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…―――ブルルルル。

少し先でそう自馬が鼻を鳴らしたのが聞こえた。

どのぐらい駆けてきただろうか。

風が耳元で渦巻く。絶えず高低を響かせるそれに麻痺しそうになる。
外気に触れる肌は刺すような痛みを知らせてきて、思わず伏せる瞼を上げた。
一歩間違えれば見失う。―――そんな吹雪、灰色に白の斑が走る空の下。群れをなしていなければとうに日が暮れていただろう。

月山。
そこは奥州のなかでも凡そ極南にあたる地だった。南西の上杉と暗黙の境を作る山々。自然によって築かれた険しい勾配と、人の通った痕跡も残らないほど彼方こちらに生えた木々。とも思えば何もなく吹きさらしの地帯に晒される。その長居するには困難な地相は逃げ隠れするにも不向きとされ、余程でない限り人が立ち入らないことで有名だった。
雪の降るこの季節ではますます人を寄せ付けず、いつ誰が入山したかなど人目に触れぬ限り知る由もない。



『…良い夢は、見られましたか?』



目の当たりにするまで気付かなかったように。言われてやっと、ほんの一時の夢まぼろしだったのだとはっきり自覚したように。
―――長い夢に溺れていた。
刀を握る感覚も、人を斬る感覚も別物と思ったそれはただ。



「…」



久しかっただけだ。

≪…青琉≫

此処がずっと自分の生きていた世界。家族と共にあったあの頃や未来の世ではない。

≪…青琉≫

まだ終わっていないという認識が甘かっただけなのだ―――。



「青琉!!」

「!!」




足が止まる。前を見た。目の前の砂嵐のような白が波打ち、少し経つと…浮かび上がる様に独眼竜がいて、兜から漏れた髪を吹雪に靡かせている。



「………何だ。いてっ」



ぱちん、と額を指で弾かれ身を竦めた。



「なっ…!」

「お前またあーだこーだ考えてただろ」



額に手を当て睨んだ青琉は返ってきた答えに口籠り、目が泳ぐ。風はごうごうと鳴りやまず、苦手な沈黙を代わりに埋めているのが唯一の救いだ。だがその先で偶然見つけた片倉が早くしろと言いたげに眉根をぴくぴくさせて見てきている。

…遠い。

はっとして周りを見た。後ろにいた―――筈の兵達が減っていて、横に、前に気付けば多くいる。あーあ、という顔で良直や左馬助、文七郎が眺めてきている上に亀助や重蔵も乾いた笑いを浮かべて突っ立っていた。
今になって地に着く足から寒さが伝わってきて、首に巻いた布を掻い潜ってきた雪風が肌に刺さる。
目の前の独眼竜、遠くの片倉。察するに、思考に気を取られて歩みを遅くした私に気付いた奴が戻ったんだろう。

…やってしまった。

咄嗟につま先を脇に向け、斜め下に目を落とす。



「…大したことではない」



足を止めてすまない。

それだけ告げて、独眼竜の横をすり抜けた。
瞬間、ぐんと腕を引っ張られ、転びかけた自分と振り返った奴が―――近くなる。



「オレの目を見て言いな」

「―――…!」



背に回った腕、掴まれたままの腕。深い瞳が見えるほどに傍にある顔は、やけに真剣でその眼光に閉目出来なかった。
集まる視線。咄嗟に掴んでいたのか、奴の肩口にある己の手を見て気付く。



「―――ばっ…、やめろ!」



体勢を立て直し引っぺがす様に離れた。「おっと」と何ということもなく建て直しふっと笑う独眼竜。対して歯を噛み締める自分。
奴は腕組みをした後、肩を竦める。



「おいおい、お前のために言ってるんだぜ?」

「っ、もういい!」



投げやりに背けた顔そのままに、背を向け早歩きで先頭に急ぐ。この顔を見られないように戻ることしか浮かばなかった。
政宗は「やれやれ」と零して後を続く。小十郎もいつもの様にため息一つし、列は再び動き出す。

馬を降り、月山を登り始め数刻。両側を木々に囲われ真正面からの吹きさらしに見舞われながらも、着々と進んでいた。
凹んで足跡を残す雪は柔らかくも深く、滑らないように―――埋まらないように気を付けて登らなければならない。

(くそ…!何故ああも…!!)

急なのか。そして人目という言葉をまるで知らない。

前に向かう最中、外の気温など知らないようにまだ残る体の熱といっぱいいっぱいになった青琉の頭は思い出しては混乱していた。



『―――…!』

『いい夢見ろよ、青琉』




あの日、



『怪我はねぇか』



あの時から妙に独眼竜の距離が近い気はしていた。
奴の場合、普通だと一蹴するのだろうがこっちはそうはいかない。
…いざ思い出してみたらあの時の方が冷静で、胸の奥が熱くなっている今がとてもこそばゆくて。思考回路が滅茶苦茶だ。



「―――…」



すうっと熱が引いていく。

大したことはない、きっと。
言わなければいけないことは分かっている。
片倉に言った私の意志も変わらない。
例え牡丹とねねが、今行く先にいるとしても。…いやいるからこそ、



(これで最後にしなければならない)

「…」



小十郎が戻った青琉を見遣る。
刹那。ひと際強く風が吹き、空を仰いだ。天地の境なかった白が上から青に染まっていく。猛吹雪はそよ風となり、残滓をちらつかせた。



「漸く止んできたか―――」



と言いかけて、直ぐに口を引き結び足を止める。



「―――っっ」



急な拍動。体内から飛び出すようなそれが全身に伝わり、青琉が瞠目する。

―――青が見えたはずの雲間は淡紅色に染まり始めていた。雪原もその色を吸って桃色に変わっていく。
見晴らしのいいずっと離れた先には人の形があった。空と同じ色の刺繍を施した鎧、透けるような肌。
烏の濡れ羽色の長い髪が粉雪の傍で不規則に踊る。
誰もが目を引く容姿の彼女は憂いの帯びた黒い眼を細めて青琉を映すと、うっすらと微笑んで言った。



「見 つ け た」

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