120
『忘れてくれ』
―――時が巻き戻る。これよりも、
『―――…アンタ』
少し昔のあの頃に。
明るい春の日が窓から差し込み、多くの者達が級友と語らい、新しい学級でそれぞれの進路を考える―――一年の始まりの日。
机の側にやって来た隻眼の男はそう言って、物珍しい話聞きたさに集まる女子に囲われていた私の目を自分に向けさせた。
彼女達の話題は一瞬でその男になり、黄色い声が飛び交う。
しかしそんなものには興味ない自分は、突然馴れ馴れしく呼んできたこの男が何なのか、警戒し黙って見返していた。
その時、男は口にしたのだ。
『あの時の、奴か?』
『―――!…』
目を大きくしたのを覚えている。周りの喧噪が、景色が全て薄れたように思えたのを覚えている。
その隻眼の男の姿が、
『お前、名は―――何だ』
あの時と重なり、
瞼が震えたのを―――覚えている。
◇―◇―◇―◇
「…―――、」
薄っすらぼやけて目に景色が入る。それで覚醒した意識は目を寸時で見開かせ、ばっと体を起こした。
「わあ!?びっくりした」
その声に、大きくしたままの目をぐんと遣る。焦点があった視界には着崩した黄色い羽織、纏う虎の毛皮、頭に大きな羽飾りをつけ座っている男がいた。
「なっ、アンタは」
途端、舌打ち混じりで言葉を止めて脇腹を押さえた。背を丸めて痛みを顔に出さないようにする。
「まだ動いちゃ駄目だって!」
「―――、どういうことだ」
理解が追い付かなかった。
辺りは暗い、洞窟のようなそこでパチパチと焚いてある火がそいつを照らす。―――前田の風来坊だった。
「あー…」と一時困ったように目を瞑った彼―――慶次は崩れた胡坐をかき直し腕を組む。
「俺も驚いたよ」
折角の織田包囲網だ。織田がいなくなったとはいえ、それで消えたわけじゃない。
俺は織田を倒したという明智光秀、そして青香という女の子を探し出すために各国の結束を再び呼びかけては渡り歩いていた。
「まさか向かってる途中で―――」
『―――雪崩か…おっかねえな』
(俺も急いで独眼竜のとこに…)
『―――!』
「雪の中からアンタを見つけるなんて」
「!」
ばっと横を見た。すると仰向けで探していた者が寝ているのを見つける。
―――気を失っていた青琉がいた。
簡素な衣が掛かっていて、直ぐに手を握る。
…温かい。
「…その子、」
小さく息を吐いた政宗に声が届いて。
「あの時の女の子だろ?独眼竜」
顔を上げると少し切なそうに、しかし嬉しそうに目を細める慶次がいた。
「あんな傷だらけだったのに、よくそんな治ったもんだよ。それに―――」
と言って慶次は目を閉じる。
「アンタに大事に抱えられてた。だから無傷だ」
「キキッ」
慶次の肩で毛繕いをしていた夢吉が政宗に向かって鳴いた。
「…」
政宗は慶次をじっと見つめていた。その、少し気を張っていたような顔は、ふっと目を閉じるとともに力が抜ける。
「アンタに貸しを作ることになるとはな―――風来坊」
「いいってことよ」
柔らかい表情でそう返した慶次は途端に眉を顰めて首を傾げる。
「―――それより、一体何であんた達はあんなとこにいたんだい」
◇―◇―◇―◇
「お市ちゃん、か」
慶次は、がしがしと頭を抱えた。
「あー、なんてこったい。
まつ姉ちゃんに言われてんだ。もし会うことがあったら連れてきてくれって」
「やめときな。前がどうだかは知らねぇが、今はまともに取り合うようには見えねぇぜ」
「〜〜〜…うぅ…」
政宗の話を受けて、慶次は丸まった背中を更に丸めて縮まった。
伊達にやって来た光秀と青香。そして指定されたこの山―――月山。そこで現れた市。
色々とすれ違いが起き、溜まりに溜まった長い溜息を慶次が吐き出す。
「どうしたもんかねえ、」
「…」
そんな彼を眺めて口を閉ざしていた政宗が、
「一つ聞くぜ」
と発して正面の慶次の目を引き寄せた。
「アンタ、上杉から来たと言ったな」
「?そうだけど」
「来る途中、女子供を見なかったか」
急に引き締まった空気を察して、慶次は表情をきつくした。目は細くなっている。
「女子供―――」
呟いた慶次。答えを待つ真剣な政宗の顔に炎が揺らめく。外から入ってきた風がその明かりを強く寝かしつけた。
「―――…たぶんだが」
と、慶次が言葉を為す。再びゆらゆらと互いを仄かに映し出す灯火を受けながら、考え込むように下を向いたまま彼は続けた。
「吹雪が酷くてよく見えなかった…。そんな中に馬が二、三頭上っていくのが見えてさ。変な気はしたんだよ」
数人の足軽が馬を操るその後ろに、
『―――…!』
頭巾を被って辛そうな顔をした女性と一瞬だけ目が合ったんだ。
「小さい子供かな、腕に抱えてた。直ぐ吹雪で見えなくなっちまったが、あんたが探しているのはその人かい?」
その問いかけに即答するかわりに政宗が目を細めた。
「―――BINGOだ」
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