12

洞窟の中は広かった。人のいた気配は何もなく、寝れる場所は十分にある。



「着てろ。これから冷える」

「……」



ばさっと傍らに落ちた青の羽織。“竹に雀”の家紋を見て思う。



「……何故、」

「Ah?」



伊達政宗。若くして奥州を統べた男。恐らく己と大して歳は違わないのに、



「何故私を助けた?」



―――違いすぎる。

青琉は岩壁に寄りかかったまま俯いた。政宗は入口に前立てを置き、青琉を振り返りながら言う。



「だから前に言っ「違う」



何故か、この時は政宗の言葉が先を続ける事はなかった。今までと違って、何か冷静な否定の言葉のその先を知りたいと思ったからかもしれない。
さらにぎゅ、と体を縮こませた青琉は、



「違う」



と反芻した。

器の広さ。迷いのなさ。
―――強さ。私にはないものを、この男は手にしている。



『殺る理由がねぇ』
『此処を出るのが先だろうが』




だったら



「私等、…置いていけばいいだろう―――」



手負いの私等切り捨てて先に進めばいい。上に立つ者ならば、当たり前に取り得た賢い選択だ。私と貴様は仲間ではないのだから。
なのに、



『アンタ、何に追い詰められてる』

『何がアンタを縛ってる?』




その言葉を聞いて、あっという間に走馬灯のように流れてきた―――私を此処まで突き動かした過去。
それからは繋ぎ止められていた仮面がどんどん剥がれ落ちていった。
そして無様に、泣いていた。

一番避けなければならない状況を私は、抑えることが出来ずに見せて、しまったのだ。



「…」



…“違う”と思うのは、一刻も早く軍に戻らなければならない大将の立場がありながら己を巻き込んだ敵を気にかけるところ。
自分の事で頭が一杯な私とは“違う”。



「貴様の仲間はきっと、血眼でお前を探しているだろう」



結果的な共闘は、凡そ私の力がなくとも奴一人で始末をつけられたであろう事。
…何れにせよ私に手を差し伸べる理由にはならない。
この男は一人でも仲間と合流できる。それなのに、



(私と行動を共にしようとするのは…、なぜ―――)



しかし政宗が近付いてくるとその思考も終わる。驚いた青琉の真ん前で胡座を掻くと、政宗は目線を合わせた。



「Do you think so really?」

「な、…」



気が抜ける。

身構えていた青琉は言葉の術もないまま、そう発していた。腹立たしい筈なのに、先刻まで怒りが沸いてきていたのに、ぼんやりと硬直するしかない。

奴は次に笑うだろう。また鼻を鳴らして私を見下すのだろう。まだ弧が描かれていない口元も直ぐ三日月に近付くのだろう。
―――弱く、無防備な私を揶揄して。

そう思い青琉は一変、くっと眉根を寄せて政宗を見ながら、口を引き結ぶ。

しかし政宗の表情は変わるどころかさらに真剣さを増した。



「“本当にそう思ってんのか”って聞いてんだよ」



面食らって一瞬口ごもった。再び表れた狼狽の表情は、出してしまってから気付き意識的に無表情を装う。左の眉根は覚えず顰めたが、本人は気づかない。



「…私を人質にでもするつもりなら無駄だ。私ごときで揺るぐ軍ではない」



視線を逸らす。

これは本当の事だ、私は所詮駒なのだから。

だがそんな青琉の考えなど露知らず、政宗は目を丸くして。



「…what?」



とだけ返す。



「…」



意味は分からないが、その今までになく…まぁ間抜けな顔からして「は?」とでも言ったのだろう。
ふざけるな。こちらとて訳が分からない、貴様の聞き返す理由が。

ふつふつと熱し出す苛立ちはなんとかまだ留められるから冷静に、あくまで無関心に言葉を選んだ。



「私が負傷したならば貴様も難儀せず捕らえられよう。奥州への手土産の一つくらいにはな」

「…」

「だがそう易々と口を割るつもりはない」

「wait、wait。アンタ何処からそんな勘違いした」

「あぁ?」



…勘違い、だと?

少し眉を寄せて警戒はしているが、首を傾げる青琉に思わず苦笑した。
確かに連れて帰って手土産にするのは悪くない。別の意味で。しかし言った当の本人は、【何が】と言った感じで思い当たらないのか、難しい顔をして目を瞬かせている辺り気づいていないのだろう。



(but…今までの流れでそうとるとは)



自身の戦における利用価値を説く。兵としては申し分ねえ真面目さだと思った。
しかしまぁおそらくオレと近いコイツの齢からして、かなり心配になってくる。何が楽しくて生きてんだコイツ。



(―――まぁ、)



見てみてぇとも思わなくはないがな―――。

そんな場に不釣合な事さえ思い、政宗はふっと青琉の仏頂面をみて笑う。



「何が可笑しい」

「いや、裏の裏をかくのはいいが真面目過ぎも考えもんだと思ってな」

「あぁ?」



しかしまぁ今度は怒りに触れたのか、眉を寄せる青琉。怒りの境目が分からず正直困った政宗だが、その一言は言わないでおいた。



「お前、素直に考える事も覚えとけ。人の好意は黙って受けておくもんだぜ」

「敵の言葉に易々と乗るか。貴様こそ私を助けた事、後悔しても「ahー、okok」



最後のぞんざいさに、青琉が噛みつく言葉を発する前にだ。



「置いてけばいいって言った、そいつは本当かって聞いてるんだよ」

「!、…思っている」



突然話を戻され、面食らって返す青琉。

政宗が喉を鳴らして笑う。
ころころ変わる表情に【喜】が見える事はないが、装った無表情が崩れた瞬間のあの驚いた顔は嫌いじゃなかった。

一方の青琉は、無表情を作っては壊してくる政宗に腹が立ちながらもずるずると続けるより術がない。その度にただただ気に食わなくて政宗を睨み付けるという途方もないやりとりが続く。

政宗は軽く目を伏せ閉じると小さく笑った。



「トンだ嘘つき女だな。いや痩せ我慢野郎か」

「何だと!?」

「ほーら、またアツくなってるぜ?」

「っ!!…」



余裕めいた笑みで、挑発してくる奴は本当に性格が悪い。

両の手で外套を握り締め、眉をぴくぴくと動かし、青琉は口を閉ざしていた。唯一射殺すように吊り上げた目は政宗に向いている。



「目逸らしたろ。そりゃ、本心じゃねぇってこった」



本心じゃない。その言葉にぴくりと指が反応する。ふと奴もそれを見ていたのに気付いた。

私はいつの間に、此処まで分かりやすくなってしまったのか。
これでは認めてると自白しているものだ。

…違う。そんなわけ無いだろう。
私は敵だ。貴様を殺しに来た。なのに脚を負傷し、本来であれば敗者―――死んでいた、筈なんだ。
敗者にあるのは死、そうだろう?
だが私を殺しもしない貴様に、殺す意味が無いと言った貴様に私自ら終わろうと思ったのに。

置いていけばいいと私が思っていない?
ふざけるな。貴様が、貴様が私を生きながらえさせているのだろう。
貴様が此処に私を連れてきたのだろう。

一度解けた手が再び固く握られて、ぐしゃぐしゃに外套を掴む。自信のある真っ直ぐな独眼を刺すように見つめ返した。



「…そんなの貴様の思い込みだろう」

「どうかねぇ」



本当に憎い。この男を見ていると、私の覚悟も知らないでただ好き勝手に人をからかっているように思えてならない。
だがいざとなると私の反論は私情にまかせた駄々で、奴の言葉は筋が通っているとも、思ってしまう。



「貴…様…っ、
―――っ!!」



しかし忘れていた頃に痛みはやってくるものだから、時機が悪い。

興奮して脚に力が入ったのか、傷が疼き始め段々と痛みは強くなる。まるで【忘れるな】とでも突き付けるように。



「ッ…!!」

「だから言っただろうが、」



そう言うと、目の前の奴が懐から和紙を取り出し、床に置いた。何か包んでいるのか折り畳んである。



「…何の、真似だ…」

「塗り薬だ。今より痛みは引くだろうよ」

「私が使うと「使いたかったら使え」



政宗がそう青琉をすっぱりと遮った。しかも、



「どうせ世話焼きな腹心が、持っていけと聞かなかったから持ってたものだ。好きにしろ」



無理やりではない。渡しておいて選択の余地を私に残した。



「……」



どうしてか、とてもしてやられた気がする。かといって、返す言葉が見つからず。
そう、咄嗟に何も言い返せなくなった自分に勝手に敗北感を味わっていた。

立ち上がった政宗をこれまた眉をぴくぴくさせながら睨み、洞穴の入口に戻るのを見送る。気を緩めたらまた感情任せな口を開きそうで、何とか引き結んだままでいた。

…ああ何故そんなことを。私は本当に馬鹿げているのか。



「明けたら先ずは巡検だな。闇雲に進んでも埒があかねぇ」

「…」

「それまでに回復しろよ?歩ける位にはな」



骨折相手にそれはnonsenseか。

と言って政宗は笑った。混ざる異国の言葉は青琉には相変わらず意味不明だが、肩を竦めて言った声音に粗方想像はついた。
そして不意に思う。

…もし明朝、私が歩けなかったらこの男はどうするつもりなのだろうか。
また、…抱えるつもりなのだろうか。



(…それとも、)



立っていた政宗は腰を下ろし胡座を掻く。



「…」



…切り捨てるのだろうか。

後ろ姿から目をそらし、残った羽織を見つめた。何を…迷っている。何れにせよ私は、この男を始末する。それが使命。ならば、



(何も臆する事はない)



寝ずに見張っていればいい。己の命を守る為にも、奴に一矢報いる為にも。

―――そっと羽織を足にかけた。が、思いの外大きくて胸まで持ってくると見えたものに目を細める。

竹に雀。伊達の象徴。奴の背負うもの。大きく刺繍されたそれを見て、そして前にいる当人の背中を見て、また羽織の家紋を見下ろして―――くしゃりと握った。
歪んだ顔は影に隠れて、闇に紛れる。その顔を隠すように羽織を引っ張り上げて蹲った。



◇―◇―◇―◇



「―――…」



ぼんやり、する。

開けた視界。何も見えない。あれからどの位たったのか、分からない。
と思うや少し白けて、ほのかに輝く岩のお陰で近くは見えた。きらきらと鈍く遠くが光っている。それでようやく、洞穴の天井を見上げて反射する光で目が覚めたのだと分かった。



(いつの間に横になって…)



寝ていたのかと、額を腕で覆った。頭が重い。だがそんなこと理由にしている場合ではない。無用心にも程がある。これならいつ寝首を掻かれても文句は言えないだろう。

目を凝らして探した。奴は、一体どこだ。



『…まさか道連れとはな。やってくれんじゃねぇかアンタ』



まだ覚醒しない頭でぐるぐると考えていた。思い出すと止まらないのは悪い癖。
あの時だって、殺していれば負傷する事も抱えられる事もなかったのだ。

顔を反対側に向けると見えた後ろ姿。腕を組んで胡座のまま、寝ているのか分からないが奴は、伊達政宗はいた。とても静かで私が起きたのにも全く反応がない。



(私が歩けないと踏んで寝る事を選んだか)



青琉は側にある自分の刀に手を伸ばした。案の定、奴の羽織に隠れていて、あちらには見えない。



(今なら)



殺れる。

手は刀の鞘に近付いて



「………」



しかし届く前に動きを止める。政宗の動かぬ背中を警視していた青琉は静かに目を閉じた。



『そりゃ、本心じゃねぇってこった』



五月蠅い。

何故こんな時に思い出す。止めを刺す、絶好の機会だろう。
またとない好機かもしれないのに。

決めきれずにいた。また繰り返すのではないかと懸念する自分がいた。
この男を倒し得たかったものは、今実行すれば手に入るのかと。
迷う選択肢が新たに芽生えていたのだ。

青琉はゆっくりと目を開ける。
朝日が眩しい。私の行動に異議を申し立てるように輝きは強くなるばかりで

―――伸ばした手を刀から離した。



「おい、…朝だ」



その背を呼んだ。

…そうだ。そうだった。
私は騙し討ちをしたいんじゃない。私は奴に勝って
示さなければならないのだ。



「……」



…待った。おかしい。五つは数えた。
だが奴の反応はない。



「貴様」

「…」

「…独眼竜」



仕方なく呼んだふたつ名。流石に寝こけて目覚めていないなどはないだろう。なら奴の場合、ふざけている可能性もある。それなら突っかかってくると思ったが。



「…」



何も、ない。



「貴様!!いい加減―――」



羽織を持って肩を掴んだ時だった。ゆらりと傾いて、



「な…」



掴んで引いた勢いでどんと仰向けに倒れた独眼竜。しかし目は閉じていて、…ピクリともしない。



「おい、私を馬鹿にするのも大概に」



と言いかけた言葉は止まってしまう。

奴の脇腹から岩床に広がる血だまり。陽光で照らされて見えた灰色の鎧は、脇腹から背中にかけて削り取られたように亀裂が走り血が垂れていた。鎧に吸収されない赤がどんどん外へ流れて、大きくなる血の池が私の顔を映す。―――目を見開いて硬直した自分の表情を。

奴は良く見れば安らかな寝顔をしているが、その色は私が知る奴の肌じゃなかった。まるで魚の腹のような白さである。



「おい、独…眼竜」




呆然と呟いて揺さぶれば、血がぽたぽたと赤い湖を揺らす。見えた自分の顔は―――まるで絶望しているみたいに色を失っていて。



(絶、望…?)



私が…?この男が死にかけていると分かって?

ぐるぐるとまとまらない心が、言葉を、手を止める。どうしてこうなったのかは分からない。確かに奴は私にとって超えるべき敵だ。
だが考えてみれば奴である必要もなく、偶々奴が私の前に立ち塞がった、それだけなのだ。



(では私は何に、絶望している)



どくっと流れる血を見て我に返った。
少しずつ、でも止まらない血。
何故、何故―――。
混乱しているのに動けない体。
座り込んで床に手を付いていた青琉は自分の手に感じたぬめりに、流れてきた血に塗れた自分の手に、
頭は真っ白になった。



「独、眼竜…独眼竜―――ッ!!」

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