―――…。



此処は、何処だ…。

川のせせらぎののような微かな音を耳が拾う。
気怠い。微睡みに逆らって体を動かすのが、苦しい。



「っ…」



目を開けた。しかし視界にはぼんやりとした闇しか映らなかった。
次第にほのかに明るくなってくる、それは月明かりだと何となく思う。直前まで何が起こっていたか、それも少しずつ思い出して。―――此処は谷の底だと。



(そうか私は)



「落ちたの、」



か、と言いかけて目を見開いた。何故なら下に感じるのは無機質な石の冷たさではなく僅かな温かさ。
私は仰向けで気を失っていたらしい。見知らぬ腕の中で、気を失っていた伊達政宗の片腕の中にいたのだ。



「…ッ!!」



飛び起きて直ぐ側に落ちていた刀を取る。愛刀は崖を落ちる前に掴んでいたから、という理由で十分だった。
早くこの男を殺す、それしか頭になかった青琉は仰向けの政宗に跨り刀を突き下ろした。

した、筈だった。



「…く…ッ」



カタカタと刃が宙で音を鳴らす。刀は首寸前で止まり、突き立てるには及ばない。

―――自分で止めていたのだ。



(どう、した)



『理由がねぇ奴にこの伊達政宗の首は取れねぇ』



今しかない



「―――ッ…、…」



首を取れ



「……ッ―――」



刀はさらに振動し大きく鳴る。
意味が分からない。何を躊躇う?
この男を殺すには、勝つには今しかない。それなのに私は何を、躊躇っている。

―――目を伏せ、ぎりと奥歯を噛み締めた瞬間。



「ッ!」



奴の目が開き、腕を掴まれ反転する世界。あっという間だった。
取られた刃は今度、逆の位置関係になった私の首元に向けられていた。



「…まさか道連れとはな。やってくれるじゃねぇかアンタ」



奴は特に驚いた様子もなかった。目を細め、眼下の私を見つめる。



(これまで、か)



自然に浮かんだ言葉が何故悟ったような言葉だったのか、私には分からない。ただ他者に与えてきたものと同じ、何れは訪れる死という最期を驚くほど簡単に認められた。…そんな気がした。
此処でこの男に殺される事を私は良しと出来たのだ。



「…覚悟は出来ている。首を取れ」



答えを待つまでもなく目を閉じた。刹那、

≪ドスッ≫

音がした。
ああ、私は死んだ。死んだんだと。

痛みもない。苦しくもない。
死は…あっという間だ。そんな楽な死に方を私は出来たのかと罪深ささえ感じた。





…感じる?
そんな筈がない。



「―――……」



違和感は視界が回復してきた事によって現実味を帯びていった。見えたのは此方を見下ろす伊達政宗。その手にある刀の先を見遣ると耳元に刺さった己の愛刀があった。



「―――言っただろ、アンタを歓迎するとな」



その声で私ははっきりと理解した。
私は、生きている。

柄から手を離して立ち上がる政宗。やれやれと言いたげな、苦笑にも似つかない余裕めいた笑みを刻んでぐるりと辺りを見回す。



「but、また随分と深くまで落ちたな。こりゃ小十郎も来れねぇか」

「…何故」

「Ah?」



理解出来ない。

表情は自分でも恐ろしい程出なかった。いや、表情にする感情も何もない。辛うじて髪で自分の目が隠れたのが幸い。
ただただ今の私には一つの疑問しかなかった。



「何故私を、生かした」

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