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宙に広がる赤い斑点。前へ折れる膝。傾く体。
政宗の目の前でそれは起きる。
―――血が派手に舞い上がって雪のように目に映る。
―――動く事も喋る事も忘れ、ただ目を揺らす。
倒れていく青香の長い髪がさらさらとうねって視界の隅へ落ちていき、見えてくるその後ろの【何か】に目を見開いた。
―――ヒュッ
「!!」
―――キンッ!
だがその目が相手を捉える間もなく、動いた相手に政宗が受け身を取った。青香を斬り裂いた刀は暗闇の中で素早く振り上げられ、直ぐ様勢い良く振り下ろされたのだ。僅かな光で反射した刀身を政宗が見つけなければ、青香を斬ろうと迫ったそれを瞬時に止める事などできなかっただろう。
どさっと足元に青香が倒れる。
「誰だ」
下の彼女には目もくれず、はっきりと見えた刀身を睨んでいた。しかし肝心の正体は闇に覆われて見えない。
力が拮抗する中、天上の隙間の明かりが偶然銀色の刃に彫られた織田の家紋を反射した。
青香が政宗と同じくその者に振り返る。しかし急に肩を押さえて縮こまって、歯を噛み締めていた。
「ぐっ…」
にもかかわらず、這って這って離れるように無傷の腕で進んだところでゆらりと起き上がると、政宗の背も後にし歩き出した。つんのめりながら、ふらふらと走って離れていく。
(馬鹿が…!)
―――目線を後ろに向けるも、その後ろ姿は見えない。
「動き回るんじゃねぇ!」
「―――ァ、」
政宗がはっとした。正面に向き直ると、
「あオ、…か」
「―――!!」
耳に届いた声が、繋がった名が≪あオか≫と一つの言葉になったから。それを口にしたのは。
風が靡かせる錦糸のような髪、長い鉄紺の髪と血だらけの体、無表情の唇―――生気のない枯茶色の瞳を持つ―――探していた女だったから。
「―――青琉」
お前。
「!!」
目を丸くして揺らして、動けない一瞬が隙となる。
青琉は政宗の前から寸時で消えた。横に躱して、認識した時には闇に紛れた彼女はもう遠い。
ばっと政宗は振り返る。考える暇はない。目的は分かっている。
振り向いた政宗の目先で、少し離れたところで青香の後ろ姿が見えた。足は進まず、小さな背中は動かない。
ふわり、その正面で青琉の腰に巻かれた外套がゆっくりと落ち着いて止まる。青香は肩を押さえたまま思考を停止していた。そして。
…ほんの一瞬の気の迷い。思わず一歩、青香が片足を後ろに引いた時だった。
―――飛び出した青琉が青香に迫る。
がきんっ!
大きな火花が散って間一髪止めたのはまた政宗だった。
「説明しろ…アンタ!」
目を丸くする青香を振り向きながら、青琉の刀を受け止める政宗は。
「何がどうなってる!?」
語気を強める。青香がはっと肩を揺らした。
なぜ青琉がアンタを狙う?
コイツは。
(何の目的で…ッ)
いつまで経っても答えは浮かんでこない。
防ぐ分には問題ないが、このままでは。
…何より唯一喋った“青香”という名も、不自然で人間味がなくて到底普段の青琉とは別人だった。
意識はあっても、感情がない。
目は開いていても、自分を映していない。
この女だけに異常な反応を見せて―――最早殺気を通り越した何かだった。
「…知らない」
そんな時。
「―――知らない知らない!!」
一歩、二歩三歩と後ろに後退る青香。ぼんやりとした言葉は次第に強くなり、無茶苦茶に髪を振り乱す。険しいままの政宗の目は青琉から離れないが、さらにまた顰められた。
「嘘よ…何で動けるの」
ふらり、と覚束無い足取りはまた一歩後ろに下がる。
「なぜ私の前に現れるの」
ゆらりと後退る。
ぎりっと歯の根を見せて唇を噛んだ。
「…っ!! ―――消えて!!」
咄嗟に青香が青琉に向けた銃は、引き金を引かれる前にがきんっ!と空へ舞い上がる。
「誰に銃を向けてやがるテメェ…!」
「小十郎!」
「くっ…!」
現れた小十郎の的確な刀さばきが青香の銃を薙ぎ払った。少し後ろを向いて政宗はそれを確認する。
思いがけない第三者に、青香は恨みを込めて小十郎を見遣った。その瞳の中で小十郎が迫り、ぐっと後ろに引いた刀が小さく映る。
「やめろ小十郎!!」
飛んだ声。キインとぶつかる鉄の音。
一瞬のうちにそれらは起こる。
青香の首に触れるか触れないかで、ぴたり止めた小十郎の斜め前では即座に動いた政宗が青琉の刀を受け止めていた。―――青香を青琉から守るようにだ。
「政宗様!?これは一体…!」
「ah…かなりchaosな状況だ」
苦笑する政宗の意図をいつもなら想像できるが、今の小十郎には理解が及ばなかった。分かるのは、何かしらの目的で青琉が一方的な攻撃をしているように見えるぐらいだ。
何れにせよこの状況は見逃せるものではない。
小十郎の眉間の皺は深まった。
押し合う二人の刀。それを見る青香の心は苛立ちに染まり、下手に動けないまま小十郎に目を戻す。何か言いたそうに不機嫌そうな顔で、その口を開いた。
「…邪魔をしないで」
「テメェが、だ。動くなよ、逃がす気はねぇ」
癪に触ったのが、あからさまに奥歯を噛み締める青香を見て取れた。だが小十郎の剣先は少しもぶれず、お互い無言で睨み合ってまさに一触即発の刹那。
―――キンッ!と。その張り詰めた空気を破る一響。政宗のひと押しが青琉の刀を押し返し、数歩後退った彼女の手を離れた刀は空高く回転する。
武器を失った体は咄嗟に動きを鈍らせ、ぼんやりと焦点の合わない目と流れる髪をそのままに足がもつれた。
ただ倒れるだけを待ち、宙に投げ出されていた―――掴むものをなくした腕をぐいと引っ張り、政宗が抱き締める。
「…やめろ」
―――青琉。
名を呼んで。離さないように離れないように。刀持つ手と逆の腕で強く抱き締めた。まるで声に反応して青琉は目を大きく開く。驚きに揺れる。
「―――……」
そして次第に細くなって。そのまま閉じられるや、がくんと崩れた体は政宗の腕の中に落ち込んだ。
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