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「青香…」
自然と体が前に出る。しかし体を繋ぎ止める枷鎖は直ぐ弛みをなくして青琉の動きを封じ、引っ張られた腕がまた鋭い痛みをもたらす。「っ…」と声にならない呻きを殺し、下がった顔を段々と上げた。
“信じたい”と“どうして”―――その二つの感情を秘めながら。
「思ったより元気そうで―――良かった」
青香はゆったりとした微笑みで、青琉を見つめながら歩き始める。その足は一歩また一歩と彼女に近付き、その度に毛先少し上を元結で束ねた垂髪が揺れた。
「なぜ…なぜだ青香!何故一族を…っ、私に黙って織田にいたんだ!?」
『全ては彼女が望んだ計画』
「ッッ…、」
思い出せば、他にも言いたい言葉がある筈なのに詰まって。かと言って行動もおこせない。
言葉と共に顔も下がり、目をさ迷わせ、微かに大きくなってくる足音を聞きながら呟いていた。
「本当に光秀と仕組んだ事なのか…っ」
認めたくない。でも知らなければならない。
「答えてくれ…青香…」
奴とだけは、そうであって欲しくない。奴とだけは手を組んでいて欲しくない。
そんなことを思っていても、口にはできずに答えを待った。
青香は表情一つ崩さずにいた穏やかな目を不意に、
「あら、」
嘲笑で象って。寄った眉根と共に底冷えするような暗い色に変わる。
「光秀ったら余計な事を…。私が会うまで何も言わないよう釘を刺しておいたのに」
「―――っ……、」
それだけで十分だった。まだ染まりきっていなかった心は、分かっていても否定されない限り“もしかしたら”と抱いていた望みは、砂上の楼閣のように一瞬で消えた。
「…それより先に、聞きたい事があったんじゃない?」
興が冷めたとでも言うように、斜め横に逸れた目。
軽い溜息の後、正面の青琉に目を戻すと、にこっと口角を上げてみせた。
「―――“自分は」
そう言ってしゃがんだ青香が手を伸ばす。
「何者なのか”」
――――青琉の髪を結わえる簪に向かって手を伸ばす。
反射的に体が硬直し、見開いた目が震え、顔も上げられない青琉に構わず青香は簪に手をかけた。
するりと髪紐が解け、ゆっくりと外される簪。髪が下り、狭くなった視界にやっと驚いて顔を上げようとしたその時。
「…―――、」
時が遅くなったかのようにゆらりと眼界に落ちてくる扇簪。落下を目で追い、地に跳ねた刹那。ばきっと簪は踏み付けられた。
「―――!!…」
その途端、時が早さを取り戻し。
ドクン ドクン ドクン ドクン
自分の心の臓の鼓動と共に何かが内側から迫ってくる。折れた簪を凝視して、
『父上、人が倒れてた』
脳裏に新しい光景が蘇る。
『なんだこの着物は…見た事ない』
『…』
次々と。
『今日からこの子の名は青琉。お前の妹だ』
『妹…』
繋がっていく―――。
『青香…私の体、透けてる…!』
怖い、怖いよ…!
「―――ッ!!!」
「思い出した?」
何事もなかったかのように、しゃがんで目を合わせてくる青香はうっすら笑っている気さえした。
「嘘だ…」
「…」
「そんな筈ない」
「…」
「だって私は青香と双―――「違う!!」
びくん!と大きく体が震えて動きを止めた。気が動転して、瞠目した目を揺らして見つめていた。
今までどこか余裕のあった青香が一変して見せたその感情に、青琉は言葉を失う。
―――怒ったように声を荒らげる青香なんて初めてだったから、その後の反応を体は選べなかったのだ。
青香は立ち上がり、氷のような瞳で見下ろして言った。
「あなたは妹じゃない。
―――異なる時世、先の世から来た人間よ」
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