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雨が地面を濡らしていた。曇り空が陽光を遮り、どんよりとした湿り気と薄暗さで辺りを包んでいる。
その曇天の下で、馬の蹄が泥を蹴って走っていた。―――“竹に雀”と“風林火山”の旗がはためく。

ふと、ある馬が高い声で鳴いた。それは先頭を進む立派な馬。その手綱を握る青基調の者の腕の中で、気を失っている傷だらけの体が走りに合わせて静かに揺れていた。片腕でその体を落ちないように閉じ込めたまま、前髪で隠れていた顔を政宗は上げる。



『青琉殿…!』



終わった安土の戦。城の地下を出て、黒金門に向かった政宗達を出迎えたのは慶次達前田だった。中でも一番に青琉の姿を見つけて駆け寄ってきたのは利家の妻・まつだ。
そして慶次からは市は消えたという話が上がった。突然現れた闇が本人ごと飲み込んでいなくなったのだという。市を抱き締めていたまつは咄嗟に慶次が引き離し、大事には至らなかったが、行方不明となった市を探す手立てもなく、途方に暮れていたところで見つけたのが青琉だった。
利家とまつは「加賀で手当を」と、青琉に一刻も早い処置を勧めた。以前から織田の使者として加賀を訪れていた青琉を二人は心配していたのだという。
しかし織田についていた事実は覆せない。政宗は断り、安土を後にしたのだった―――。

(もうすぐ甲斐、か)

雨が視界を濁す。ただでさえ味方も先の戦で疲労が溜まっている。早く奥州へ着くに越した事はないが、まだ遠い。
少なくともこの天気で泥濘んだ足場が低速を余儀なくしていた。その間に武田―――伊達軍より後に出発した幸村達が追いつき、偶々なのかそうでないのか今、木々を隔てて進路を同じくしている。

政宗はちらりと横目を彼らに向けた。



「―――…旦那。あれ、」



いち早く政宗の視線に気付いた佐助が幸村を見る。隣に並ぶ佐助にならって直ぐに横目を流す幸村。



「どうする?」

「如何いたしましょう、政宗様」



同じくそう言ったのはその目を木々の奥に向ける小十郎。そんな彼を一瞥し、政宗も再び向こうの武田に視線だけ遣り、その目を少し細めてみせた。丁度先頭を走っているのは幸村だ。
―――真っ直ぐ前を見ていた幸村がふと、人目を避けるように目線だけ伊達に向いて、政宗と合う。



「…」

「…」



かち合う一瞬。互いに何を気にしているのか、考えていることは同じだった。
甲斐近くのこの道を、時同じくして隣り合う緊張感。いつもであれば戦の帰りは晴れ晴れとした気分で互いに一戦交じえる高揚も今は起こらない。
織田に間に合わなかった幸村。青琉を守りきれなかった政宗。共に自身の最大の目的を成し得なかった帰還は久々の敗北感を両者に与えていた。



「政宗様!」

「!」




しかし急な小十郎の呼び止めで政宗の目は再び前に戻る。



「旦那!」

「!」




同じく武田側で呼び止めた佐助。彼の差す方を見て幸村は目を丸くした。

二本角の大兜。巨大な軍配斧。そして赤い出で立ちに施された、まるで虎を思わせる模様。その後ろに兵を従え、二頭の馬に跨った仁王立ちがいる。
それは伊達の進む先である一方、武田の目指す甲斐への道とは異なる―――直進すれば伊達と合流するところでもある。そこにいた、腕を組んで動かないその者は。



「―――お館様!?」



武田信玄。
甲斐にいる筈の、幸村達の総大将である甲斐の虎その人が。丁度二軍を分かつ木々がなくなる地点で待ち構えていた。

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