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「―――私に会いたかった、ね」
青香は銃を持った右腕を下げ、くすりと笑う。首を横に傾け、目を緩めて見せた。
「それは口説き文句?…それとも脅しの前触れかしら?」
「アンタが思う以上に…高くつくぜ?」
政宗の顔に笑みはない。すっと顔を下げ、少し俯き加減に―――しかしじっと彼女を見上げていた。
「ふふっ…」と心底機嫌良さそうに青香は笑った。
「そういう怖いもの知らず、嫌いじゃない」
そしてカチャリと銃を政宗に向ける。
「面白い男ね…独眼竜―――伊達政宗。もっとあなたを私に見せて?」
「…アンタは、何だ?」
そんな青香の言葉とは裏腹に、政宗は探る目を変えずにいた。
その顔、その声。なら双子というだけで片付けられないこの違和感は何だ。
『もう復讐しかないんだッ!!!』
―――アンタの為に、身内の為に生きていたアイツを陥れた理由は何だ。
政宗が肘を後ろに引いて、腰を低くし、両手に持った刀を構える。
「全て―――吐きな」
しかしだんっと地を蹴る音で一触即発を破ったのは政宗ではなかった。
青香の前で半ば盾にされていた蘭丸が勢い良く踏み切って彼女から離れ、くるりと門の端に着地したのだ。
直ぐに弓を引き、矛先を彼女に向けた。
「蘭丸を無視するな!」
長政は目を白黒させ、政宗は構えを少し解いて刀持つ手を僅かに下げる。蘭丸が味方である青香に敵意を示したからだ。
「なんでだ…」
動揺が声を微かに震わせる。蘭丸は何処か割り切れない気持ちを引き摺り、弦を引く手を落ち着かなくさせていた。いつの間にか銃を下ろし、微笑とも苦笑とも取れる表情を彼に見せて青香は黙っている。
「なんでお前が此処にいる」
「…」
嫌そうに顔を歪め、ただ一人彼女しか見ていなかった。
「血塗れで、」
青香の着物の、沢山の赤黒い染みを辿って。
「血、が……」
言っていた言葉は、何かに気付いたように遅くなった。茫然と目を見開いていき、顔から表情という表情が消えていく。弓を引く手が握りとの距離を大きく縮めた。
(…what?)
「―――嘘だ…」
眉を揺らした政宗とは異なり、蘭丸の声が裏返って震える。
「その銃は…」
『蘭丸君』
黒金門(あそこ)の守りは任せたわよ―――…。
「お前は!!」
目に涙を張った蘭丸が、
「信長様に殺される筈だろ!!」
―――ドオンッ!
叫んだ瞬間だった。政宗の目が大きくなっていた。
本当ならばその後にも言葉があった筈なのに、大きな銃声が掻き消す。
カッと見開いて震える政宗の独眼に門の上の二人が、銃を撃った青香と撃たれた蘭丸が映った。
「…折角助けてやったのに」
硝煙の向こう。突き出した銃の奥で、
「お喋りな子供は―――嫌いよ」
青香の口が三日月を作る。
直ぐ様、ざしゅっと戦には聞き慣れた音が響いた。距離を詰めた青香が、懐から出した短刀を蘭丸に斬り下ろしたのだ。
門から突き落とされた蘭丸の背はドッ!と地面に打ち付けられ、後を追って落下した弓が跳ねる。
「ぅ……ッ…、」
一、二と数え終わるまで動かなかった体は、力を絞りながら横を向いて苦しそうに呻く。這いつくばるように手で地面を掴む。
そんな蘭丸の目の先でカランと弾けたのは、上から落ちてきた茜と黒の簪だった。
折れて、割れていたがそれは濃姫の簪だった。
「ち…くしょ……」
口から血を流し、咳き込みながらも歯を食い縛って、その簪だったものに手を伸ばす。
「濃姫様…信長様…」
震える手。だがその手は簪まで届かない。
―――そして。
パタン、と。まだ戦場には幼い手が地面に落ちて動かなくなった。
「………」
政宗は動かず黙って見ていた。
しかし俯き、前立てと流した前髪が目を隠す。固く閉じていた口が途端、ぎりっと噛み締めた歯を覗かせて。刀握る両手が再び後ろに引かれてカタカタと震える。
青香は門から飛び降り、しゅたっとしゃがむと立ち上がって。蘭丸の傍を横切り、距離を置いて政宗の正面に止まった。
「……」
「あら、何を怒っているの?独眼竜」
青香は再び首を傾げて見せた。態とらしく腕を組んで薄ら笑みを浮かべて。
「…これであなたを塞ぐ敵が一つ、消えたじゃない」
考えるように下を向いて言う。その口は皮肉を象り嘲っていた。
ふと政宗は刀を握る力を抜く。
「アンタ、」
―――織田に殺される筈、そう言われていたな―――
と、続けた。冷静な顔に戻った政宗が青香の目に映る。
「見限られたのか?…それとも
見限った、のか」
「…」
ぐっと握り直して険しい表情を浮かべた政宗に、青香が緩い三日月のような目で笑った。
「―――貴様…!」
その時、今まで黙りこくっていた長政が口を開いた。すっと青香の目は長政に向き、政宗以上に険しい顔が目に映る。
風を裂く勢いで彼は剣を向けた。
「青香、といったか。…貴様は身内を貶める為に織田に付いたそうだな」
政宗の目がピクリと反応して一瞬だけ揺れる。一方で長政の顔は益々厳しさを増した。
「挙げく鎖で繋げ捕らえている。それだけで悪であり許し難いというのに、それに飽き足らず今度は味方を貶めんとするなど…!」
「だったらどうするの?織田から離反したあなたが」
はっと目を大きくした長政の口が半開きになって、向けていた切っ先がぶれて揺れる。
「あなたが気にしているのは私と織田との関係じゃない」
―――自分が織田に刀向けて、どうなるのかという事―――
「捕らえられているあの子を見て、“あの人”もそうなるのではないかと恐れているだけ」
政宗の目が細くなる。「でも安心なさい」と、ばっと両腕を広げて青香は笑った。
「私が始末してあげた、あなたの代わりに朝倉を討った帰蝶と蘭丸を。
―――あなたが出来なかった盟友殺しの穴を埋めた、残忍な二人をね」
「…なぜアンタがそこまでやる?」
再び青香は政宗を見つめる。
見限られたにしろ、見限ったにしろ自分の手を汚してまでやる理由は。
「…」
わざわざオレ達の前に現れた理由は何だ。
広げていた両腕は、ぱたんと体の横に戻る。相変わらずゆったりと微笑んでいるが、
「…分かっているでしょう。独眼竜」
心無しか細められた目が、そしてその言葉が。
(コイツ―――)
政宗の目を大きくさせる。
「―――そうだわ。忘れてた」
そして青香は急に自分の背後の門に目を遣った。
「あなたが喜ぶと思って私連れてきてあげたの」
それが合図のように、ギィ…と開いていく扉。その向こうの景色が光と共に政宗と長政の目に入り、二人を照らしていく。
「これを見れば直ぐ機嫌を直してくれると思うわ」
体を捻って振り返る青香に同じく光が当たって、笑うその顔に明暗を作る。そして門の向こうに人影が現れた。
「長政、様…」
「市―――!」
そこに居たのは長政の妻、お市だった。思わず身を乗り出して一、二歩進む長政。
市の腕を両脇で押さえていた兵士が手を離し後ろに下がると、市も一、二歩進む。そしてゆっくりだった足取りは直ぐ駆け足になって、門を潜り長政の元へ向かう。
「長政様…!!」
「来るな市!!」
「…ッ!!、…」
カチャリと向けられた銃口―――その先の市が足を止め、銃を見たまま動けなくなる。
「市ッ!!」
「…!!
―――罠だ浅井!!」
弾けるように飛び出した長政を呼び止めた時にはもう遅かった。大きな銃声と共に、銃弾は市の目の前で長政の背中を撃ち抜いた。
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