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パチパチと炎が狭い堂内を侵食していた。まだ床板が燃えていない箇所はあるがそれももう時間の問題。
【赤い草野原のようになりつつある此処が己の死に場所になる】
そう、濃くなってくる死の気配を感じ思っていた。聞けば筆頭が自分達のために腰を上げたと。助けに向かってきて下さっているというのに、



「げほっ!げほっ!…ちっくしょう……!」



良直は突っ伏しながら悔しさを噛み締めるしかなかった。投げられる炎を、蔓延する蔓のような火を止められなかった。煙があっという間に充満して意識が遠のく。

同じく両腕両脚拘束されている仲間―――横の左馬助、文七郎、孫兵衛を見ると既に気を失っていた。幸い火の手は自分達を燃やすまでには至らないが壁際の此処にもいずれ広がるのは目に見えている。

(筆頭…!!片倉様…!!)

額を、鼻を床に擦りつけてぎゅっと目を瞑った。その時。

≪―――スパッ…≫

銀の一閃。ずれた障子戸。ドカン!と大きな音を立てて何かが倒れてきた。
良直ははっと顔を上げる。すると閉まっていた戸の斜め上半分がなくなり、もくもくと出ていく煙の向こうに人影と夜明かりが見えた。平衡の取れなくなった下半分の戸もばたんとこちら側に倒れて、



「はぁっ…、…はぁっ……」



―――人が見えた。斬り降ろした刀を持つ両腕をそのまま、肩が大きく上下を繰り返す女の姿が。
長い髪がかかる顔は下がっていて見えない。出ていく煙の色が少し薄まると、その者はふらっと横に崩れた体を、戸枠に手をかけ、ぐっと堪えた。しかしその手はずるずると滑り、片膝を付き、はあはあと荒い息で結局座り込む。
目を疑った。



「あんたは…!」



声にひくりと反応し、ゆっくりと顔を上げるのは青琉だった。明るい炎が煤けた顔の、強い見上げ目と紺髪を鮮やかに照らし上げる。
それも僅かで、青琉は手を前に付いては全身を引っ張り、殆ど力が入らずくっ付いているような左脚を庇って右へ傾きながら正座を崩したような姿勢で近付く。
右手はかかる体重に震え、左手は刀を寝せて持ったままだ。



「松永に、…捕まったのは、お前達…だな……?」



返事をする前に良直の近くまで来た青琉が小袖の懐から短刀を取り出して縄を切る。運よく火は行先の障害物にはならなかったが、まともに肩で息をする所為で煙を吸いすぎたのか途端に激しく咳き込む。収まっても口に手を当てたまま苦しげに呼吸するのは一目でわかった。
そんな青琉を今だに半開きの口で凝視し、良直は体を起こした。



「あんた…俺らを助けに―――危ねえっ!!」



顔色変えた叫びに、ばっと振り返って刃を受け止めていた。がんっ!と重く、飛ぶ火花。カタカタと寸止める刀を持つ手が悲鳴を上げて、後退るような姿勢で後ろを庇いながら精一杯に伸ばした片腕を以て凶刃を防ぐ。



「ぐっ…」

「…おや」




炎と煙と、対する刃の向こうを注視すれば。



「何者かと待っていれば」

「…その者等を助けに来たと?」

「一人か、滑稽」



物々しい雰囲気をした者がいた。髑髏を思わせる白い面頬に、荒んだ金と黒の装束。攻撃してきた刀の男とは別に、入り口に更に同じ装いの者が現れる。奴らは二人、槍を持っていた。
「戻ってきやがった…!」と言う良直は腰が引けている。こいつ等が人質の見張り、そして火を放った張本人なのだとすぐ理解出来た。



「…おい…ッ、前髪が変な…お前ッ…!」

「……………俺ッ!?」



自分が呼ばれたとは一瞬分からなかった良直は、引き攣っていた顔をひと度驚きに変えて自分自身を差していたが。



「そいつ等の縄を切って…行け…ッ!」



呻きのような青琉の声に言葉を失う。次第に彼女が圧され始めていたのにはっと気づくと、すぐ様落ちていた短刀で左馬助の縄を切る。一人ずつ名前を呼び掛けると唸りや咳が返ってきて、皆生きていた。



「逃がさぬ」

「―――!!」



しかし刀の男の声で後ろの二人が槍を突き出す。得物の長さだけで十分に届いた刃先が青琉の両腕を掠めた。思わず息を詰まらせ歯噛みして腕が緩んだ一分の隙に、先頭の男が振り上げた刀は得物ごと青琉を弾き飛ばす。



「―――ぬおあっ!?」



降って飛んできた青琉の下敷きになる良直。最後の一人、孫兵衛の縄を切ったところだった。
しかし良直が起き上がるより前に青琉はずるっと滑り落ち、体を起こして見た良直は驚愕する。



「あんた足が…!」



薄色の小袖から覗いた左脚が血塗れだったのだ。腿に巻かれた包帯は最早真っ赤で、草履まで流れて照っていた。更には腕も裂かれて、真新しい血染みが広がる。
青琉の体は震え、強く目が閉じ、歯を食い縛っていた。



「生かさぬ」

「此処で死ね」



それでも敵方の三人は立ち塞がる。



「無力な女よ」



青琉は細く目を開けた。同時に槍と刀の三突きが炎で脆くなっている柱を攻撃し、ぐしゃっと天井が嫌な音を立てる。ばきばきと亀裂が頭上全体に広がっていく最中、敵は悠然と踵を返していった。
―――崩落が始まる。

(く、そ…………)

干からびるような熱気。≪クソおおッッ!!≫という良直の雄叫びは意識に遠い。



(此処で…)



≪パチパチ…≫



(また…助けられないのか………)



炎があの景色と重なった。あの時と同じ、焼け落ちていった私の屋敷(いえ)と同じだ。



『逃げろ!!!』



(私は………)



ぎりっと噛み締めた歯が覗く、唇を震わせる。



(もう私だけ生き残らないために)

【―――強くなりたい―――】



つぅと、前髪で隠れた目からそれは頬を伝った。すると、ぽうっと青琉の周りが青白く光る。



◇―◇―◇―◇



その時、御堂から少し離れた場所を歩いていた三人―――三好三人衆は炎の明りを背にしながらこの場を後にするつもりでいた。

もうあの御堂に用はない。
主の指示により、見張っていた伊達の家臣の始末は火で行った。後に来た女もあの様子では脱出は不可能だろう。…もしできたものならその時始末すればいい。
そんな事を考えていた時。

唐突な≪ぱきん≫という音が耳に入る。直ぐ足を止めて後ろを振り返った。
すると崩れかけていた御堂に火は見えず、時を止めたように静まり返っている。―――幾つもの厚い氷の柱の中でだ。
そう認識するや一瞬にして弾けるようにそれは霧散した。



「…これは驚いた」

「…ああ驚いた」

「…何者だ?」



―――ザッ。

三人衆の見る先で一歩踏み出す草履が鳴った。焦げてところどころ黒ずんだ床板をしっかりと踏みつける。
同時に目を丸くして前を見上げる良直は狐につままれた顔をしてその者を見ていた。
―――見つめる其処には。



「…」



静かに強く佇む目が、その側で穏やかに靡く髪があった。両足を開いて刀を持ち立っている。パキパキと左腿の包帯を覆う氷が煌めいた。
一陣の風がごおっと三人衆に吹き付けて、



「―――…名を聞こう」



一歩先頭に立っている刀の男―――三好三人衆の長男は問う。対し、荒ぶるように乱れ舞う髪から垣間見えた目は、険しい顔とともに。



「貴様らに明かす―――名はない」



更に鋭くなってそう切り捨てた。

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