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「嘘…だ…、」



薄く笑うその表情、細い目―――あの鋭い眼光。
此処に居る筈がない。
私の目の前に居る筈がない。
そんな事分かっているのに。声が掠れても、その言葉は出ていた。



「うっ、」



反射的に後退ろうとして、ぐいっと引かれた髪。上半身が浮くくらい高く引っ張られる痛みに、強く瞑った目を少し開けば、ぼやける視界が段々と輪郭を形作る。変わってはくれない。

―――独眼竜のまま、変わらない。



「…」



そんな時、頭上より高いところにある僅かに開いた口が言葉を紡いだ。



『―――青琉』

「―――ッ!!…、」



―――そう名前を紡いだ。それだけで動きが止まり、



「止、めろ…」



分かっているのに。これは幻だと、青香が見せる戯れだと理解しているのに。精々出てくるのがそんな言葉だけで。

―――しかし、突然ぱっと離された手に唖然とする。



「―――…ふ、」



含み笑いが聞こえたと思った刹那。頬を強い衝撃が襲い、どん!と床に叩きつけられていた。



「あっははっははは!」

「…ッッ、」




蹲っていた。腹を抱えて笑う青香の姿が、既に元に戻ったその姿が視界いっぱいに映る。



「最っ高ね青琉。さあ、もっと見せて。もっと」



―――あなたの苦しむ様を私に見せて。



「……」



痛い。



「ふふっ」



何が、痛い。



「あははははっ!」



心、か。



「私が憎い?青琉」



過去は、後悔はもう変えられない。



「あなたをこんな目に遭わせ、大好きだった家族も奪い、ずっと騙してきた」



ならば。



「あなたの一生を滅茶苦茶にした私を恨まないわけないわよねぇ?こんな理不尽、許せないに決まってるわよねえ?」



これが私の選んだ道ならば、



「―――…私は、」



『忘れてくれ』



あの言葉に意味を持たせなければならない。

―――力を振り絞り地面に手を付いて、上半身を起こす。まだそんな力が残っていると思わなかった青香から、笑顔を消すには十分だった。
青琉は顔を下げたまま続ける。



「私は…愚か者だ。ずっと…何も知らず、…自分は……幸せだと、…思っていた…」



『青香ー!』



「幸せな過去だけを………信じていた」



『私と一緒に鞠付きでもしよっか!』



―――ぐっと手を、握り締める。



「…だが、」



『―――ッ』



「青香を……苦しませていたんだな…、一族の平和も、乱した…。だから…青香に恨まれるのも…頷ける」



刺された足の感覚が、いつの間にかない事すらどうでもいいくらいに。



「それ、でも…!」



がりっと、床を掴むように引っ掻いていた。それで体勢が崩れ、また床に伏す。
震える全身。だが床に爪を立てたまま、強く握り拳を作る。



「それでも青香を…恨んだ、事は、…一度だってない。………私、は…」



『あ、青香ー!』



―――手を振ると振り返ってふわりと笑ってくれる、いつも私に応えてくれる青香に何度も救われた。
落ち込んでいたら何も言わずに抱き締めてくれる。



「…そっと、後押し…して…くれる、青香がいたから……」



『分かる?青琉。あなたは青琉って言うの!』



無知な世界で突然目を覚まし、何もかもに警戒していた幼い頃の私は。



「心を開いて………いけたんだ」



『……』



どんな傷も己の意思に反して直ぐ治してしまう。いや、治ってしまう。自分が普通じゃない事は分かっていた。



『……っ、』



怖くて。
いつか一族皆に不幸をもたらすんじゃないかと。そうなる前に、



「自分……なんて、消えてしまえば…いい。思った…時もある………。で…も…」



『青琉ー飯だ!』

『―――父上母上!青香ー!』




「出来な、かった…。こんな私を……見放さず、置いて…くれた………青香…父上…母上……………皆、が」



私の全てだったから。



「大好き………だったんだ…っ」



例え本当の姉妹でなくとも、親子でなくともよかった。

地で震えていた拳はすっとその力を緩める。



「だが…」



結局。



「私は…無知な、……まま…………だったのだな…。…恩を、受けても…本当、の…返し方を…………知らな、かった…」



困っている時、苦しい時。気付いてそっと包んでくれた青香。そんな温かい日差しのような青香が私の記憶の青香だった。
私に恐怖して、私の秘密を知ろうとして刃向けてきた青香を…その一時の出来事の理由を知ろうとしなかった。



『青香…私の体、透けてる…!怖い、怖いよ…!』

『―――ッ』




あの時の青香の血の気が引いた表情を、手の震えを。もっと重く受け止めていたら。
自分の事でいっぱいになっていなかったら。

まだ先は違っただろうか―――…。



「…」

「全て………私の、…所為だ」



『青琉ー、朝餉だぞ!』

『起きたらお食べ』

『ほら、父上を困らせては駄目青琉』




もう戻らない。



『あ…!あぁ…ッ!!…』

『見る……な…』




もう変えられない。



「だ……から…」



私一人の命で済むなら。
それで青香の気が済むのなら。

―――既に痛みという感覚は麻痺していたのか、あまりない。今までの葛藤が嘘のように落ち着いてきて、とても楽に笑えたんだ。



「―――私を好きに、してくれ」


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