37
「青琉」
懐かしい声、変わらない瞳の色。鉄紺の髪。
混乱した。
これは、夢か?
どうして私の目は【そんな筈がない人】を映している。
「青香、なのか…」
「えぇ、そうよ」
失った筈の家族が、見えている?
クスリと微笑んだ青香が包み込むような柔らかい声で言った。
知っている。…大好きなこの声を私はよく知っている。
しかし今の今まで信長を殺そうと殺気で溢れていた青琉の心は、そう簡単には認められずに、ただ行動の術を奪われ、彼女から目が離せなくなっていた。
「聞かずとも分かっているでしょう?私達はふたつ子なんだから」
青琉の刀を受け止めたまま諭すようにそう言葉にした青香は、「ねぇ、それよりも」と苦笑を近付ける。
「武器を下ろして青琉。信長様は私を助けてくれた方なのよ?」
◇―◇―◇―◇
「what's…」
その光景は政宗の目にも映っていた。
突然自分達を囲むように表れた、空中に浮かぶ鏡のようなもの。刀身に光景が映るのと似て、濃くなる霧の中で政宗と光秀の姿が映っている。一方で今此処にいる筈のない青琉や信長の姿も見えて手が止まっていた。
これは一体なんだ。
なぜ青琉が見える?
―――あの女は、
(誰だ)
青琉の前にいるその者を凝視する。すると目下の光秀が突然口を開いた。
「あぁ、再会できたのですね…!」
“青香”、と。
『信長が青香を殺した』
それは青琉が言っていた双子の姉だ。
…死んだと言っていた者の名の筈だ。
だがその顔は、無関係とは言えないくらいとても似ていて。
―――思うや、掴んでいた光秀をさらに引っ張って強く迫った。
「どういうことだッ…」
「―――嘘だ」
遠く離れた其処で青琉は歯を噛み締めて、下を向いた。
「青香は殺された…その男に…信長に…。私は見た」
その言葉に青香は僅かに表情を固くした。青琉が再び強く刀の柄を握る。
噛み合う刀を無意識に押し込み、カタカタと刃が鳴る。
「お前は…青香じゃない!!」
≪キンッ―――!≫
金の音が響く。押し切った筈だった。しかし青琉の刀は瞬く間に回転し、遥か後方に突き刺さる。
「―――」
言葉が出なかった。
(………嘘だ)
一歩後退る。
(そんな筈、ない)
この返し方はよく知っている。
この感覚はよく知っている。
刹那。その手がぐんと青琉に伸びて、あっという間に青琉は青香に抱き締められた。
「あ…」
「…そうね」
温か、かった。
「あなたをここまで変えてしまった私にはもう、名前を呼ばれる資格なんて…ないのかもしれない」
とても懐かしい感触。この温もり。
「でもこれだけは覚えておいて」
何も入ってこない。それ以外に何も、
「あなたを片時も忘れた事なんてなかった」
―――入ってこない。
伸びた手がゆっくりと青琉の頭を包み込んで撫でた。
『…もう、青琉はいつもそうやって甘えて』
『だって青香のがいいんだもん』
『…ふふ。しょうがないわね』
思い出して思い出して。
―――音もなく、涙が頬を伝う。
「ずっと黙っていてごめんね。あなたを守るつもりが追い詰めてしまってごめんね―――青琉」
そう言って青香は青琉を強く抱き締める。込み上げてきた何かが途端に、
プツリときれた。
「―――…っ、ぅっ」
それは。
「…本当に…っ、青香なのか…?」
迷子の子供が確かめるような呟き。青香は首を縦に振る。
勝手に心が止まらなくなる。勝手に涙が出てくる。勝手に、
「青香…っ、」
声が震える。
分かっていた。最初から疑う余地なんて。
「―――、」
なかった。
青琉の手から力が抜けた。
◇―◇―◇―◇
その光景は政宗の目によく映っていた。青琉が一気に戦意を喪失したと、見て取るのは容易かった。
舌打ちをする。
鏡の向こうで抱き締められたまま、動こうとしない青琉。一方で其処にいる筈の、見えない魔王の姿。何が起きても不思議ではない異様な状況に、疑問と苛立ちが焦りを掻き立てた。
あの女は一体何者だと頭の中で出ない答えを探す。
その時、映っているその女の口角が上がって。
「―――!!」
嫌な予感は確信に変わる。
咄嗟にじりっと土を擦った政宗の草履。そこに一瞬の隙が生まれた。光秀が政宗の手を解き、だっと走り出したのだ。
「テメェ…!!」
「フッ…」
目的は己の鎌。政宗の刀は光秀の首を狙ったが避けられて、次には自身の武器を取った光秀が振り向き際に鎌を凪ぐ。政宗も手にあるひと振りを地と平行に走らせた。
≪―――カチャッ≫
ほぼ同時。互いの首元に互いの得物が止まり、動きを止めた。いつの間にか鏡も目視できなくなり、重い白霧だけが佇んでいる。
「ククク…ダメですよ、独眼竜。ここからが見どころでしょう?」
「……」
政宗の顔は自然と険しさを増していた。眉間が揺れ、歯に衣を着せてはいるものの口の端から覗くそれはギリギリと噛み締められている。
「あれはなんだ」
「さて、なんでしょうね」
そして刃は首から離れ、ぶつかり合って直ぐ押し合う。
「とぼけるんじゃねぇ!テメエは何を知ってる!?あの女は何者だ!?何をしようとしてる!?」
力んで押し込む政宗に光秀はただ笑って答えた。
「恐らく」
あなたのご想像の通りですよ、と。
また苦し紛れに舌打ちを吐き捨てていた。そして険しい顔を更に険しくしていた。
噛み合う刃は均衡し、互いに動きを止める中、政宗は不意に顔の力を抜いた。
「crazy…アンタ、狂ってるぜ」
「…最高の褒め言葉、どうも」
分かってきた。
そもそも前提が【生きていない】事で話が進んでいたのだから、もしかすればも何もあったものじゃない。事実青琉は知らなかったのだろう。
だが明智は知っていた。青琉に復讐を種に協力を持ちかけた奴は、初めから知っていたのだ―――。
政宗の目が陰り、再び怒りをはらんで睨み付ける。
「あの女―――グルか」
「…」
光秀が何も言わず口角だけ上げた事で、寧ろ政宗の胸にすとんと落ちた。
ああやはりな、最初から仕組まれた事だった。話が上手過ぎると思った。明智が青琉に友好的だと思った時点で無理にでも引き止めるべきだった。
こんなことをしてる場合じゃねぇ。
「…アンタ等の好きにはさせねぇ」
その言葉を合図に互いに弾けるように後ろに退いて、相手に向かい大きく突っ込む。寸前、政宗はカッと目を見開いた。
「come on!!今だ小十郎ッッ!!」
光秀がはっと不意を突かれるも遅い。雨を斬り裂き豪雷を散らし、
「―――オラァッ!!」
やってきた者に吹っ飛ばされた。巻き上がる風が霧を吹き飛ばし、空中のあちこちで小さく電気が弾ける。政宗は風を受けながら視界から消えた光秀に一度だけ目を遣るも、当人を確認する前に現れた味方を見下ろした。自分の前でまだ少し、纏う雷を光らせしゃがんだままの腹心を。
小十郎は構えを解きながら立ち上がり、政宗を見てから目を伏せた。
「遅くなり申し訳ありません、政宗様」
「…待ってたぜ、小十郎」
小十郎とは正反対に小さく笑って返した政宗だったが、すぐ真剣な目に変わって、じっと小十郎を見る。
「―――どうだった?」
「皆無事です」
「そうか」と、軽く目を閉じた政宗も安堵した。
それなら一先ずだ。
光秀がいるであろう土煙の向こうを少し眺めて、政宗は「小十郎」と呼んだ。
「此処は―――頼むぜ」
「はい」
返事を聞くやいなや駆け出す政宗。小十郎は深くは聞かなかった。そう急く理由、ある程度察しはついている。
「政宗様!」
しかしもう一つ、果たさなければならない事があった。
政宗は足を止め小さく後ろを振り向く。すると真剣な眼差しの小十郎がそこにはいた。
「敵は此方の知り得ぬ力を持っております」
【くれぐれも深追いなされるな】
念押しのようなその言葉。
止まっていた足は、小さく息を吐き出してから一歩踏み出す。
「―――All right」
カチャリ、刀を持ち直し政宗は走り出した。遠くなっていく水混じりの足音を背中で聞き届けながら小十郎は目を細める。煙の中で揺らめいた人影に向き合った。光秀だ。
地面から這い上がるように立った彼が首を傾け、遠退いていく政宗を見つけて呟く。
「…無駄ですよ。あなたはもう、」
―――間に合わない―――
「…―――ねぇ、」
青琉。と。彼等から遠く離れたその場所で青香は呟く。
「青琉には大切な人ができたのね」
大切な…人…?
青香の腕の中、頭の中で繰り返されるその言葉。心地良さに麻痺しかかっていた脳が、
―――少しずつ目覚め始める。
「―――………」
その一方政宗はとにかく走っていた。
『あぁ、再会できたのですね…!』
とてつもなく嫌な予感がする。
そも魔王は何をしてるのか。あの女をなぜ野放しにしてるのか。
そこまで考えれば、自ずと考えは辿り着いていた。
―――あの青香という女は、魔王側の人間だ―――
そうすれば自然と次の答えも出てくる。
―――この謀反騒ぎは自作自演―――
ただ一人、青琉を除いてはだ。
ぎり、と唇を噛み締めた。
(早まるんじゃねぇぞ)
青琉―――!
「…―――でも彼より一族を選んだ」
そう青香は喋り続ける。青琉の背中に回っていた手が彼女の背筋をすーっとなぞって、
「あなたは優秀ね、青琉」
「青…香?」
少しずつ感じる違和感。ぞくりと走る悪寒。
乞うように青琉が目を後ろに遣った。
何処だ。
ひたすらに赤と黒に染まる暗雲を目印に進んでいた。安土城は大きな城だ。見えたら直ぐに分かる筈。
そう思って辺りを見回しながら急ぐ政宗の耳に入ってきたのは、
『…―――でも彼より一族を選んだ』
やけによく響く女の声だった。思わず足を止めて振り返る。
『あなたは優秀ね、青琉』
『青…香?』
誰もいない。声だけが聞こえる。―――青琉の声が聞こえる。
(何処にいる―――!)
考えた。どうすればいい。
四方八方からこだまするような声に、行き先が迷った。
青琉が、危ない。
「チッ…!」
とにかく今は進むしかない。それがどういう絡繰りか、見つけ出して吐かせる当人に辿り着くことが最優先だった。
赤黒い雲を追った。走って走って、木々の向こうに別の景色が見えてくる。
―――塀が見えてくる。
「!」
足を止めた。
「…」
沢山の兵士が死んでいた。開け放たれた門の向こうにも人の気配はなく死体だけが転がっていた。
それを眺めて政宗は門を潜る。あとは簡単だった。
倒れている兵士を辿れば予想通り階段に着く。そして人の声が聞こえると一気に駆け上がった。
「―――青琉!!!」
◇―◇―◇―◇
「!!」
何か聞こえた気がした。それと同時に、
『行くんじゃねぇ青琉!!』
『行ってはならん青琉!!』
―――逃げろ!!!―――
流れた声と景色。
「…どうしたの青琉?」
一つは私の知るもの。もう一つは私の知らないもの。
体が勝手に動いた。青香を見つめたまま、足が一歩ずつ下がる。
「どうして逃げるの?」
青琉を追うように青香も一歩ずつ近づく。
そんな青香を映す目は苦しそうに歪んで、顰められる最中震えた。
「―――青香、」
自分でも訳が分からない。どうしてこんな、こんなこと。信じられない。信じ、られない。…急に考えたのか。それとも、
「教えてくれ」
―――思い出したのか。
突き刺さっていた己の刀の傍まで来たところで、即座に引き抜き青香に向けた。同時に互いの足が止まる。
息がし辛い。苦しい。本当は、
知りたくなんてない。
「青香が…っ、父上と母上を」
しかし、言わずにいるのは無理だった。
「―――殺したのか…?」
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