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信長に刺されて出来た脇腹の傷。突き立てられた勢いでひと回り大きく空いた衣の、その隙間から奴の指先はそっと触れてきた。不可解なその行動に体がひくりと反応する。目線だけを脇腹へ下げ、一度息を飲むと、光秀に目を戻し青琉の表情は曇った。



「どうでした…?―――貫かれ、血が流れていく感覚は」

「…」



始まった、この男が魔王に次いで恐れられる気質。
白い長髪が下から見上げる奴の顔にかかり、蝋燭の火が影を落とす。落ち着いた声とは反する興奮が、裂けたように吊る口角から理解できた。
既に塞がった傷を確認するかの如く、奴は肌をなぞってくる。口を噤み、じっと耐え忍んだ。



「痛かったでしょう…?」



その目は猟奇性を孕んで、私の目から逸らされない。一瞬たりとも気を抜けなかった。いや、抜いたらそこで終わりだと、復讐の為の戦い方をこの男から学んだ私は身に染みていたのかもしれない。



「ああ、私も信長公と血肉を削り合えたら…!」

「…ッ!」




ずりっ、と籠手の指が肌を引っ掻くように強くなり痛みが走る。つい歯を食い縛り、縮こまるや否や、鉄球のない片足で蹴り付けた。
しかし遅い。鎖の拘束で精一杯回し蹴りも出来ないまま退かれ、青琉はそのまま体勢を崩した。



「ぐっ…」

「―――ああ、怖い怖い」



少したゆんでいた鎖がビッと張り、青琉の体を宙に引き止める。
下がっていた光秀の顔は、



「しかし流石私の教え子…、抜け目ありませんね」



ゆったり上がると唇にも目にも三日月を刻んだ。



「この…、異常者が…ッ!」



じゃらじゃらと鉄鎖に足掻きながら言う青琉は恨めしげに顔を上げていた。体勢が崩れた事で引っ張られた四肢に痛みが走る。
しかしそんな言葉を吐いた青琉に、くっくっくと光秀は顔を下げて笑うだけだった。

殺してやる。光秀を睨み付けながら、青琉は噛み締めた歯から漏れる息を出来るだけ気付かれないように努めた。
しかしふと光秀の動きは止まって。顔を上げながら、目は憐れむように青琉を見下ろした。



「あなたはいいですよねえ。刺されても―――死なない体なのですから」



ひくりと動いた指先。刮目して体は固まる。



「異常者ですか。くく…あなたこそ、その言葉お似合いで「黙れぇええッ!!」



下を向いた青琉。その顔は半分前髪で隠れ、はあはあと上がる息の後、歯を食い縛った。



「こんなもの好きでなったわけじゃない!!代われるものなら代わってやるッ!!」



昂りのまま叫んでいた、



「なれど…それが!出来ないから…ッ」



しかし次第に。



「私は…」



言葉に詰まって。俯いて隠れていた目が細く震え、音もなく零れた己の涙に青琉は瞠目した。



「…やはりそうでしたか」



やはり?

声にならないそれを問うかのように、異常に穏やかに聞こえた言葉の主を青琉は見上げた。すると微笑し佇む光秀が目に入る。



「復讐の最後…あなたは」



―――死ぬつもりだった―――
と。
言った彼に、瞠目していた青琉の目はゆっくりと視線を落として震える。力なく歪んで黙り込んでしまった。
それを良い事に光秀の口が次々と畳み掛けてくる。



「あなたは一族を守れなかった後悔と信長公への復讐に突き動かされ、強き者との戦いを望んだ」



『伊達政宗は私が討つ』



「…一方で、その重責と不死身のような体に悩み…恐れていた。己自身を」

「…」

「復讐と同時に死んで楽になれたらと、思っていたのではないですか?」



一人生き残り、死ぬ事も許されない体に疲れていたのではないですか?



「もしや生き残ったのはこの体の所為なのかと、その稀少な力はご自身を苛むものとなった」



ぎりっと、歯に力が入る。



「あなたはその力が万能でないと、強い者との戦いで確かめたかった。そうだと信じたかった」



信じるに足る出来事を作りたかった。自分が生き残ったのはこの体の所為ではないと思いたかった。



「それが復讐と並行しあなたを動かす執念となった。―――そんな時、独眼竜が現れた」



『ha!思った通りだ、やるねぇ!』



「あなたは見定めていたのでしょう?独眼竜が己に致命傷を与えられ得るかを」



ただ、復讐という体裁を守る為にもやられるだけではならなかった。



『…覚悟は出来ている。首を取れ』

『―――言っただろ、アンタを歓迎するとな』




「しかし独眼竜はあなたを殺さず、」



『―――ッ…、…』



「あなたも独眼竜を殺さなかった…いや、“殺せなかった”」

「……、」

「私の忠告を覚えておいでですか?」



『彼の竜に足元を掬われないように、とね』



「しかしあなたは抱いてしまった」



止めろ



「―――彼を」



止めろ



「愛する気持ちを」

「…ッ、……」



否定の言葉が口をついて出てこない。限界まで細めていた目を青琉は静かに閉じた。眉間を震わせながら。



「よかったではないですか、最後に一緒の時を過ごせて。あなたも此処が納得のいく死に場所だと思えたのでしょう?」



『行くんじゃねぇ青琉ッ!!』



「…」

「ですから復讐を選んだご覚悟、なんともあなたらしい」



―――ぐっと奥歯を噛み締める。



「もう少し独眼竜への執着を見せて頂けたら面白かったのですが、やはりあなたは真面目な方だ…最後の最後まで私の思う通りに動いてくれました」



後は、と言葉を切られて。青琉がはっとして顔を上げた。刹那。
目の前を何かが走って―――それは、肩から腰へ斜めに降りた鎌の刃だった。



「ッあ゛…」



ぱたぱたと床を濡らす己の血。力の抜けた膝はがくんと曲がり、座るか座らないかの正座に近い体勢で止まる。繋がった鎖が青琉の腕を後ろに引っ張って、ぴんと張った。じわじわと斬れた箇所から血が染みて、広がっていく痛みに思考を奪われる。

体を震わせながら、青琉はやっと顔を上げて光秀を睨み付けた。



「そう、その目ですよ青琉」

「貴、様…!
―――ッッ!」



ザンッと襲いかかる痛みは鋭く、思わず力んで体を反らせた。がら空きの脇腹から入った刃が体を薙ぐように押し込まれて、がふっと口から血が出る。



(駄目だ…!)



強く目を瞑り、歯を食い縛って。悲鳴だけは上げるわけにいかなかった青琉は、鎌が抜かれるまでの一瞬を息を殺して我慢した。



「―――はぁ…あッ、はぁ…はぁ…!」



斬られたところが熱を持って体を焼いているような感覚だった。どくどくと血が流れているのが分かるのに、意識は確かで。

死ねない。



「はぁ…っ、はっ、あ…」

「我慢強いですね。普通ならば死に絶えていてもおかしくないというのに、あなたという人は」



そう切って、光秀は舌なめずりをする。



「しかしこうなった以上既に希望はありません。あるのは、絶望だけ」

「―――ッッ、」



笑った光秀にはっとしたが遅い。



「さぁッ!」



ざんっと走る衝撃。数える余裕なんてなかった。一回、二回と振られるごとに狂気に悦ぶ顔が視界に入ってくる。



「いつからですか?そこまでして死を渇望していたのは、」



視界がぼやけてくる。



「こうしてあなたを刺し回していたあの頃からですか?」



あの、頃―――だと…。



『止めてえッ!!』



(な、んだ)



突然だった。頭の中に何かが響いて目を見開いた。



「ッ!!」



しかし斬撃は構わず腕へ足へと降りかかり、



「いや、違いますね。あの頃はまだ抗おうとする意思を感じた」



ざしゅっと、体へ襲いかかって。



「―――ッああ!!」



溜めていた呻きももう留めきれずに声に出る。



「でも、今のあなたは」



そう言うと光秀は斬撃を止めた。同時に全身の力が抜けた青琉の体は、吊るされた屍のようにぶらんと止まった。



「つまらない」

「………ぐっ、…がはっ……はぁ、…ぁっ…」



鎖が体を引き止めて床に倒れる事も出来ず、瀕死に近いのにそれでも死ぬ事は出来ない。
それが私の体だった。

光秀は一歩近付きしゃがむと、ぐったり頭を下げている青琉の顎を掴み上に向けた。抵抗もなく焦点が定まらない青琉の目を見て、声を落とす。



「つまらないですよ青琉、死に急ぐあなたより復讐に食らいつくあなたの方が余程いい。
あの頃をまだ思い出していないのですか?」

(あの、頃…)



≪―――ザシュッ!≫



「―――、」



体が硬直する。



『いやあッ!!!』



力の入らなかった目が途端に力む。血の気が引く。



『ひっく…もう止めて、ど、してこんな事……するの』



それは。



そ れ は。



「―――あ…、あァ…ッ」



何か、自分の中のものが壊れた瞬間だった。「おや」と光秀は首を傾げる。



「…思い出しましたか?」



信じ、られない。
信じ、たくない。



「よく泣き、叫び、それでも向かってきましたね。あぁ懐かしい」



そう言って青琉の顎から手を引き光秀は立ち上がる。

嘘だ。嘘だ。嘘だ。
そんな事、あるわけがない。

そん、な、事。

―――光秀をゆっくりと見上げて青琉の表情が強ばった。眉頭を頻りにびくつかせ、恐怖に目を剥く。



「あぁ、まだ記憶が変わる前の話でしたね」



目の前の光秀の笑う様が、



あの時の白髪の男と重なる。



「―――ッ………、」



呆然と目を揺らしてその出来事を思い返していた。

私は
奴に、光秀に。



「……、」



殺され、かけた―――。



「…………、」



今と同じ、斬られても死なない体を何度も何度も斬られたんだ。



「………………、」



なぜこんな事忘れていた。



『帰ったらまた戦のお話聞かせてね!』



私の記憶は。どうなって、いる。



『ひっく…もう止めて、ど、してこんな事……するの』



断片的に浮かぶ何かが、私を私が知る私じゃなくしていく。



「―――青琉、」



びくりと体が跳ねた。
止めろ。震えるな。…そう念じても体が心に追いつけなかった。
それを見て光秀が満足そうに頬を緩め、



「可哀想に…なれど何れ知る定め。それが今だっただけ」



しゃがむと青琉の耳元に口を近付ける。青琉は相変わらず目を見開いて、動けなかった。
そんな彼女を横目に、光秀は目を細む。



「すぐ分かりますよ、全て…。あなたは―――」



唇が何かを紡いだ。聞こえる言葉に、青琉の目が更に大きく開いて放心状態となる。

言い終わると光秀は、声を上げて笑いながら牢を後にしていく。

≪はぁ…っ、はぁ……≫

と、自分の息が自分の恐怖を加速させる。



思い知った。私は此処から、



逃げられないのだと―――。

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