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『あんたの姓ってさ、望月?』



【望月】

その言葉を聞いたのは何年ぶりだろう。

―――風が髪を攫おうと強く吹き付けた。
葉が大きくざわめいているのに、耳に入ってこない。
耳の内でただ、こだまする。

≪パチパチ…≫とあの日の爆ぜる火が、



『逃げろ!!』



血に塗れた記憶が。

…少しずつ現実との境界に溶けて、



「…」



猿飛の姿が目に入った。しかと自分を見つめている。
青琉は目を伏せた。



「…姓などない。そんな大層な身分ではないからな」



と、感情の読めない返事が佐助の耳に届く。下を向き、隠れた青琉の顔はよく見えないが、黙って聞いていた。



「…」



そんな佐助が何を思ったか、少しだけ細目に変わった刹那。



「あそう」



あっさりと返した。青琉は顔を上げかけて「じゃあ次の質問」と、指を二本立てて見せられる。思いがけない切り返しに目を丸めるも、我に返り、口元を結んで佐助をねめつけた。



「あんたって、拾い子?」



口を噤み、目を見開く青琉。言葉の意味が、理由が分からなかった。理解するまで時間を要して思考が停止する。
―――しかしやがて、崩れた表情を硬め直して険しさを全面に睨んだ。
ああ、理由が分かった。



(コイツ―――…、)

「悪いけど独眼竜との話聞いちゃった」



『本当は一族に生まれたのでもなく…拾われて育ててもらい、…かと言って、恩を返せたわけでも……ない。
この治癒力と見目形の所為で、…青香ごと居場所を…壊した』




そうか、そういう事か。つい口が滑ってしまったあの言葉をコイツは盗み聞きしていたらしい。此処は武田―――言葉が漏れ出てしまった自分の落ち度を恨んだ。

…嫌になる。



「…下衆がッ、」

「残念、忍なんてそんなもんさ」



さらりと言い退けた佐助は「さてと、本題だ」と気を取り直してといった風に片手を腰に構えた。



「あんたの話、もっと詳しく聞きたいってお館様が言っていてね。
此処は武田を立てて話してくんないかな」

「……」

(うわー。すごい嫌そうな顔……)



佐助がそう比喩する青琉の表情は睨み据えて人を寄せ付けない雰囲気だ。黒いもやもやが佐助には見える。最早話し合いで解決が難しいのは明白だった。

(まあ、仕方ないか)

この調子での話し合いでは。
―――佐助の上目に影が差す。



「―――…あんた、この先どうするの?」

「どう、だと」



青琉は片方の眉根を寄せる。



「伊達?それとも単独?」



そこまで聞かれて、意図が分かった。こいつは―――本当にいけ好かない部類だと直感した。
青琉は言葉を返す代わりに、敵意を以て黙り込む。
だが佐助は至って飄々としたまま、寧ろこの問いは当たりだったと淡い微笑を向けた。



「知ってるよ。アンタが竜の右目以下兵士達によく思われてないって」



『政宗様、アイツを奥州に連れて行くんだろうな』

『仕方ねえよ』

『でもやっぱ、なあ!』

『やめろって!…あいつのようにいつか殺されるぜ―――』




「…」



聞いたのは昨日だったか。会合が終わり、微睡みに落ちる間際そんな会話も障子の外から聞こえてきた。自分で招いた結果だ、分かっている。



「そりゃあ仲間を殺した奴だ。俺様だったら、そんな大将にはついていきたくないね」



―――分かっている。
私がこれ以上伊達との関わりを強めたら、不可抗力で青香と光秀との戦いが避けられなくなる。何のしがらみもない伊達を私のいざこざに引き擦り込む事になる。
おそらくこれからが熾烈になるのだから、天下や領地関係なく独眼竜に腰を上げさせる私を片倉は、伊達の兵は敬遠するだろう。一度伊達と対立した私を煙たがるだろう。



「アンタは伊達と確執がある。武田は話を聞く代わりに、得られる情報とか衣食住を保証するぜ?一人じゃ限界があるだろ?」



確かに私は情報がほしい。伊達だと私は…揺らいでしまうだろう。なんて、情けないのだろうか。
今更になって前科を恐れる自分がいる。



「基本は自由だ、戦に駆り出したりはしない。いい条件だと思うけど」



佐助は急かすようにまくしたてる。
―――屋敷が騒がしくなってきて、そろそろ人がやってきそうな焦りが青琉の言葉をぐらつかせた。



「私、は…―――、」

「てめえ」




しかし迷いは第三者の声で意識を外れる。弾かれたように顔を上げた。この声は。



「コソコソ何してやがる」



佐助の背の側、少し離れたところから重い足を踏み締めやってくる。佐助は振り向かず視線だけ後ろにずらして「あ、まず…ッ」と苦笑を零した。



「考えてみてね」



瞬時に青琉を見下ろし口角を上げると、ぽんと煙と共にいなくなった。入れ替わりで向こうから小十郎が近付く。

相変わらず厳つい顔でこちらを見ていて、その様子は消えた猿飛より自分に物言わんという気満々だと否応なく分かる。



「おい」

「…、…なんだ」

「てめえは、喋り、すぎ、だ!」



反抗的に見つめていた青琉の頭を武骨な手が三度押し込んだ。知らないが鞠つきでもされたように、ぐぁんぐぁんした頭はわけが分からず、手が離れると「…!?!?」という顔で小十郎を見上げる。咄嗟の事に言葉を失って目は白黒した。



「話す気がねえなら最初からあんな場を設けるな。結果てめえは自分で自分の首を絞めている」

「…っ」



言い返せない。自分でも甘かったと顧みてはいたのだが、業を煮やす片倉にとてもじゃないが口出しできる雰囲気ではなかった。
いつもなら「…煩い」の一言でも返すのだが。



「不用意に喋るな、今は情報が欲しい。皆、お前の情報がな」

「…」



やはり私は、自分が思っている以上に人質的価値があったらしい。言っていないのはお見通しか、と妙に諦めが付いた。片倉…コイツは頭が切れると懸念していたが、先を見越されていたようだ。



「…お前、」



そんな小十郎に青琉は口を開いた。声を拾った小十郎が改めて彼女を見下ろすが、青琉は斜め下を向き視線を落としている。



「本当はどうしたい」



意味もなく言葉を投げかけた。

独眼竜の命で私を助けたのだろう。それは片倉の意志ではない。この男は今何を思って、私を助けたのだろうと思った。私は伊達を貶めた憎い憎い敵の筈だ。
本当は、伊達を振り回している―――



「私を殺したいんじゃないのか」



指先が床を掴むように滑る。

私は知っておかなければならない。伊達の中枢を為すこの男が、私をどう思っているのかを。

小十郎の睛眸(せいぼう)は月を映射し燐光しながら、青琉を睨み付けるほどに真剣な目つきで見下ろす。牛のように押し黙って答えないその間が、青琉の焦慮を膨らませた。
答えをどこか恐れる己を自覚する。



「―――…くだらねえ」



しかし瞑して出てきたのはその言葉だけだった。呆気に取られて凝視した青琉をさっと視野から外し、踵を返す。



「てめえは早く傷を治せ。そんでその卑屈な頭をどうにかしろ」

「なっ…」

「俺はてめえのようにいつまでも同じ場所にいるほど暇じゃねえ」



そして足を止め、少しだけ彼女に首を捻った。



「少しでも変えてえと思うなら―――行動で、剣技で示せ」



それが政宗様への恩義ってもんだろうが。そう最後に言い加えて再び離れていく。



「…」



青琉は難しい顔をして小さくなっていく背中を見ていた。



「…そうか」



何の納得か分からない。だが自然と腑に落ち、顔を下げて穏やかな笑みを弱々しく頬に溜めたらそんな言葉を呟いていた。

だがはっと気付いたように小十郎を見る。



「独眼竜は―――!」



◇―◇―◇―◇



戛々(かつかつ)とその馬は土煙を撒いていた。一つは槍を携え、一つは刀を腰に下げている。
しかし同時に二つの馬は高らかに鳴いてその足を止めた。片方の主である幸村が手綱を引き、もう片方も政宗の合図に倣って止まる。



「此処が矢文にあった場所…」



馬から降りた二人のうち幸村がどことなく呟く。

霧に霞み、塀に囲われた廃寺だった。
気配が、ない。
宵も深くなったためか、ただ不気味だった。

黒く炭となった木屑が、何も置かれていないだだっ広い境内の脇で残っている。昔そこには庫裏(くり)でも建っていたのだろう。まさに骨組みの遺物を思わせた。



「また悪趣味なとこを選んだもんだな」



政宗は興味なさそうに歩を進めた。幸村を放って本殿へと向かう。

(何処だ)

次第に近付く大きな社。廃れた御堂らしきものや、外れた入口から殺風景な中が見える講堂―――それら伽藍の内にある建物を視界遠くに置き、探した。



「幸村様!!」



しかし瞬間的に入ってきた声は探していた奴等のものじゃない。顔を向けると、形の残っている鐘楼に隠れて、木に吊るされている武田の兵が三人いた。
アイツらが―――いねえ。



「無事であったか!今助ける故!」



政宗の後ろから幸村が飛び出す。刹那、政宗が目を剥いた。



「待て真田!」

「!」




走ってきた火の気配。ばちばちと瞬時に近付き、幸村の目の前でそれは爆発した。本能的に手持ちの槍で防御して直撃は免れたが、幸村の左右を火花が駆け抜け次の瞬間には両端の木が爆発した。
二度三度と炎が上がり、ぎぎぎとゆっくり引き抜かれるような音を発しながら幸村に向かって倒れていく。はっとした幸村が後ろに飛び退くや木はぶつかり合って、ひと回りもふた回りも大きな爆発が起こった。
爆風と強い輝きが一気に二人に押し寄せる。政宗、幸村双方は目を細めて腕で眼前を守った。

次第に風が止む。
その時、≪カチッ≫と政宗の背後で音が聞こえた。一瞥すると塀の隅で紫の明かりが灯っている。



「これはこれは」

「!」




しかし先に二人の視線はその声に引っ張られていた。



「楯無鎧だけでなく、六(りゅう)の刀も手に入れられようとは」



炎の壁の向こう。本殿の入り口にその男は立っていた。



「運がいい」



この世の全てを知り尽くしたような諦めと、黒い私欲の混じる据わった瞳が焔に反射する。



「さあ―――楽しい宴にしよう」



男の目に、険しい顔をした政宗と幸村が映った。

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