54
「―――…によ、」
心の中で、何かが騒いでいた。
「何、よ、…それ」
強く強く、手を握り締めていた。
青香の顔は下がり、髪が顔を隠して影を落とし、声は思い出して震えていた。
―――ひとつの過去を思い起こして震えていた。
『―――…ちつけ!!』
段々、明確に蘇るあの時。
―――浅くて早い自分の呼吸の音。
真っ暗な視界は瞬きの都度、入る光で目の前のものをはっきりさせていった。畳、床の間、その壁の掛け軸―――映る部屋の風景。
そして外から当たる陽光は障子でぼやけていたのに、その声の主によって開けられ、部屋に眩しい明かりが射し込んでいた。
それでも私は、私の目は畳に落ちた光よりただ一人―――目の前で座ったまま後退りをする同じ顔を捉えていた。私を見上げて戸惑いを散らつかせる妹を。
『落ち着け青香!!』
しかし蹲るあの子と、立って見下ろしていた私の間に割って入ってきた。―――あの子、青琉を守るように両腕を広げて入ってきた。
『あ、青香―――『大丈夫か青琉!?』
私に伸びた青琉の手は、突然青琉に体を向け抱き締めた父に…父の腕の中に閉じ込められて。
唇を噛んだ。
『…、』
どうしてそんな目で見るの父上。
どうしてそんな。
警戒の篭った顔で。
……私は娘でしょ?
―――本当に血が繋がっているのは、私なのよ…?
どう…して。
『……っ―――、』
そんな苦しそうな顔で、私を見るの。
その時の私は理解なんてしてなかった。したくなかった。だから、
『―――…母上、』
母上なら、分かってくれるわ。
…そうでしょ?
―――そう期待を込めて振り返った。
『…青香…、』
それなのに。
(どうして)
―――そんな信じられないものを見るような目で私を見るの?―――
雷がよく似合う最悪な日だった。大嫌いなあの音が鳴る度に、あの光が辺りを白に還す度に私の心のひびは大きくなって。やがて、ガシャンと粉々に砕け散った。
…その時私は気付いてしまった。
『嘘よ…っ、』
暗い部屋の中で、時折光る雷の中で頭を抱えて蹲ってももう変えられない。
私はいつしか。
『嘘よ………―――』
一族にとって異質な存在になっていたんだと―――…。
「―――…お前じゃないッ!!」
「ぐっ!!」
ドッ!と青香の蹴りが脇腹に入り、体が一瞬浮いて、また地に転がる。
直ぐに青香が近づいた。
「お前が私の居場所を奪ったのでしょうッ!?
お前さえ…現れなければッ!!」
「ぐはッッ…!!」
「お前さえいなければ!!…私はッ!―――ひとり娘でいられたのにッッ!!」
降った片足はさらに強く押し込むようになっていくばかりで、手を伸ばし、その脚を何とか掴むも「ガハッ」と咳き込んで。血反吐が床に斑点を作る。
しかし青香の悲鳴のような叫びと踏み付けは止まない。
青琉の腹を踏んではその力を緩めてはと繰り返し、青琉はぎゅっと目を瞑って。歯を強く噛み締めて耐え続けていた。
その時青香の上がった呼吸とともに脚も止まって、やっと呼吸らしい呼吸を再開する。
「何で…何でよ」
「……、」
その声を揺れてぼやけた視界で、虚ろに青琉は拾っていた。くぐもった小さな声を、その姿を見上げる。
「どうして私と同じなの…。私を追い詰めるの…」
「…………、」
何も言えなかった。
血を流しすぎたのかよく見えない。青香の顔は見えなかった。体もまともに動かない。
「私が何をしたっていうの…。全て―――お前の所為じゃない」
私と同じ見目形で。
「お前が私の前に現れて!!全てがおかしくなった!!!」
―――ひとり娘である私。いつしか瓜二つの二人になって、その枠に収まらなくなった。
『青…『青琉!』
青琉を押さえ込むようにあの時父上は抱き締めた。青琉が発しかけた言葉は父上の胸の中で閉ざされて消え、あなたはそれ以上何も言わなかった。
困惑した目で私と父上、硬直する母上を交互に見るだけだった―――。
分からない。
「ねぇどうして?どうしてあなたが良くて、私が拒絶されなければいけないの?
…答えて、答えて!!」
「…っ!!…、っっ…!!…」
ドッ!ドッ!と再度始まる踏み付けは、場所などお構いなしに全身に及んでいた。顔は免れるも、骨は何本か折れているだろう。そんな他人行儀に自分を思い、
「ぅぐッ!!…」
痛みを受ける中でふと繋がる。
そうか、
(青香は…―――)
「許さないッッ!!!」
しかしその声と同時に降った足の、当たり所が悪かった。ごきゅっと鈍い音と共に、
「ッぐ…ゲホ!!ガハッ!!」
激しく咳き込んで腹を抑えていた。床に吐き出した血をぼんやりと眺めて、
「―――…げほッ、は…………は……」
ただその先の青香の足元を見つめていた。
青香は黙って震えている。悲しいのか憎いのか腹立たしいのか。
「他所者のお前に…ッ!」
顔を歪ませて。
「私の、あの時の気持ちが分かるのッッ!?」
―――泣きそうな声でそう叫んでいた。
青香は怖かったんだ。
…私以上に。
『……っ―――、』
『…青香…、』
―――父上や母上、一族に認められない事が。
怖かったんだ。
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