30

『―――…青琉』

『青琉様』



声が、聞こえた。知っている声だ。体が動くより先に言葉が口をつく。



(―――父上?母上?)



屋敷の皆…?

次第にぼんやりとした意識は開けて、視界に黒以外のものが見えた。皆の姿だ。真っ暗な中に父と母を含め、私達に仕えていた下男や女中が立っている。

此処は…何処だ。

不意に思った。―――見えない。他の何もが見えない。息をするにも凍えてしまいそうなくらい寒い。
あまりの冷たさに肩を抱き寄せたが、それだけじゃ済まず、噛み締めた歯がかちかちと鳴った。
皆は、寒くないのだろうか。何故か平然としているように見える。



『どうしてお前は生きているの』



急な言葉に目を丸くした。全身が金縛りにあったかのように固まって、



『…え?』



動けずに掠れたそれしか出なかった。寒くて声すらまともに発せられないのも勿論あった。が、そんな事よりも少し離れた母の声が酷く冷たかったのだ。

父や、母の口角が上がって。取り囲む皆の口角も不自然に上がる。



『ねぇ、どうして』

『…っ』



ざっと一歩退いた。誰だ。こんなの私の知る父上じゃない、母上じゃない。

目を反らし、また見つめてを繰り返し、後退っていた青琉が足を止めた。なぜなら背中に何かが触れる。私の肩を掴んでいる。
瞠目して震える眼で、ゆらり横を向いた青琉の瞳に映ったのは、半身火に包まれる母の姿だった。
焼け爛れる手。続くように父が、一族の皆がなぜか床から上半身だけ這い出た形で私の脚に手に体に手を伸ばしてきて―――。



『ど、して』

『青琉』

『お前だけ』

『う、うわあああああッ!!!』




―――ばちっと目を見開いた。がばっと起き上がる。そして気が付いた。



(夢…)



はぁはぁと、抑えが効かない息を続けながら目に映った木々を呆然と見る。此処は、



(森の中か…?)



後ろには太い木の幹が一本、空に向かって伸びていた。大きな木だ。私はその根元に頭を預け横になっていたのだろう。前後左右木が生い茂っている。無造作に足場を埋めていて、とても道らしい道はないため場所の目星もつかない。
ただ雨は止んでいて、雲って少し暗いぐらいだから、今が夜ではないのは分かる。



「―――っ…、」



…にしても凄い汗だ。全身が燃えるように熱い。

運良く叫び声は上げていなかったらしい。それだけが私を安心させた。
鬱蒼として静けさを湛える中でやけに早く感じる鼓動を聞きながら、額を押さえ下を向く。



「good morning,lady?」

「!」



その声に薄れかけた緊張感が戻って。驚いて後ろを振り向くと木の後ろに奴はいた。腕を組んで寄りかかっていたのだろう。



「…伊達政宗」



木を挟んで反対側にいた奴は、此方に体を向け、私を見下ろしながら小さく笑う。



「そんなピリピリすんなよ。オレは―――」



しかし急に政宗の顔から表情が消え、口は閉ざされた。
己の目と鼻の先、すっと向けられた切っ先は其処で止まり、政宗の瞳を睨み返す青琉がいる。刀を向けたまま距離を取り、立ち上がって、顔をくしゃりと歪めている青琉がいた。震える瞳と、歯を覗かせる口が言いたい事は分かりやすくて、政宗は目を閉じた。



「止めとけ。今更何になる?―――そんな震える体で、」



つられるように、柄を握る力を強める。だが刃が政宗の顔に触れる事はない。宙でさ迷いながらそれ以上の行動を出来ずにいる。



「アンタは―――負けた」

「…!!」



≪カランッ…≫

その一言が暗示であるかのように刀は手から滑り落ちた。言葉が直ぐに出てこない。



「な、ぜ…」



落ちた刀を呆然と見て、漸く言えたのはその言葉しかなかった。
刹那驚いて顔を上げる。

―――奴が腕を引っ張ってきて、思わず数歩足が進んでしまったのだ。



「…ッ、」



縮んだ距離。
転びはしなかった。しかし顔半分に当たった月明かりが、隻眼に光を宿していて目が離せない。
しかし違うのは、強くていつも癪に触った目が、今はそう思わなかったことで。静かなこの空間が夢で混乱した私を麻痺させているのだろうか。

青琉は目を細めた。―――が、はっとして抵抗しようとする。



「Don't worry」



―――大丈夫だ。

そう言って少しだけ力が込められた手。背中を丸くして一歩引いた青琉に近づいて、残った片腕でそっと肩を抱き寄せた。目が、口が開いたまま閉じられなかった。反射でする筈の抵抗を忘れ、握られている手の事も忘れ立ち尽くしていた。
温か、かった。

奴の腕が離れる。ゆっくり顔を上げると、表情を緩めた奴がいた。くいっと上がった口角にいつもなら気に食わずに睨み付けるのに、戸惑うように視線をさ迷わせてしまう自分がいた。

まだ手を握るそれを、漸く振り解いて数歩後ずさる。



「…私は、負けたのか」



顔が上げられなかった。―――奴は何も言わなかった。
ああ思い出した。私は最後、刀を交わしたんだ。しかし気を失って倒れたのは私の方だった。

落ちた刀を鞘に納めた。その先の行動が分からずに足が止まった。



(―――負けた)



じわじわとその現実が、その意味が身に染みていた。
敗北。何も得られない結果。
何度も味わい、己の未熟さを思い知らされる事柄。それがまた私に弱さを突き付ける。
しかも負けて気を失っておきながら、私は生きているのだ―――。
この男はまた、


『殺る理由がねぇ、これでいいか?』



私を生かしたのだ―――…。



(…ッ、)



歯を噛み締めた刹那、はっと顔を上げる。



「!!兵達は…!」



ガサガサと草むらが鳴った。政宗と共に目を向けると出てきたのは、



「隊長…!」

「お前達…、」



私の隊に所属する兵達だった。怪我をしている者もいるが、歩けるくらいぴんぴんしているのが殆どで。



「倒れたアンタにずっと付いてきてたぜ」

「…!」



そんな時突然口を開いた政宗に振り向くと、顎で兵士達を差され、再び彼らを見ると誰もが見た事のない心配と戸惑いを浮かべて近づいてきた。「良かった…生きてて良かった…!!」「隊長がいなくなったら我らはどうすればいいか…」と口々に言っている。

馬鹿か。お前達は気を失った私に…奴に助けられる私にのこのこと付いてきたと?
私がいつ、そのような情けない姿勢を教えた?

情けない姿を見せた?



……情けないのは、



(私か―――…)



「この状況でアイツらの心配をするなんてな」



そうだ、兵の存命を気にした私は所詮半端者。非情になどなりきれていなかった。



「…笑いたければ笑え」

「隊長…」



お前達はこんな私を慕うのか。私に隊の長でいる事を求めるのか。
負けた私にはもう何も、ないというのに。



「隊は解散だ。お前達はもう織田に縛られる必要はない。故郷に帰るなり好きに生きろ」



復讐の為にお前達を使った。だがお前達は本来関係ない。
お前達のような甘い奴らは織田ではなく、もっと光ある場所で生きるべきだ。少なくとも…私の下ではない。



「隊長、は?」



政宗は黙って青琉の背を見つめていたが、目を細めた。



「敵に、情けで生かされているのはもう沢山だ」



『どうしてお前は生きているの』



「!…おいアンタ何考えて「私はもう、」



―――音もなく、涙が零れた。

もう。光の下へは、



「戻れない」


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