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声にならなかった。言葉が出なかった。
雨で泥濘んだ地面に足を取られて転んだだけの筈なのに。
直ぐ起き上がって走り出す筈だったのに。

―――なぜ。この男は。

こんなに強く、腕を掴んで離さない?



「……」



不敵な、笑みじゃない。
そんな真剣な顔で、



(私を、見て、いる―――)



「―――…魔王を、」



その言葉で沈黙が破れ、はっと目を大きくした。



「殺しに行くのか」



呟くように問われた静けさとは裏腹に、腕を掴む手の力は緩まない。強く私を離さない、から。



「お前には、関係ない!お前に…ッ」



その答えを私は知りたくない。



「これは私の問題だ!口出しするな!!」



関わってくる意味を、知りたく、ない。



「―――私に構うなぁぁッ!!!」



≪パシッ≫

―――もがいてどうにか振り解いた片腕だった。その手で胸を突き飛ばして逃げようとした青琉は、掌が届く間もなく再び腕を掴まれて。
言葉が途切れた。



「…」



雨で濡れた髪。腕を掴んだ勢いで揺れたそれが止まって。
黙って佇んだ瞳を見つめ返すしかできない。



「―――いいのか、本当にそれで」

「!…」



『青琉はこれまでも何度か独眼竜に会っております。そして独眼竜は青琉に興味を持っている』



止めろ。

超えるべき相手としての認識、それが興味。そうだ。
刃を交えるもの同士、それ以外の理由はどこにある?

軍に誘われた時だってそうだ。戯れだと分かって腹が立った反面実力を認められたのだと、私はこの男の認める戦力として不足はないのだと図る以外に何がある?

生かされた時だってそうだ。まだ私に戦う価値がある、価値が―――。



「………、」



……敵、なんだ。命を削り合う同士なんだ。

私の行動が奴の生死を分かつわけではないのに、何故。こんなにも私を揺るがせる?



『独眼竜は青琉に興味を持っている』



―――知りたくない。

雨でずぶ濡れなのに手袋から伝わってくる熱が、熱い。
落ち着いた顔なのに細められている目が、熱い。
前立てを伝った雨が、髪先から滴る雨が、
私の頬に落ちて、



「―――…っ、」



―――熱い。



「…ずっと、アンタに聞きたかった事がある」



政宗が口を開いた。青琉は為す術なく、顰めているその目を政宗に向けている。



「奥州で目が覚めたオレが、一つだけ理解出来なかった事だ」



『その傷…、あの女に!』



「―――…傷の手当、アンタがしてくれたんだろう?」



―――もともと、あの傷はオレのmissだった。



『何…!?』



正直舐めてかかっていた。刀も手元にねぇお前がまさか突進してくるとは思わなかったし、オレごと崖に引き込むなんて、無愛想なlooksの割にぶっ飛んだ真似しやがるからな。さらには火薬に火もつけやがる。
爆発する前に発火元を絶つか、二人まとめて吹っ飛ばされるか―――前者を選ぶのがbestだと戦で知った体はそうする筈だった。それは自分一人なら造作もない。だがオレに覆い被さるお前で加速する落下と、空気に抵抗し火薬玉まで引き返す時間のなさ、そして衝撃をもろに受けるであろうお前。オレは、
―――お前を傷付けたくねぇと思った。

だから宙で位置を逆にしたところで爆発したんだろう。



『来たぜ!!』

『!!―――』




気付けばお前がオレに馬乗りになって刀を持ってた、なんて事もあったが、何だかんだでお前に遅れを取る事はなかった。戦いの中で悪化していたのかもしれないが、意識はなかったしな。だが洞穴で見張っていた筈が、目が覚めたら自分の居城。傷は手当済みで、直ぐ分かったぜ。



『塗り薬だ。今より痛みは引くだろうよ』



あれはお前に渡した物だ。

青琉はひたすらに顰めた目を揺らすものの、何も言わなかった。



「…アンタは、」



『貴様の仲間はきっと、血眼でお前を探しているだろう』

『!!兵達は…!』




「優しい」



冷たい目をして、斬る事も躊躇せず何者も寄せ付けない―――冷酷さを装って本当は誰よりも人の事を考えてるじゃねぇか。



「―――だから、仇を討とうとしてる。自分を犠牲にしてでもな。違うか?」

「……」



顔を逸らしたまま青琉は動かなかった。
雨が草木に当たる自然音だけが耳に届くその間、およそ三つ。そして。



「―――優しくなど、ない」



小さくもそう青琉は発した。



「当然の事をするだけだ」



そう言って目を伏せた。

そうだ、確かに私がお前の手当をした。
しかしそれは認めたくなかっただけだ。私を生かしておきながら、勝手にあんな死なれ方をされるのが気に食わなかっただけだ。
―――私は実力でお前を倒したかったのだから。



「私は罪を犯した」



とても私一人の命では償いきれない罪。それでも力を付ければ…信長に傷の一つは食らわせられると、【己に刃向かい傷を残した忌まわしき女】として少なくとも墓場まで記憶に残してやれると思った。私が抱えた恨み辛みを奴にも思い知らせられるだけで、生きてきた甲斐はある。

私は、



『どうしてお前は生きているの』



一人だけ、生き残ってしまったから。
お前を倒せなかった今、



「でもやれるだけの事はする」



したいんだ。だから。



「―――これは私のけじめだ」



私がここまで生きて果たそうとしてきた、



「大事な事なんだ」

「…」

「―――理解する必要はない」



揺れる目はもうそこにはなかった。…いや、なかったわけじゃない。
強く真っ直ぐな目の、曇りはないように見えるその目の奥で、自分の命運を受け入れたように怯えているのに。
コイツは言葉にはせずに待っていた。―――オレが手を離すことを、手を離すと信じて待っていた。



「……―――」



だからこそ、



「青琉」



今のコイツには、話さなければならないと思った。



「―――オレは昔、父親を殺した」

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