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『―――よし、決めた』



発端は父上のこの一言だった。



『今日からこの子の名前は青琉。お前の妹だ』



明くる日の朝。私があなたを生まれ変わりだと言ってから一晩が経っていた。
昨日は騒ぎにしないよう父上と母上、私の三人だけで話をし、『すぐには決めかねる』という父上の判断で一旦幕を閉じたのだけど。明け方、いつもは騒がしくない声々に目は覚めて襖に耳をそばだてていたら、部屋の外から忙しない足音と声が聞こえた。下働きの者達の『青香様に似ておられる』『いやまさか…南蛮の衣でしょう』という会話が。
父上に呼ばれ、あなたの処遇が決まったのは直ぐだった。父上と母上はあなたを育てると決めたの。…行く宛のないあなたを反古には出来ないと。



『…』



目を覚ましたあなたは何も覚えていなかったから。何故倒れていたのか。此処は何処なのか。

―――自分が誰なのか。




「見て青琉」



そう言って突如青琉の前に突き付けられたのは、じゃらりと金具を鳴らして銀に光る楕円の塊。未だに話の全てを納得するには至らず、呆然とそれを眺めた。
首にかけられそうな鎖がついている以外、何の特徴もない。
ただの―――。



『―――青琉、青琉ッッ!!』

『―――…もう一度』



やり直せるなら、俺は。




≪ビキッ≫



「―――…ぐっ、あああッ!!!」



一瞬だった。頭にこだました声も、脳裏に浮かんだ光景も全て割れるような頭痛に引き継がれる。

急に脳裏を掠めた灰色の景色。しかしそれは視界を覆っていて、その向こうの“何か”の輪郭が僅かに見てとれるかとれないかの不明瞭なもの。しかも所々途切れ、何が起こっているのか分からない。

聞こえた誰かの声は。



「…ああっ…はっ、…はぁっ…!」




誰だ。

嵐のように来て去った“何か”。だがそんなことより、収まらない頭痛が考える術を奪う。
体が震え、汗が垂れて。全身が燃えるように熱くて、息が苦しくて。心臓もおかしいくらい忙しなく動いている。



「…っは…!!はぁ……っっ、」

「…そう」



身を縮こませる青琉からその鉄の塊に目を戻すと、青香は自分の胸元に引き寄せた。



「あなたの記憶…やはりあの時のものと関係あるのね。これはあなたを発見した時握っていた物よ」



『何だろうこの…円いの』



幼かった私は己の指に挟んで高く掲げた、膨らみのあるそれをただ眺めていた。
鉄の塊。こんな物に何で鎖が付いているんだろうと。




「こんな鉄くれに、あなたの手掛かりがあるとは思えないのだけど」



と、手の中でそれを揺さぶって。行ったり来たりする度に傾らかではない鉄の表面が、陰影と光で僅かながら明暗を変える。
しかしそれを懐にしまうと、再び青琉に視界を戻した。



「でもその様子じゃただ痛かっただけ、ってところかしら」

(何を、言ってる)



まだ痛みに耐えるので精一杯な青琉は追い付いていなかった。様々な記憶が思考の邪魔をして、今何が起こっているのか分からない。何も理解できない。

私はふたつ子で、青琉と名付けられてあの家に産まれた。それを信じていたいのに、青香と双子ではなかったと―――寧ろ違う世の人間でもともと何も記憶がなかった。なんて。



「……」



あんなものは知らない。でも体が拒絶反応を起こす。
一体なんだ。あれは、私の。



「ッッ!!」

「駄目よ。今のあなたじゃ、」



色々考え抜いて言葉にする前に頭痛が襲った。先ほどまでではないが、これ以上はまた同じことを繰り返すだろう。【一族の中にいる私】以前の事を思い出そうとすると、痛みが走る。ぼんやりと浮かぶのでもなく、ただ強烈な痛みが先にやってくるのだ。



「きっとその記憶を拒否してる。余程のものだったのかしら。
ただでさえ思い出したばかりだもの。それより昔の覚えていなかった事を簡単には思い出せないのでしょうね。…まぁそんな事したら、」



“あなたが壊れてしまうんじゃない?”

―――聞こえた声にぞくっと背筋が凍った。顔を上げられなかったが分かる。薄笑いしてそう言った青香の表情が浮かんだ。
それだけで崖から付き落とされたような衝撃に思考が止まる。
知らない青香の闇に体が震える。



「だから、思い出せなかったのならいいわ。青琉。
私、あなたに話したかった事が沢山あるの。久しぶりの再会だもの、一緒に懐かしんでくれるでしょう?」

「―――、」



言葉が出ない。座って青琉を満足そうに見つめる青香は、彼女の返答など待たずに再び語り始める。



『…―――青琉ー!こっちこっち』



―――歩く、食べる、寝る。幼い青琉は、そんな最低限の行動は出来ても唯一出来なかったのは言葉の理解だった。記憶と共に綺麗に抜け落ちたかのような思考の退化は、私達だけでなく青琉自身の頭を悩ませていた。だから喋れなかった青琉には私が付きっきりで感情、物の名前、全て教えた。
教えた言葉は程なく理解し、私の呼びかけにも反応するようになった。気付けば私の着物の袖を握ったり、後ろを付いてきたり。会話も普通にできるようになって、声も見目形も殆ど同じ私達の区別は寂しがり屋のあなたの行動からされた。
そして最初はあなたを気味悪く言ってた家臣の一部も、その成長と剣術の腕に何も言わなくなっていった。



『青香』

『どうしたの?青琉』

『父上まだ帰ってきてない』

『んー、そうね。今日は帰りが遅くなるって言ってたからね』

『…』

『私と一緒に鞠付きでもしよっか!』

『…うん!!』



―――決して強くはなかったけど、平和な一族だった。あなたは父上、母上そして私だけじゃなく家臣や女中、下男にも無邪気に話しかけるようになり可愛がられていた。
他の者から見ても家族同然、双子そのもので。時が経つにつれ、いつしか私とあなたは“本当の双子”だという錯覚が皆の頭に刻まれていった。

―――でも、どんな言い訳でも隠しきれない【あなたの普通じゃない点】が一つあった。



『痛っ…』

『大丈夫青琉!?』

『ぁ…』



転んで出来たかすり傷から稽古で負った刀傷まで治らないものはなかった。怪我が恐ろしいほど早く、跡形もなく治ったの。
最初はかすり傷程度なら回復が早いのも気にしなかった。しかしざっくりと切れて血が流れていた腕の傷口が…まるでそこだけ時間の進みが極端に早くなったように私の目の前で塞がった事は、目を瞑れなかった。
そんな事、普通は有り得ないでしょう?

…私達が何かするまでもなくあなた自身気付いてた。己の意思とは関係なく治癒をする自分の体が普通ではないと。

その時から既に兆候が始まってた。



そしてその兆候は日を経るにつれ悪化していった―――。



『青香…私の体、透けてる…!』



怖い、怖いよ…!

―――その日は突然やってきた。
小さな戦に一族が駆り出され、勝てたものの私は足と脇腹を刺されて重傷だった。意識朦朧として、跨った馬の上で同じく馬に跨った父上に後ろから支えられながらやっと帰ってきたの。その時ですらもう何も手につかない状況だったのに。
部屋で手当される私にずっと付いていたあなたは、はっと気付いたように私への憂う目を自分の手の平に移動させ、そう言った。
あなたの体は光を通して透けていたのだから―――。

言葉が出なかった。怖かった。あなたが私に助けを求めたのと同じように、私も教えて欲しかった。
今何が起きているのか、なぜこうなったのか。



『―――ッ』



心の臓が勝手に騒ぎ出して。止血部分にまた血が滲んできて。頭がクラクラしてきて。
怯えれば怯えるほどあなたの姿は消えていくように見えて、そんな私とあなたを女中や父上、母上が宥めて漸く落ち着けた。



『…』



…誰もいなくなった部屋で、静かになった頭でずっと考えてた。まるで私とあなたの命は繋がっているんじゃないかって。
顔も同じ。声も同じ。負った傷に値する代償も私に左右される。

(私の生死が先の子孫の血に影響して?)

輪廻転生なんて言葉が幾千万の中からの一つへの生まれ変わりを指すのなら、私の命が消えてもあなたに生まれ変わるだけ。
でも違う。私の命の危険が青琉の存在の危機にも繋がった。
あなたは生まれ変わりなだけじゃなくて、

(私の子孫なの?)

―――自然と浮かんだ疑問にそれから幾月か経ったある日、糸口が見えた。



『きなさい!青琉』



二対二の剣術稽古で、私とあなたは別班だった。今までは木刀だったけどこの日は本物の刀を使っての実戦形式。まだ初陣してない青琉に雰囲気を知ってもらう為だった。
でも私には、別の目的があった。



『―――ああッ!』



最初は一進一退の攻防。刃を押しては弾かれを繰り返していたけど、青琉の腕を斬りつけた私の行動によってがらりと空気を変えた。
初めてというのもあり怪我人を出す前に待ったを出す気だった父上は驚き、急いで班員は私を止めにかかった。
傷が浅かったから、あれでは分からないのに。私を押さえる腕は強くてそれ以上の動きは出来なかった。
父上が手加減しなさいと言っても、私には知る理由があったから。



『っ…、ぅ…!』



―――あなたの腕を見続けた。やはりそうだったのよ。

腕を押さえるあなたの傷は回復せずに血が流れ続けていた。




「…、」

「今でも残っているんじゃない?思えば刀を振っていられるのも驚きだけど、相当努力したのねぇ。青琉」



思い当たる傷跡は、ある。上腕に長く残った濃い朱色の痕が。

青香は青琉の知る優しい笑みを浮かべていたが、ふと考えるように顎に手を当てて目を細めた。



「私の生まれ変わりで子孫なら、私の血が受け継がれていって生まれたって事でしょう?今私には子なんていないから、私が死んだらあなたはいなかった事になる」



『青香…私の体、透けてる…!』



「だから私が戦で死にかけた時、“今”本来いないあなたが消えかけた。
でも逆に言えば“今”負った傷は、先の世であなたが負わない傷かもしれない。だからきっと治るのね。無かった事になる」



『痛っ…』

『大丈夫青琉!?』

『ぁ…』




思い出して、ゾクリと鳥肌が立つ。



「そして、…私とあなたは過去と未来で繋がった血筋なら。

同じ時に二人存在してはいけない。存在する筈がない」



腕の傷跡がドクドクと脈を打ち始める。



「―――でも、あなたは此処に存在してしまった。ならあなたの生死を分けるのは誰だと思う?」



止めろ。



『っ…、ぅ…!』



やめろ―――。



「ねぇ」



確かめさせて



「―――青琉」



≪ドスッ≫

―――音はほんの一瞬だった。



「―――ッッッ、…ああああッッ!!!」



真っ暗な牢を照らしていた燭台の火が大きく揺れ、波打つ。
滲んでいく血。痙攣する足。青琉は鎖を鳴らし、力なく足掻きのたうっていた。
―――青香が刀を腿に突き刺したのだ。

ようやく目を少し開けて、歯を食いしばり、腿を貫通する刀に手を伸ばそうとする青琉。

しかし。
―――先に刀の柄を握る青香の手。そしてゆっくりとねじるように引き抜いていく。



「……ぅあっ、あ!ッあああ…!!」



途端青琉の体は強ばり、詰まったような悲鳴と共に動けなくなった。
引き抜かれたのは一瞬。だというのに、何かを考える間もなく痛みで頭がいっぱいになる。
―――後は血が腿を伝い、床に広がっていくだけだった。

刀を振り血を払う青香の表情は落ち着き払っていて、閉じた唇はやわく弧を描いていた。パタパタと床を血雫が走り、赤く滲んでいく。
青琉の上体はカクンと落ちて、ビッと張った鎖が体を床ギリギリで止めた。



「………はっ、はっ…ぐうッッ…!!」



やっと再開出来た呼吸らしい呼吸も、傷口を抑えることも出来ず垂れ流していく己の血に早く不規則なものとなっていく。
体を汗が覆ってきて、目線が同じ一点から動けなくなってきて。視界がぼやけて、揺れてくる。



「私はあなたを拾うべきじゃなかった」

「…!!」



ガチャンと両腕両足の鎖が断ち切られ、浮遊感はひと度。



「う!くぅっ…」



床にぶつかる痛みに変わる。げほっと咳き込んで直ぐ、うつ伏せになった体で刺された足を胸に抱えるように蹲った。すると暗い影が青琉を覆い隠す。



「“今”があなたの傷をなかったものにするのなら、」



あなたがこの乱世に許されるのなら。



「―――青琉」



いっそ。



「私が」



その声にゆっくりと見上げた。

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