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『!』



目を開いた。別にこれといって驚いて丸くしたわけではない。しかし意識は突然“此処”から始まったが如く、感覚が研ぎ澄まされて状況を判断しかねたのだ。

(此処は…何処だ?)

心の中の声が意図せずその空間に筒抜けに響いた。
暗闇。本当に自分の姿以外何も見えない黒。
敏感な五感を思考に繋げても思い当たるものが見つからず、混乱のままだった。
自分が立っているこの足場も黒くて見えない。黒の景色になぜか自分は淡く光って浮かんでいるように見えるから、腕を足を―――自分の姿を見る事はできた。



『…―――ひっく…』



その中で急に幼子の声が聞こえた。引かれるように振り向いて見つけたのは、



『うっ…うう…っ』



泣いていた―――折った両膝を胸の前に抱いて、座って両手で目を擦っている幼な子。初めて出会った頃の小さい小さい青香だった。



『青香―――!』



飛び出していた。方向感覚などないこの黒の世界で、この先に道があるかも分からない不確実な此処でそれしか選択出来なかった。
―――泣いている姿なんて見た事がなかったから。



『はっ…、は…!』



…走って走って、黒にぽつり浮かんでいた姿に近付こうとした。だが近付くどころか青香は座ったそのまま遠く、追いつけないほど早く遠ざかっていく。小さくなっていく。



『待って…』



闇に。



『待ってくれ…!』



染まっていく。

一向に縮まらない距離。手を伸ばしたその先で、幼かった姿はすっと立ち上がり、俯いたまま背を向けて歩き出すと段々と成長して―――私の知る今の青香の後ろ姿へと変わり、見えなくなった。




◇―◇―◇―◇



「―――………、」



木の茶色が目に入った。視界はつい今し方とは別物のようにぼやけて輪郭を留めないが、次第に明瞭になって木の材質が見て取れる。
加えてほんのりと自然な明るさが高いそれ―――天井を、そして周囲を照らしていた。

ボタッと、小さな音が耳元でする。それは頬を伝って零れ落ちた涙が枕を叩いた音だった。

(夢…)

目に入ってきた明るさを追って首をゆっくり前に傾けると、開け放たれた障子戸から、がら空きとなった外―――塀に仕切られた青空が辛うじて見えた。どこからか刻み鳴く雀の声もする。
そのまま右へ視線をずらすと正面と横の障子戸を仕切る角の柱に一人の姿が見えた。青の陣羽織に身なりを包み、兜は被っておらず、座位で柱に寄りかかりながら片目を瞑っている―――。



「………」



独眼竜、だと分かった。

ずりっと、指先が敷布の上を滑る。本当は体を起こそうとしたが、やっと出来たのが布団の中のそんな動作ぐらいで、体は一向に言う事を聞かずに鉛のように重い。その上、掛かっている白い布団もその重さに拍車をかけているかに思えた。



「…っ…、は…」



漏れた呻きも掠れて消えるように何の足しにもならない。
そんな時、



「―――…、」



斜め向かいで腕を組んで閉目していた政宗の目が開いて、目線が青琉を向く。

―――目が、合った。



「―――…独…」



眼竜、と最後まで声にならない。力も入らず、音にできた声もまるで呟きのような小さな囁きだった。

政宗は腰を上げ、青琉に近付いていく。
遠かった姿が青琉の重たい瞼の中で次第に大きくなり、全身が見えてきた。
政宗は布団の横にすとんと腰を下ろし、片膝を立てる。



「…ったく」



眉寄せて口を開く。



「無茶―――しやがって」



伸びた片腕は青琉の頬を包むように髪を潜って触れる。濡れた涙の軌跡を辿り、目尻に溜まったそれを親指で拭った。

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