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どんっ、どんっ。
と、重みのある足音が急ぎ足で進む。
その歳では十二分と言える筋肉を持ち、どっしりとした一歩一歩がその音とは裏腹に落ち着きを持っているのも場数ひいては歳の数の結果のようなものだった。
寸分の乱れもなく、一定間隔の歩幅で縁側を歩く。



「―――お館様!」



対して、包み隠さずにどたどたと早い足音が後ろから近付く。走り寄ってきたその者に向かって、虎柄に覆われた逞しい肉体を捩じり、雄々しい赤兜をつけた信玄が一瞥した。



◇―◇―◇―◇



トットットッ…と耳に入った縁側からの足音。明らかに向かってきているそれを察して政宗と小十郎は同時に外へと目を向ける。



「目が覚めたようじゃな」



そう言って障子戸で隠れた縁側から姿を現したのは此処甲斐の、そしてこの屋敷の主である男―――信玄だった。
その視界の中央にはまず布団の上で枕に頭横たえたままの青琉が置かれる。そしてその横に胡座をかいている政宗、二人を見渡せる障子戸の側―――自分の直ぐ横のこの入口に正座をしていた小十郎へと視線は動いて。再び青琉を向いた。



「…武田の忍は仕事が早え事で」



その信玄の視線を再び自分へと向かせた政宗の言葉。丸めた背中で閉目苦笑していた。その心中は目を覚ました青琉へ武田が話を聞きに来たわけか、と予想の範囲内である。

誰知れず、部屋の屋根上から迷彩の忍がひゅっと姿を消した。



「なあに、少しばかり様子を見に来ただけよ」



再び屋根の下。信玄は閉じ目で言うと踏み出して青琉の横に向かう。



「失礼いたす」



その足に続いて入ってきたのは幸村で、青琉を挟んで正面に座る。そして小十郎も政宗の隣―――幸村の前に腰を下ろそうと少し忙しない状況で、政宗が「真田も、か」と呟く。



「生憎コイツはまた寝ちまってな」



肩を竦めて政宗は言った。
一度目が覚めた青琉だが、頬に触れた政宗の手に何か言葉を返す事もなく再び目を閉じたのだった。それがつい先ほどの事。
普段であれば「触れるな」「やめろ」と拒絶の言葉の一つは吐く青琉が静かに瞼を落としたものだから、一度生死を疑った。が、小さな寝息と胸の上下を確認し一息ついて政宗は手を引いたのである。



「構わぬ。あの傷よ、話すのもまだ酷であろう」



腰が落ち着いた信玄は腕を組んだままそう言う。甲斐に着き、まだ二日。あの危篤状態で命を取り留めた事が何より強運だった。



「一先ずお主等伊達に話しておきたい事があってな」



急に切り替えた信玄に、政宗は怪訝そうに目を細める。小十郎の顔も少しばかり険しくなった。



「何だ」

「此度の戦…幸村が織田信長を討った明智と鉢合わせたのは知っているであろう」



確か牢の地下で青香と鉢合わせた時だと政宗は思う。真田は別道で城の地下に来ていた。青琉の暴走を止め、青香との一触即発の直前。戦闘中の奴が現れ、明智が魔王をやったんだと分かった。



「その明智が妙な事を言っておったのだ」

「妙な事、とは?」



明らかに明智という単語に不機嫌露わにした政宗を他所に、聞き返した小十郎。話は信玄の横で頷いた幸村に引き継がれる。



『明智光秀!』



それは安土城の地下、狭い洞窟を抜けた後の事。まるで闘技場のような、大きな円形の場所で幸村は戦っていた。既にひとつの大戦が終了した後の、赤光る血生臭さに顔を顰めながら聞いたのだ。



『主を殺め、貴様は一体何をしたいのだ!?』

『何をしたい…ですか』



動かぬ骸となった信長が視界にちらついた。血みどろの戦いだったのだろう。それを裏付ける光秀も、本人の血なのか返り血なのか分からないぐらいの血痕を被って、なおも飽き足らず幸村に刃を向けていた。
そして幸村には一生理解しえない理由を、さらに突飛な言葉で返してきたのだ。



『貴方は赤い月を見た事がありますか』

『赤い月だと…?』



何の話か、思い当たる節のなかった幸村は反応に困った。そんな幸村を気にする様子もなく、光秀は焦がれるように言った。



『私はもう一度、見たいのですよ』



―――血塗れの望月を―――




「―――…血塗れの」

「望月」



小十郎に続いて政宗がそう呟いた。その場にいる皆が黙りこくる。
しかし静寂は庭で囀った小鳥によって本来の空気に戻る。



「…心当りはあるか独眼竜」

「さあな、興味もねぇ」



そう言った信玄に政宗は肩を竦めて。



「奴の発言が意味分かんねぇのは今に始まった事じゃねぇだろ」



と、少し顔を下げて信玄を見上げた。



「そうか」



すると信玄も話を切らしたのか。組んでいた腕を解いて、畳に手を着くと重い腰を上げた。



「邪魔をした」



背を向け、もと来た縁側に引き返していく。障子戸に消える直前、



「独眼竜」



急な名指しに政宗は再度訝し気な目で見上げた。



「お主も休まれよ。女子の看病に付ききりでは右目も気が休まるまい」

「…!」



小十郎を横目で見ると、両目を閉じ、口も閉じているからため息をつく。



「余計なお世話は痛い目見るぜ、オッサン」

「ぬあ!伊達政宗お主お館様に何たる…!」

「ふっはっは!威勢がいいのう」



思わず政宗に向かい、片足立ててずいっと身を乗り出した幸村。しかし信玄は機嫌を悪くするどころか両手を腰に当て、大口で笑った。



「その刃を向ける相手を違うでないぞ」



包囲網はまだ終わっておらぬのだからな。と、一言残して体を縁側に戻す。「ゆくぞ幸村」と背中で呼び、「お待ち下されお館様!」と、どたばた立って追いかける幸村と共に部屋を後にした。



◇―◇―◇―◇



空は夕刻。先刻まで鳴いていた鳥の戯れはもう見えない。時が静かに夜に向かって辺りの光を沈めてゆく。見えない地平線から届く橙の陽光はぽつりぽつりと浮かぶ積雲の空を伝い、そしてこの庭を囲う塀を象ってふわりと差し込む。寝静まっている青琉の横顔を、また部屋の中を暖色が照って久方ぶりの長閑な時間に彼らはいた。

その夕日に顔を向け、縁側の柱に背を凭れ、―――足はその縁側と平行に座っているのは政宗。
言葉なきその空間にどのくらい留まっていたかは分からない。そんな政宗を部屋の中、青琉を背に正座した小十郎が見つめていた。



「武田信玄のご厚意はありがたいものです」



静けさにそう音を刻んだ。しかし政宗は動かない。片膝を立てたまま、その上に腕を伸ばして空を見上げ、顔の傍で日暮れを拾った髪が靡くだけだった。



「あのまま奥州へ向かっていれば体力が削られるのは必須、あなた様の御決意に皆助けられました」



だからこそ小十郎は喋り続ける。
今の政宗が、流儀という名の誇りを傷付けてまで他所の軍の手を借りたのが許せずにいるのだろうと想像がついていたからだ。そうしなければ、万が一という懸念を払拭出来なかったと見抜いていたからだ。
それを政宗は一人心で噛み締めていると。



「小十郎」



呼ばれた小十郎はしかし言葉にはしない。政宗が言わずにいる事を詮索したりはしない。分かっているからこそ、同情など以ての外なのだ。
そしてこの先どうするか、必ず政宗は考えていると踏んでいた。



「“赤い月”―――お前はどう見る」



案の定、そうだった。
空から顔を背け、体と同じ向きに戻した政宗は小十郎にふらりと目を送った。



「あの明智がただ月を見たいだけだとは思えません。もう一度、ということは何かの再現を目論んでいるのではないでしょうか」

「だろうな」



双方納得のいく答えだった。
「いずれにせよ」と、政宗の顔が曇る。



「タチの悪い事には違いねぇ」



無言で頷く小十郎。伊達が味わった屈辱は明智に終始する。それを晴らさずして、この戦は完結しない。

政宗は再び夕焼け空を仰いだ。

(血塗れの望月、か)

日が沈む直前。橙よりも赤みを増した夕焼けが青の空に広がった積雲を赤と黒に変えていった。

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