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「―――!」
青琉が突然振り向いて駆け出す。同時に刀を抜いたのか、その手には武器があり、政宗との距離が詰まった。
咄嗟に刀を抜く。
≪トンッ…≫
―――だが刀は噛み合わなかった。差し迫った青琉は瞬時に半歩退き、地を蹴って政宗の頭上を飛び越える。
「―――」
ほんの一時だった。政宗は青琉が消えた視界を見つめ、ただ目を見開く。
だんっ!と着地したと同時に小さくなっていく足音を耳が捉えるも動けないでいた。青琉はどんどん離れていく。
「隊長!」
その声で漸く引かれるように振り向いた、アイツの姿はもう点のように小さい。
舌打ちをした。
―――なぜ反応出来なかった?
「―――、」
見た、からか?―――…。
青琉が飛び去る刹那、僅かに笑った気がしたのだ。
―――泣きそうな目をして笑った、そんな気がするのだ。
「アンタ等は此処にいろ、すぐ戻る!」
「ど、独眼竜!」
声など知らず駆け出していた。
『よもや貴様とこうして…生きているとはな』
笑い顔なんて、あっても自分に向けた嘲笑ぐらいしか見た事なかった。だから自然な弧を描いた唇と、目が細まった穏やかな表情を知らなかった。
例えそれが全てを受け入れたような、物憂げなものでも―――【綺麗】だと、こんな時に思うオレは余程アンタで頭が一杯らしい。
「haッ…、」
笑ってしまった。
だからって【動けなかった】は理由にならねぇのに
「…coolじゃねぇな」
ぽつぽつとまた降り始めた雨は音を立て、あっという間に強くなる。
◇―◇―◇―◇
≪バシャンッ≫
跳ねる泥。息は白く、どんどん冷えていく。
上手く…巻けただろうか。
青琉は走り続けていた。森の中をひたすら遠く、政宗から遠く離れるように。
走っていたら見えた小さな湖は、私が尾張を出て見たものと同じだったから南下しているのだと分かった。
「はぁ…はぁ…っ」
『隊長!』
隊の部下達。まだ戦という表舞台に出て日のない私に良く付き従い、行動した。
決して気も強くないし野心もないが逃げはしなかった。どんな状況でも敵に背を向け命乞いをするような腑抜けた連中ではなかった。部下だから、私のこの謀反にも強制的に付き合せる形となったが、彼奴等はそれでも逃げなかった。お人好しで馬鹿なくらい優しい心を持った大した部下達だ。
織田にいるのが不思議なくらい光った奴等だった。
ああ、きっと。
(独眼竜、お前が)
お前の在り方が、お前の軍の気風が部下達に響いたのだろうな。
掠れた笑みが零れた。
(…お前なら)
彼奴等を託せる。
『青琉』
「…―――!」
足を止めた。ばっと振り向いた。何もない。
―――誰もいない。
(な、ぜ)
な、んで。
声が響く。頭の中で私を呼ぶ声がこだまする。
『青琉』
止…めろ。
私の行動を…無にするな。
止めろ。
(走れ)
走らなければ。早く此処から離れなければ。
離、れな、ければ。
―――ゆらり動いた足を一気に加速して急いで走った。
「はあっ、はあっ…!」
止まる事はならない。
もう。
―――引き返すことは出来ない。
≪バシャンッ≫
「!!」
聞こえた足音に震えた。駄目だと分かっているのに脚が止まった。
知りたくないと拒んでも、立ち尽くす私を呼ぶのだ。
「青琉」
と。
政宗は青琉の背後、数歩先で足を止めた。
そして再び歩を進めて、彼女に近づいていく。
「unexpected…、戻りな。アンタの部下も待ってる」
「離せえッ!!」
二人して目を剥いた。青琉の肩を掴み振り向かせようとした政宗だったが抵抗され、共に足を滑らせ転んだのだ。
「くっ…」
体を起こそうとした。しかし動けなくなる。目を真正面に向けたまま、逸らせなくなる。
それは静かな視線と、両手首を両側に押さえ付ける双手の所為。
―――青琉は政宗に押し倒されていた。
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