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その頃、幸村率いる武田小隊と合流した伊達軍は美濃に入っていた。
「…」
「…」
馬の駆け足だけが響いて。政宗、小十郎は前を見たまま無言を貫いている。小十郎が険しい顔なのはいつもの事だが、政宗さえ不敵さ全くなしの真剣な表情で。
「…佐助、」
「ん?」
だからこそ、幸村の疑問は拭えずそう従者に問っていた。
先頭を行く伊達軍の後ろで少し距離を離す武田軍の彼は、己の馬と同じ速力で並んでいる佐助を見る。
「どうも静かではあるまいか」
いつもなら。
『Are you ready guys!?』
『イエエエエエエ!!』
『Do the goes on!』
『イエエエエエエエエエ!!』
と、士気を高める光景が目に浮かぶ。
本当なら、お館様から信長討伐という大義を命じられ、まさか思ってもみなかったお館様なしの出陣にその士気を借りたい幸村だったが、いくらなんでも此処では憚られた。
彼の言葉に、信玄の【若き者達がどうするか見てみたい】という呟きを佐助は思い返す。そんな甲斐を離れない理由は佐助のみが知っていた。
与り知らない幸村は【せめて前田殿がいれば】と、普段は恋だ恋だと騒ぐ苦手な慶次を僅かながら期待していたが、少し前に加賀の前田に向かうというので別れてしまったところである。
慶次は織田包囲網が発揮されようとしている今、織田に付いている前田家当主利家とその妻まつの身を案じていた。うまくいけば、同じく安土の城に向け兵を挙げるようだ。
…兎に角、伊達軍にはいつもの活気がない。
「ああそれなら」と佐助は幸村に顔を向けると、ひそひそ話をするように顔の前で手を立てて、小声になる。
「大方、噂の女の事でしょ」
「?噂の女?」
きょとんとした幸村に、佐助はがくっと転びそうになった。
「ちょっとちょっと…旦那この前お館様に許可とって視察したでしょ…忘れたの?」
「…はっ」
思い出す。
―――綺麗な女子であった。高く結わえた長髪を簪で留めており、それを揺らし、独眼竜と互角に戦う姿を遠くから隠れて見ておった。
『 』
雨と剣戟はよく聞こえたが何を話しているのかまでは聞き取れず、しかしその戦慣れした身のこなしと剣術から十分な力の持ち主だと判断したのは記憶に新しい。とはいえ最後には独眼竜が勝ったが、あの男相手に十二分にやったと思う。
何者なのかと、その女子を運び、森に消えた伊達軍を追った。しかし迂闊に近付けば見付かると思い、大分離れて動向を探っていた。それ故独眼竜を見失い、…此処までかと考えあぐねていた折だ。
『…』
あの女子が見えた。
水溜まりを跳ねる音が近付き、隠れたが、政宗殿はいなかった。
その女子は木に寄り掛かりずるずると座り込み、暫く動かなかった。しかしふと立ち上がり刀を抜いて、見つかったかと槍を握った。
だが、何もなく。木々の茂みに隠れる某とは逆に、開けた道伝いに通りすがる。背中を向けたまま段々と見えなくなり、目を細めて一瞬見えた横顔は
泣き腫らした後だったのだ―――。
「―――帰ってきた旦那、物凄く複雑そうな顔してたよね」
「強き女子であった」
強く凛々しい女子であった。織田の将とは聞いていたものの、織田信長を、あの禍々しき魔王を仰ぐような女子には見えなかった。あの涙を見れば尚の事。
「…」
そんな真面目に答える幸村をじっと見ていた佐助だったが、
「まぁ、俺様も一度お力拝見したから只者じゃないって思ってたけど」
前に向き直りいつものような軽口を叩く。ただし平淡な声色は何も面白くなさそうに、ただ細めた目があからさまな警戒を表している。
「聞いた話じゃ単身魔王に復讐?だってさ。こっわ〜」
「…」
復讐か、と幸村は心の中で呟く。
(某もお館様を、この武田を奪われたならば、憎しみに走ってしまうのだろうか)
お館様ある武田、そのような今を失うのは正直恐ろしい。心かけるものをなくす不安は胸が苦しくなる。
「だから」
あれ、と佐助は遠く先頭を仕切る政宗の背中に目を向ける。
そこで幸村の意識は途切れて彼の指す方に向いた。
「安土まで追いかけてったと思ったら、青香っていう魔王の新手の幻術みたいなのにかかって、違う場所に誘い込まれたんだと。それで助けられなかったばかりか、目の前で斬られる様を見せつけられたらしい。独眼竜にとっては屈辱だったろうね」
「…」
馬に揺られる【竹に雀】の背中。幸村は遠く小さなそれを黙って眺める。
「米沢城をおとりにされて竜の右目が引き返したのは旦那も聞いただろ?俺様が丁度奥州に向かっている時」
「あぁ」
「明智光秀…それと竜の右目が交戦中だったんだけど途中で消えたんだ。明智が」
「…」
「その場にいた忍の勘だけど、―――あれは幻術なんかじゃない」
また別のなんかだよ。
そう佐助は呟く。得体の知れない力が、織田の手中からまた見つかったという危惧だろう。
「お館様は今と見たけど油断は出来ないぜ、旦那。何せあの魔王だ。武田が二の舞にならないようしっかりやらなきゃ―――「佐助」
その声は強かった。信玄のいない今、自分がしっかりと幸村の補佐を果たさなければならないと喋り続けていた佐助は目を丸くした。
「分かっておる」
それは真っ直ぐと前を見つめる一方で、目の中の鋭い光を失わず―――じっと時を窺う虎のようで。
(あれま)
佐助は大きく開いていた目を細め、満足そうに笑う。
(旦那、)
いい目じゃないの―――…。
◇―◇―◇―◇
時は少し前に遡る。
「先の世…?」
整理がつかない頭の中でその単語はふわふわと浮かぶだけだった。あまりに非現実的で突発的で。自分を指している筈なのに人事とでも言いたげに聞き返す。
(…何を、言って)
「昔の事だもの、覚えてないわよね」
声色こそ落ち着いていた青香は呆れたように小さく笑っていた。
本当に何の事か分からない。思い当たる節もない。
ただ漠然と【先の世】という言葉だけが頭の中を走り回って。“昔の事”―――そんな言葉で片付くような経緯も根拠も自分の中には見つけられなかった。
そんな事、知らない。
【先の世】なんて、知らない。
「…」
思考が停止して動かない青琉を見つめる、青香の眼差しは冷めたように感情をなくす。
「あなたは私が―――拾ったの」
『……?』
―――あれは十年程前。
(誰か、倒れてる?)
私は家へ、屋敷へ帰る途中だった。もう日が沈んだ頃、森の中で小さな人影を見つけたの。自分と同じくらいの子供だった。
『あ、あの!大丈夫っ!?』
走り寄り、肩を揺すった。今思えばなんて無防備で世慣れない行動。
俯せで顔が見えない。暗くて何を着ているのかも分からない。返事もない。…そんな人間に私はどうして。
兎に角どうにか仰向けにしないとと思った私は、体を傾けて漸くひっくり返し、
「―――、」
目を見開いた。
―――ザアザアと雨が降ってきて。辺りを雷が照らして。
雷の音が苦手だったのにそんな場合じゃなかった。
気を失ってるその顔は、
私とそっくりだったのだから。
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