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『 』
≪―――ドンッ…≫
強い衝撃だった。誰かの声が聞こえた気がするが、その言葉は何か分からない。
横から突き飛ばすように、元いた位置を入れ替わるように、地を蹴って跳ねた人影がその両手を此方に向かって伸ばす。そして為されるがまま、体は押し出されていた。
―――地面から浮く足。驚いて見ていた。
お互い、地から足が離れた一瞬に。
突き放されて、その姿がどんどん遠く小さくなっていく僅かな間に。
長くて綺麗な、まるで夜空のような鉄紺の髪を靡かせていたそいつの口元が―――手を伸ばした先で、少しだけ安心したように笑った気がした。
≪―――パァンッ!≫
「!!」
目を剥いた。政宗はその目を震わせる。
(…何、だ―――)
乾いた爆発音。それは頭の中か、それとも今という現実のものかわからない。ただ弾けたその音が自分の視界を変えていた。夜空の色はもうない。
何より思考の一切をそれに充てて、身動きを忘れていた。それは周りには分からない微細なものだが明らかに混乱だった。
倒れる感覚はあったのに体はこの場から動いていないから、攻撃されたわけじゃない。ただ意識はちゃんと、これを強い実感と認めている。
この矛盾は何なのか、妙に現実的なあれが何なのか。
「…―――、」
オレは知らねぇ。
「…―――がまさ様」
そんな時。
「長政様…!!」
「―――!!」
政宗の耳にやっと届いた声が一つ。
目線の先で地面に座り込んでいる市。そしてその腕の中に横たわっているのは、
「……」
長政だった。口から血を流し、血色を失った―――動かぬ骸となった長政が市の腕を赤く染めていた。
刹那、ギリッと力が籠る。自分に起きた答えの出ない出来事よりも、目の前のはっきり分かる状況が頭の中を占めた。
浅井が撃たれたという事実に、手は震えるほど強く、同時に噛み締める歯も音を立てていた。
「浅井長政」
下ろした銃口から煙が上がり、青香の髪と共にそよ風に揺れる。
「織田との同盟は、盟友朝倉への不可侵を条件に承諾。でも呆気なく条件は破綻…。
―――結局朝倉討伐を命じられ、頷けないままお市を人質に取られた」
そう言うと政宗に向き直って、据わった目で見つめた。青琉と同じ、枯茶色の瞳で。
「…、」
見返す政宗は顔を顰め、その表情に影が落ちる。
「その場は呑んだわ。…だって身内を取られているのだもの」
枯茶色の目は静かに両目蓋に挟まれ細くなる。楽しげに抑揚が付いた言葉は止まり、軽く目を閉じると俯いて笑った。
「…けどやはり討つ事は出来ず、朝倉の説得を願い出た。でも、」
現実は残酷。
「丁度その頃、朝倉は帰蝶と蘭丸によって討たれた後だったわ。そして―――伊達と武田(あなたたち)が尾張に入った」
と言い終れば、青香はまたゆったりとした表情を上げる。
「…皮肉ね。本当なら殺されていた長政はあなた達のお陰で生かされた」
「長政様…長政様…っっ」
「けれど、愛する人を庇って命を落とす。―――とても素敵な事じゃない」
浅井を呼ぶ声が耳に入る。
コイツは今、何と言った?
オレ達が来たのがgood timingだった。だから今こうやって殺したとでも言いたげじゃねぇか。
「アンタ…、」
口元に指を添え、首を傾げて微笑んだ青香に政宗の目がさらに鋭さを増して顰められた。嫌な予感。少なからずあったそれが急に色濃くちらついて。
「青琉は―――どうした」
その名を口にしていた。眉間に寄った眉が、目の周りの皮膚が大きく震えを起こす。
喋った声が強い怒りに支配されて、抑えようとしなければ爆発しそうなそれと葛藤していた。
『…貴様は身内を貶める為に織田に付いたそうだな』
浅井は言っていた。鎖で繋げて捕らえている―――と。
本当なら、それが本当なら。
「…」
―――コイツは。
青香は口を閉ざしていた。口に近づいたままの指を動かさず、傾いた首も微動だにしない。声が届いてるのかそうでないのか。政宗の怒りが頂点に達する寸前、ふと口が開いた。
「…楽しかった」
不可解だった。その言葉の意味が一瞬では理解できずに目を大きくした政宗の、髪や衣を風が揺らす。
「真実を知って絶望に歪む顔、かといって抵抗もできずに弱っていく。私が姉だから慕って、背負って。
―――残酷なほど優しい。…あなたにも見せたかったわ」
ぶわっと風が舞い上がり、冷たく微笑んだ顔がよく見えた。
「―――青琉」
ゆっくりと、大きく開き、震えるその眼に青香が映る。僅かな時間、微かに開いていた政宗の口から。
「……テ、」
出た声が震えて。
「メェ…ッッ!!」
歯を噛み締めて揺れる。
刹那、カチャッと狙いを定めた銃。青香は政宗に体を向けたまま、腕を後ろで止め、銃を市に向けた。
市は肩を揺らして泣きじゃくっていたその顔を上げて、放心状態で彼女を見る。
―――しかし銃口が火を噴く事はなかった。青香が気付けないほど刹那的に、距離を詰めた政宗が両手に握った一刀で銃を真っ二つにする。
「―――…、」
無表情を政宗に向ける青香。そして。
―――ピタ、と。勢い良く風を切り、政宗の刀は青香の首の横で止められた。
髪が兜の下でふわりと舞い、もとの場所へと落ち着く。
青香は目線を斜め下に落とし、自分の首に添えられた切っ先から刀身が伸びる先を追って強く政宗を見つめる。
「―――…殺したのか」
そう言った政宗の顔は兜と前髪に隠れていた。
「アンタが…ッ」
しかしその顔は言葉と共に上がる。睨んで、今にでも斬り殺すかの勢いで、突き出されている両手が様々な感情を混ぜて震えている。柄に力を込めて、剣先が震えている。
「…だったらどうするの」
「…」
「私を殺す?」
顔を顰めて身動きをしない政宗に対して、青香は口元に笑みを浮かべる。
「殺せないわよねぇ…!だって、」
同じ顔だから。
「私と青琉を、―――重ねてる」
「!―――」
一瞬、時が止まったかのようだった。直ぐそこまで近付いて初めて気付く。
政宗が目を見開いたのは、青香の手が頬に添えられそうになったから。武器をその首元に残しながら、手を頬に近づけてきたのである。
直ぐ様政宗は飛び退いていた。一歩も二歩も大きく後退し、後ろ足でその勢いを止めて踏ん張ると、刀を後ろに引いてぐっと構えた。
(この女…)
しかしその場から動かない青香が手を下ろして微笑したのを咎める暇もない。突然の爆発が辺り一体の音を消し去った。
青香の行動によって眉に皺を刻んでいた政宗は即、劈く音に大きくした隻眼を向けた。すると門の先―――さらに上、天守の方から炎と煙が上がっている。
…一瞬だった。一にも満たないほんの少しの間、政宗が見えるか見えないかの奥まった天守に目を向けていた間だった。さっと目を正面に向けた時、政宗の視界を白が覆う。
(!!…閃光弾―――)
光に全ての輪郭が飲み込まれる直前、見えた。それは青香が政宗の目の前にふわっと投げた後ろ姿。此方を振り向き、薄笑いしながら去っていく姿。
直ぐにカッと、光が辺りを飲み込んだ。
「…―――くっ、これは…!」
その光景を、そこまで数段に迫った幸村の目が、腕で顔を庇いながら捉える。
「政宗殿!」
段を蹴って上りきった幸村が声を発したのと、光が消えたのはほぼ同時。幸村の視界には政宗の背中が入る。
政宗は目を覆っていた腕をゆっくりと外し、目線を上げた。
「…」
しかしそこにはいない。左右に目を遣っても青香は既にいなかった。
立ち止まったままの幸村の後ろに小十郎と佐助も到着し、さらに慶次、そして前田軍―――利家とまつも駆け付ける。ぎゅっと寄せた眉根を揺らしている政宗の耳に「…―――…お市様…っ」と駆け寄って抱き締めるまつの声が響いて。政宗は目を閉じた。
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