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―――その頃、夜の人気のない林道を走る馬がいた。明かりは空の月程度。本来であれば好んでこの刻限に戦場へ向かうなど決してないのだが、己の進退を問う暇などない故に彼は此処にいた。



『―――小十郎』



アイツを頼む。


―――あの方は寝ている青琉を見つめてそう仰り、出立なされた。俺が行くのを断じて聞かず、あいつ等を助けるために御身を危険に曝してだ。
少し前に交わした会話がそうやって蘇る。まだお若いあなたが背負うものが、またひとつ増えたのは幸か不幸か―――今だ俺には判断し兼ねた。
なれど。



『私も乗せろ』



(無茶なところは似ているのかもしれねえな)



馳せる馬の上で揺られる小十郎はそんな事を考えていた。

空は暗く、夜の深さを物語る。だが星の明かりは滅多にないほど散りばめられていて、これから戦場に向かうとは思えない―――雲が晴れたとても穏やかな空だった。

政宗様の帰りが遅い。それを理由に居ても立ってもいられず馬を進めた。
だが主命を放棄したのだ。あの時、青琉と武田に留まるのが忠節だっただろう。右目として側にあるこの意志を譲れずにいるなら、青琉を連れてくるのも命に反してはいなかっただろう。
いずれにしろ手遅れである。

(すべき事をする、ただそれだけだ)

例えそれが政宗様の意に背くとしても。



「あーら、竜の右目じゃないの」



しかしそんな思考を遮る不相応な声。小十郎は横目を流した。すると追いついて並ぶ見知った姿がある。
―――佐助だ。



「…てめえも来たのか」



少し警戒を強め小十郎は声を落とす。しかし今まで双方の主が刃を交える度に顔を突き合わせてきたのだ。佐助には小十郎の威圧など挨拶の様なもので、一人、近所話に花を咲かせるかの如く目を閉じ地面に苦笑を向けた。



「お互い使える主が破茶滅茶だと苦労するねぇ」

「…」



小十郎は強面のまま何も言わない。その目を前へと戻し、



「―――あの時、」



と静かに口を開いた。



「てめえは何を聞いていた。猿飛」



『あんたの姓って望月?』



猜疑心に満ちた目が再度佐助に向く。
それはあの時、近くまできて聞こえた話の一部。駆け付けた頃には佐助と青琉が言葉を交わしており、状況からして彼が青琉を助けたのだと分かった。…が、それだけで済む話ではなさそうだった。



「何を知っている」



あの声色に確信が見えたから。
青琉の沈黙に隠れた意味を感じたから。
小十郎はずっと引っかかっていたその問いの意味をいずれ問い詰めるつもりだったのだ。

―――返答を待つ。間隙を埋める馬の足踏み、喧噪は耳に遠い。そう感じるほどに発される一言目に神経を研ぎ澄まし、駆けながらも空気は張り詰めたままだった。
佐助は小十郎との距離を保って並んでいる。



「…やっぱいたのかー」



そう開口した声の調子は普段通り軽い反面、他意のある印象も外れない。
小十郎は疑いの目を向け続けた。それが功を奏したのかそうでないのか、佐助は不意に力を抜いて色を正す。



「―――何れ、分かるさ」



即座に先へ疾駆する。小十郎は黙視のまま眉間に皺を増やし、先を急いだ。



◇―◇―◇―◇



『死んじゃったの?青琉』



暗く冷えた闇の中。直接耳に入ってくるように、はっきりとした声が次第に意識を回復させる。
ぼんやりと見えてくるものは輪郭もあやふやで、相手が誰かは分からない。
足元から口元までが闇に浮かび上がり見えていたのは、まだ小さい背丈で暗色長髪の少女。

【私は死なない】

これもただの外傷だ。この世で私が負う筈のなかった傷。なかった事にされる徒労。



『そっか』



と声は答えた。
私は誰に話しているのだろう。



『じゃあ』



ふとそれが口角と共に緩く笑った気がした。



『私が殺してあげるね。―――青琉』


「ッッ!!」



ばっと目を開けた。すると入ってくるのは点々と光る闇夜空で景色が一転する。
そして途端にズキンズキンと始まる痛みは頭に、遅れて首や背中、脚にやってくる。
最悪だ。



「はっ…、はっ…………はっ……」



広がる星空。冷たい地面の感触。拍動する打撲痛。
普通ならば全身強打でのたうち回るものをそれらは然程感じず、寧ろ精神を圧迫していたのはたった今の出来事だった。

何が起きたか分からない。考えがまとまらない。
最後の言葉の直前、見えた両眼が冷笑で見下しながら腕を振り上げて―――でも何を振り下ろされたのか寸前で目を覚ました私には分からなかった。
しかし降ろしたその少女が誰かは言うまでもなく分かる。



「……っ…、」



全身が汗ばみ、首筋の汗は青白く光っていた。ごくんと唾を飲み込む。
分かっていたが、苦しい。いざこうして夢にまで目の当たりにしてしまうと。
―――体よりも心をズタズタに引き裂かれるようで、酷く苦しい。

じゃり、と擦れて小石が転がった。身を捩って着いた両腕でぐっと半身を持ち上げる。しかし地面と向き合って中途半端に浮く事しかできない。



「……」



辺りは静かだった。りーんりーんと控えめな鈴虫の鳴き声が耳に届く。それ以外を感じられないほど物音も気配もなく、勿論馬の気配もない。
―――まさに絶望的な状況。
…の筈なのに、地面に反射する月明かりを見て少しずつ落ち着きを取り戻していく自分がいた。そうだ、私は馬から落ちたのだと今になって理解する。



(あれは………―――、)



『死んじゃったの?青琉』



しかしその夢への意識は視線を上げたら消えた。手の先にぽつんとあったそれにすり変わる。
銀色の塊。ああ、あれは。

(青香が持っていた)

私の存在を、否定する物。



「く…、ぅっ……」



手を伸ばしていた。片腕で体重を支え、不自由な左足を引き上げて。
それなのに。届く距離なのに、直ぐ前で一向に手が震えるだけだった。指先が触れそうなのに触れなかった。
そんな事をしている場合ではないと分かっているのに。

―――伸ばし続ける腕。刹那、一瞬に力を込め引っ掴んだ。すると支えが崩れて地に伏せてしまう。



「…うっ…、」



しかし顔を上げてゆっくりと手繰り寄せると、開いた手の中の丸い鉄を見つめ、眉間を緩めて安堵した。
詰まる声をまた噛み殺しながら力を振り絞って上半身を起こす。両腕を付いて漸く座り込んだ。

(どのくらい…経った?)

一呼吸の繰り返しが長い。静かに肩を上下しながら、地面から空に顰め面を向けた。
雲が月を霞ませてゆっくりと動いている。先ほどまではなかった大きな雲から半刻は過ぎただろうか。大きな損失だった。

(どう向かう…―――)

≪しゃらん≫

―――万策尽きて落ちていた視線が、ふわっと見開いてから上がる。振り向いて見つめた先は山道仕切る木々の奥、影の世界だった。空の比にならない漆黒が層をなして続いている。



「……、」



直視するのを恐れながら、一歩引かれるように見つめていた。この音には聞き覚えがあったから、目蓋が震えて半開いた口もまだ状況を飲み込めずにいた。
―――しかし、きゅっと奥歯を垣間見せて口を引き結ぶ。側に落ちていた刀を拾って、どっと地面に突き立てた。そして鞘のまま柄を掴む両手が力んで、刀が震えながらも全体重をかけてくらりと立ち上がる。



「…っっ、…―――」



食い縛る歯で呻吟を堰き止めて、左脚を半ば引き摺って青琉は林へと向かった。不規則に生えている木々が道を遮り、葉幹が足を取っても、下を見る余裕などなくひたすら前を向いて急いだ。
途中通りすがる木の幹に肩ごと寄りかかって、呼吸を整えてはまた歩を進める。草木生い茂る道なき道を、葉に反射する微々たる明かりを頼りに青琉は進んだ。



「はぁっ………、はっ………」



嫌な…予感がする…。

全身を悪寒が走るのはあの時を、織田の時を思い出していたからか。



「………!」



だが答えを出す間もなく、急に一面は白くなり目が眩んだ。



≪しゃらん≫

「!」



音と一緒に本来の明るさを取り戻す。
林を抜けて出た、左右に伸びる道など確かめるより正面を見ていた。

ふわり揺れた暗紺の髪束、後は意識する間もなく反対側の林に消えていく。後ろ姿は木々の影、夜の闇と同化して見えなくなった。
思わずその名を呼んだ。



「青…、香―――」

「ちくしょうやめろおおおおお!!てめえええええ!!」



唖然と立ち尽くした青琉の耳には急な野太い声が入って目を見張る。弾かれたように声の方を向くと遠く道の先に御堂が見えた。



「―――、ッ…!」



姿が消えた林に目を走らせ、苦虫を噛み潰した顔で俯く。支える刀の柄をぎりっと掴む。
―――止まっていた足。その向きをくんっと変え青琉は御堂に急いだ。

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