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―――ドオン…
暗い暗い常闇に響く新しい音。まるで地の底からやって来るような低く重たい振動は、暫くぶりに彼女に思考をさせた。
(また………戦………)
舞良戸で外の光が遮られ、他の部屋とも襖で仕切られた座敷の真ん中で思う。舞良戸の反対側は唯一、この一の丸の廊下だが人の気配はない。大方皆、この音の元凶へ向かって行ったのだろう。
折った膝を両手で抱えるようにして座っていた。体を縮込めていればこの冷たい闇の中でも、自分の身ひとつくらいは守れると思ったのだ。
いや、本当ならこの閉じ込もった場所を抜け出して兄様に言わなければならない。“もうやめて”と。
その為の自分で行って襖を開ける脚はある。兄様のいる場所も想像がつく。
それでも、立ち上がって部屋を出るなんて主体的な行動をするだけの気力はなかった。
≪ドオン!…≫
音は近付いているようで少しずつ大きくなっていた。そして絶え間なく続く。
織田の誰かが爆弾兵でも放っているのだろうか。それとも何処かの誰かが爆弾でも放っているのだろうか。
…また誰かが織田に殺されるのだろうか。
『朝倉を討てぃ…出来なくば』
『ま、待ってくれ!!』
ああ、あの人の悲痛な声が蘇る。厳しくて、でも優しいあの人は兄様から親しい朝倉様討伐の命を受け、心を傷めていた。躊躇って黙り込んで…けど私の頭に突き付けられた種子島を見て、従わざるを得なくなってしまった。
私は大丈夫と言っても、人質に取られて泣く泣く条件を呑むしかなかった。
「市が…市さえいなければ…」
『…ッ、』
あんな苦しそうな顔…しなかったよね。
長政様…。
―――舞良戸は外の光に僅かに縁取られ外の在処を示しているも、その光には何の希望も見い出せなかった。
分かっている、この戸が開いて外の景色を伺えたところで頭上には赤黒い空、目下には魔の軍兵達が犇めいているだけなのだから。逃げる足場はない。
自分を取り囲む金襖には虎が描かれ、舞良戸を縁どる僅かな光にその姿を照らされていた。
本来なら豪壮で煌びやかなそれは、この暗さの中で今にも動き出しそうに佇んでいて市は怯える。
だからといって一番奥の舞良戸に背を預けるのも落ち着かなくて、真ん中で蹲っているのが一番ましだったのだ。
「…」
いっそこの舞良戸からこの下の戦場に身を投じてしまいたいとも思う。だがそれでは。
『市!』
(長政様、怒ってしまうかも……しれない)
怒らせたくない。
苦しませたくない。
笑って…なんて言わないから。
元気でいて欲しい。
いつものように―――…。
「長政様…」
ぎゅっと膝を抱える力を強めた。
怖い。
(闇に飲まれそう…)
そう思った時だった。
―――スッと乾いた音が耳に入る。目の前の襖が不意に開き、市の黒い目が開かれた闇を探った。
「だ、れ…」
「今日は、お市」
顔は見えない。黒暗がその者の姿を隠すと同時に、とてもよく闇に溶かし込んでいた。
しかし久しぶりに感じた人の気配は市の五感を精一杯働かせる。
すたすたと此方に近付いてくる曖昧な輪郭に対して畳を踏む軽い音がその存在を確かに証明していた。光に反射して暗紺の髪が見える。
その者は緩く弧を描いた口を開いた。
「あなたを―――迎えにきた」
◇―◇―◇―◇
「WAR DANCE!!」
「大車輪!!」
二人の掛け声に付随して、上がる雄叫びは数十倍に及んでいた。ぱあんと弾けるように爆風の中で宙に舞う兵など意識の外で、政宗と幸村は先を進んでいく。
「飛翔剣!!」
伊達・武田に続き織田の兵を斬り払っているのは長政だった。刀を真上に振り上げて数人の敵を浮かせると、飛び上がって追撃する。当たった敵は地面に突き飛ばされた。
「道を開けよ!貴様らを束ねる者に私は用があるのだ!!」
着地した長政は一帯を見回すとそう叫び、ドオンと煙が上がる。もくもくと立ち込めて見えなくなる長政を、土塀の瓦屋根上から眺めていた佐助は、目の上に手傘を作って言った。
「力入ってるねー、浅井方」
「して佐助。何故浅井は織田に刃向けておるのだ?」
佐助の目下にいた幸村は敵兵を薙ぎ払った後、顔だけ向ける。
すると「ああそれは」と、低く真剣に一声置いて佐助は続けた。
「俺達が城内に入る時、織田の兵が浅井も攻撃してたんだよ。それがきっかけだろう」
「Hmmm…I see」
「げっ」と言いそうな顔をして佐助が下方を見た。屋根の真下の塀に背中を預けて、腕を組んでいる政宗がいたのだ。
「どうりであの正義馬鹿の眼中にねえわけだ」
(またこのガキャー盗み聞き…)
ぴくぴくと眉を痙攣させ半目で政宗を見る佐助の口は笑っているが、内心は怒りを抑えている。そんな時、佐助の左右に忍が現れて武器を降り下ろそうとした。
が、一瞬で弾かれたように体を翻して倒される。佐助の両手にあった大型手裏剣に斬られたのだ。
「―――おおおおおお!!」
それが合図のように、奥の曲がり角から敵が流れ込んできた。
追手門から続いていた一本道の階段は、門の横から入った政宗達からは遠く、予想以上の兵と鉢合う事となった。回り道でとにかく道なりに上へ進んでいたところ、遅れて来ていた浅井軍がその階段を上っていて、先を越されていたのである。
武器を強く握る三人。「やれやれ」と言いたげに笑っている政宗が構えた。
「雑魚に用はね―――「うわああああああっ!!」
しかし三人が動き出すより先に、敵の塊は飛散する。「邪魔だッ!!」と叫ぶ声の後、電撃を纏った突進がやって来たのだ。
散り散りになる人込みの中、土煙に青い稲妻を光らせて唯一立っているのは小十郎だった。
「小十郎」
鯉口を切っていた政宗は戻すと、寄り掛かっていた土塀から体を離して彼に近付く。
「この先に浅井の向かった階段があります。奴は安土の造りに詳しい筈…追えば自ずと魔王の元へ辿り着けるでしょう」
「ok、此処は任せたぜ」
「はっ」
阿吽の呼吸。まるで互いの役目、目的を熟知しているかのように一瞬で終わり、政宗は小十郎の傍を通り過ぎた。そして走って曲がり角へと消える。
「佐助!!此処は任せた!!」
「はいよ」
幸村も政宗を追って走り出した。
「待たれよ!!伊達政宗えッ!!」
立っている小十郎と擦れ違い、互いに向けた背中が離れていく。擦れ違う刹那、小十郎の目が真っ直ぐに先を見つめる幸村を追った。しかしその目ですぐ正面を見る。
うなり声をあげて今度は織田の雑兵が下方から押し寄せてきたのだ。
たっと、小十郎の傍の土塀に佐助が移った。
「…右目も大変だねぇ」
「すべき事をする…それだけだ」
だっと走り出す小十郎。一刀を両手に掴んで、切先で地をなぞりながら離れていく。その背中を薄目で見つめ、
「…さて、俺様も仕事仕事」
そう呟いた佐助は小十郎に背を向け土塀を降りると、やってくる敵の中に走っていった。
◇―◇―◇―◇
爆風と舞い上がる人を遠く見ていた。米粒のように小さかったそれは段々と頭・胴・脚を視認出来るほどになっている。
いつもの戦と変わらない光景に大して思うことはなく、それよりも少年の頭は端を摘んで持った巾着の事でいっぱいだった。追手門から続く階段の頂上―――黒金門の上で巾着を下にして揺らす。
「あー、金平糖なくなっちゃった」
その間もゴゴゴゴ…と下から持ち上げるような地鳴りは止まらない。足音だった。
しかしその騒音にも興味なく、近付いてくる土煙とその中に時折見える人影をじっと追う。
「あいつら殺したら信長様くれるかなぁ」
巾着を懐にしまい、僅かに下げた顔は獲物を狙う狩人のように鋭くなる。
「よーし、こい…」
先頭にいる紅白の武装の男を見て、眉を顰めて笑うと立ち上がった。
「蘭丸が全部―――やっつけてやるよ」
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