、はぁと一息吐き出して。



「何で来やがった」



と言いながらすっと刃を締まった。目を閉じたまま俯いている政宗は言い終わる途端、眼差しを小十郎に遣る。



「あなた様の御身を思えばこそ」

「…」



しかし深くは語らないらしいと悟った。開いた目と共に分かる顔は真剣そのもので、政宗は黙って見つめる。そんな彼もふと目を伏せた。



「―――借りは、」



『また逢おう。若き竜よ』



「返したぜ―――…」



それは決着の余韻を反芻する独り言のようだったが、小十郎はしっかりと聞いていた。
静かな時間が二人の間で長く横たわる。



「片倉殿!」



その時幸村が駆け寄ってきて小十郎の意識は戻り、振り向いた。
炎を隔てて後ろにいた幸村が弱まってきた折に小十郎達を見つけたのだ。



「真田。猿飛からの伝言だ」

「佐助?」



意を突かれたのか思い切り足を止めた幸村。上がった顔は目を瞬かせている。



「くれぐれも鎧を大事に、だとよ」

「…う、うむ…」



真顔で伝えた小十郎に対して、心なしか苦笑をする幸村の顔は青冷めていた。そんな幸村の頭の中には、鎧を背負いながら戦っていた時のガシャンガシャンという記憶がぐるぐると回っていたが。



「幸村様ー!」



丁度不安を吹き飛ばすような声が耳に入った。はっとして顔を向けると、こちらに近付いてくる武田の兵だ。



「おおお!皆無事かー!もう大事ないぞ!」



幸村の顔は明るくなりその場を離れていく。そんな彼の背を黙って見ていた政宗は、ふらっと足先を変えて歩き出した。



「行くぜ小十郎」

「何処へ行かれるのです」



ざっと政宗は足を止めた。向けた背の奥では強固な眼差しを送ったまま、しかし一歩も追ってこない小十郎が問う。
政宗は軽く目を閉じて答えた。



「決まってんだろ。伊達軍は誰一人として欠けちゃならねえ」

「当てがあるのですか?」



政宗の眉間に一瞬の亀裂が走る。如才ない返しはいつもの小言の比ではなく、完全に諫言だった。
どちらも譲らない二人の間を沈黙だけが埋める。



「―――あるぜ」



しかし破ったのは別の一声。政宗は目を向けた。
見つけた誰かは、これから向かう門の端に背を預けて立っていて。



「…行ってみないと分からない、けどね」



と言いながらその背を離すと、こちらに向き合った。門の影で暗がりに隠れていた顔が見え、その立ち姿は激戦を終えてきたと象徴するボロボロっぷりである。



「猿飛!」

「佐助!」



小十郎と幸村が呼ぶ。二人より佐助に近い政宗の顔が、



「ほお」



―――と、気乗りした笑みに変わった。



「アンタは何か知ってんのか?」

「少し前、丑寅の方角に煙が見えた」



それは此処に辿り着いてからの話だ。
戦いの最中、偶々飛び上がって宙にいた時。塀を越えた景色が見え、それが―――。
空に上がっている煙、そしてひっそりと動かない地平線にある黒い森に一点見えた赤い光だった。



「野党の小競り合いの可能性だってある。こっちの騒ぎに比べりゃ何の関係もない方向だ」



…しかし。



「―――…佐助!?その傷は…」



懸念を払うのは幸村の声だった。一時の思案がいつの間にか近くに来た彼によって現実に戻り、肩を竦めて苦笑いした。



「ちょいーっと面倒な奴と出くわしちゃってね」



それとなく目配せすると竜の右目と目が合った。少し遠くなのにもかかわらず、あからさまに下を向いて瞑目される。



「…仕留められずか」

「いやー途中で逃げられちゃって」



と両肩を上げた。「お前に此処まで手傷を負わせるなど…何者だったのだ?」と難しい顔をする幸村に仔細を話すと、「な、なんと…」と驚愕される。その心中は総大将である信玄の一発をまともに受けていたのを知っていてだった。



「でも雇い主がいなくなったんだ。戦う理由もなくなったんだろうさ。
…それよりも旦那!鎧はしっかり無事!?」

「!無論!」



本題を切り返されて、元気に答えた幸村が残してきた武田兵のもとへ引き返す。鎧の箱を開けると、佐助が追って覗き見た。その後、一瞬の間ができる。そして。
「…ちょっとおおおおお!?」と叫んだ声が幸村を背後から震わせた。
箱の中がどうだったのか、遠い政宗達には分からない。



「丑寅か」



がちゃがちゃと幸村の悲鳴と佐助の叱責が耳奥をつつくも、気にせず手前の小十郎を振り向き政宗は口角を上げる。



「アテができたぜ小十郎」

「…」



得意げに見てくる顔つきは最早言っても無駄だと小十郎に悟らせた。
小さく肩を落として、閉じていた眼を後ろの佐助に投げるとまだ鎧の話で騒いでいる。それもまた小十郎を疲れさせた。
前を向き直り、小十郎は先を歩き出した政宗に続く。



「―――!!行かれるのか?」



気付いた幸村が佐助を他所に振り向いた。



「―――いい」



歩きながらそう反応を返した小十郎は、一度足を止めて一瞥すると「あとはこっちの話だ」と残して離れていく。二人は次第に霞の中へ、そして全く見えなくなった。



「旦那」



今だ見据える幸村を佐助は呼ぶ。そうして幸村が今度、彼を見ると。



「右目の言う通りだ。先に甲斐に戻ろう」

「…」



そう諭された。

言われるのも当然、人質は戻った。後は甲斐に一刻も早く戻るのが最善だ。

(松永久秀―――)

爆発した場所を振り返る。
強かった。
だからこそ最期この楯無鎧と伊達の竜の爪を諦め、爆死したあっけなさが幸村に吹っ切れなさを残していた。あの蔓延るような脅威が消えたのになぜか釈然としない。
家宝が目的なら、


何故鎧を持ち出した後の武田を攻めた―――。



「―――……、」



幸村が胸騒ぎに口を閉ざしていた時。
そんな幸村を、集まっている武田の面々を見下ろす目があった。笑いもしない座った眼は枯茶色を為して、じっくりと米粒のような遠い彼らを映す。



「―――…松永久秀」



ゆったりと瞬き一つした。
月面に象られた姿。空に棚引く髪糸は月明かりと火明かりの間で鉄紺色と紅鳶色を行き来する。
揺れ浮かぶ粉塵の中、その口元が嫣然と微笑んで言った。



「…残念ね」

「!」



幸村が空を仰ぐ。側で和気藹々と無事を確認し合い、話し込んでいる兵達は気付いていないようだった。
目を丸くして一点を食い入るように見つめる。



「旦那」



佐助も幸村に並んで同じ事をしていた。幸村よりも警戒した表情で、目は鋭い。



「今の…気付いた?」

「!佐助もか?」



佐助の問いかけにすっと視線をずらして幸村は答えた。佐助は首肯する。
何か、誰かが見ているような気配。
しかし火の粉に赤らむ夜空以外、月影には誰も見えなかった。



「…」



無言を長める幸村を、佐助が片手で制した。



「行こうぜ旦那」



敵意はない。そう言う佐助も違和感のまま止めていた。ただ、考えても考えてもこのまま見えない何かと戦闘になるのは今優先すべき事ではない。
相手が仕掛けてこないなら、こちらから出向く必要はない。



「…ああ」



止められた幸村自身、佐助に向けていた戸惑いの色を正面に戻して目を細める。

今は無事に兵と楯無鎧の帰還をお館様に報せるのが第一。そう完結した幸村は、先に自分の返答を聞いて後ろの兵士に出立を報せる佐助に続き、漠然とした不気味さを感じながらその場を後にした。

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