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―――その少し前。
「はあ…っ…!はあっ…!」
青琉は走っていた。
此処よりさらに上にある本丸御殿―――政宗の寝所に向かって雪に取られる足をひたすら前へと進める。
全身が痛い。重い。
足を止めたらもう立ち上がれない。
目を閉じたらもう起き上がれない。
―――そんな気概で指を刀に絡み付け、両手で握り締めていた。
『なんだなんだこの霧』
先だって、片倉の屋敷を出て直ぐ。偶々見えた村側の下り坂で忍を倒すことになった。
いつもの様に荷を担いで屋敷に調達してくる途中だったのだろう。白くかかる霧に歩みを鈍くしながらも、此方に向かっている民人達に「来るな!」と叫ぶも遅く、自分を追い抜いた忍を―――刃が届く刹那の差で斬り伏せた。
腰を抜かして怯えていた者達は駆け付けた兵に預け、
「…」
今もまだ走り続けている。
伊達の兵は事態に気付き、既に彼方此方で動いているようだった。特に出くわした兵士は事の重大さを感じ取っていたらしい。付いてくると意気込んで後ろに控えていた。ただしまだまだ奴らの足では追い付くには時間がかかるだろう。
近付くにつれ濃くなる霧。ただでさえ雪で白い景色が隠れ、足元も何も見えなくなる。
行く先は何事もないような静けさで、ざくざくと雪を踏む自分の音だけが聞こえた。霧と同化してしんしんと降る雪に。
「―――、」
勘違いしそうになる。
ザシュッ!
―――どさっと倒れる骸。瞬時に足を止め、歯を食い縛って振り向き際に忍を殺していた。
「はっ…はっ…」
何処からともなく奴らは現れる。
少し前までの己も似たようなものだ。故に今では当たり前な戦での感覚と、刺客の時の―――直前まで気配を殺す動作。その刹那の薄い存在感に神経を研ぎ澄ませて始末するのは慣れたものだった。
…ただ、
「―――きゃあああああ!」
「!」
倒した忍を後にして、先に見える人影。本丸前の橋の前で女子が逃げ惑っていた。
「…ッやめろおおおぉ!!」
加速して一歩で飛び込んで殆ど通り過ぎる様に、一線に斬り上げる。
着地するとほぼ同時に忍が倒れて、頭を守るように身を竦めていた彼女が恐る恐る顔を上げた。
「大事ないか」
「…はい…っ」
泣きそうな彼女の手を引いて近くの屋敷に預ける。そうやって、何も知らず外にいた者達を道すがら助け、戦える者のいる屋敷に預けて進んだ。
幸い霧は道を反れるほど薄くなり、敵もいなくなる。
そしてまた独眼竜のところに向かう度に、忍が行く手を阻んでくるのだ。
「ど、…けぇえッ!!」
こうしていて分かった。
…民を護る、国を護る。【護る】とは、
なんと過酷なものなのだろうと。
「ひい…っ!お助け―――」
「…ッ!!」
今まで青香の事だけを一心に生きていた。
他の追随など知る由もなかったというのに、
『―――いいのか、本当にそれで』
独眼竜と出会い、
『この命、あなたに賭す事こそ本望にございます』
奴らの思いを知り、
『あんた…俺らを助けに―――』
護るための刀を取った。
「…―――もうすぐ兵士達がやってくる。此処を離れ、待っていろ」
本丸御殿の手前。門の側で倒した忍を背にして、震えていた村人にそう言って走り去る。
「…ッ」
何処だ。
「…ッッ、」
何処にいる。
―――霧は濃く、御殿内を満たしていた。各々の間から慌ただしく人が右往左往している。
殺気のようなものは感じずもよく見えず、まるで隠れ道だった。
(…独眼竜…ッ)
―――ただひたすらに。
(独眼竜…ッ!)
奥の寝所を目指して縁側を走り、
「独眼竜!!」
―――半端に開いていた戸を思いきり開け切って、中を見た。はっとして立ち止まる。
部屋の中には刀を持って黙っていた独眼竜。…独眼竜がいた。
「…青琉、か?」
ゆっくりと確かめるように振り向き、向く瞳。
キンと刀を鞘にしまうと歩き出し、
「…!―――」
直ぐ様胸に閉じ込められる。
―――目を瞬いた。
「怪我はねぇか」
瞬いた目を、止まった体を動かすことができず止まっていた思考。それは心なしか強く込められた手に、動き始めて目を伏せる。
そっと腕を掴んだ。
「…あぁ、」
肩口で顔を沈めて目を瞑る。寄せた眉を隠して噛み締めた言の葉は、胸の内にしまい込んだ。
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