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『生は死よりも遥かに重い』 予想外だった。それをこいつの口から聞くことになろうとは。
…ああ、だからだろう。
『!』
≪キインッ―――≫
あの一瞬、青琉の剣筋に鋭さが増して反応が遅れたのは。まるで氷のような閃きに、舐めていた己を見つけたのは。
◇―◇―◇―◇
―――ガンッ、ギンッと刀は互いの位置を変えながら激しくぶつかり合っては離れる。空(くう)を捻り、穿ち、また捩れては火花を撒いた。
小十郎が一分の隙に蹴りを仕掛けると、瞬時に避けて届く軌道に一閃を打ち込む。
しかしそれは、手を返した小十郎が防いで≪ぐるん≫と向きを変えられる。
「―――ッ…!!」
息もできず、目も離せない。歯を食い縛り、急に横に押し返された己の刃を凝視して、それを柔軟に力の軌道に乗せて押し通そうとしてくる小十郎の刀にありったけの力を込めて堪えた。
気を抜けば刀は弾き飛ばされる。その時点で終わりだと、分かっている。
足の動き、体の反り。一つ一つに、考えるよりも感覚で攻めと守りを繰り返す。
元いたところは直ぐ刀が走り、それをしゃがんで真上に見る自分。浮いた髪が少し斬れる―――その一瞬が遅く見えたと思うと、急に目の前に刃はあって反射で防ぐ。
刹那で息を吸い、数歩大きく後退してまたガンッ!と小十郎の懐に飛び込んだ。
「―――…。ほお、」
―――今までにない長い沈黙。
刃が歯軋りし揺れては大きくぶれて保っている均衡の最中、小十郎が呟いた。青琉は肩で呼吸をし、噛み締めた歯を剥き出しにして睨み続ける。
「よく持ちこたえるじゃねえか」
厳しい顔をしている青琉がはっとして、再び始まる剣戟。
「…っ!、くッ、―――っっ!!」
≪ガンッ!≫≪ギィンッ!≫と受け止めては弾き、
「ぐっ!!」
ざざーッ!!
雪の上を滑って退かされる己の足。これでは、
ガンッ!!
(押される―――ッ!)
小十郎の速さと威力は緩むことなく、体勢を立て直す前に斬りかかって来られる。
水面に浮かぶ月の揺らめきのように見えて、俊足で振りかかってくる剣技。それは無駄が一切なく、真っ直ぐで強く、反撃どころか攻めの一手に乗じることすらできない。
―――ズキン
「…っ!―――、」
それに、だ。今更になって、考えてもいなかった先刻の峰打ちが痛んでいた。
いつもならもう治っている筈が、
(遅い…っ)
だがその理由を探す余地はない。
そんなことをしたら即足元を掬われるだろう。
感覚は青香に刺された時と似ているが、あの時以上に全身の神経を研ぎ澄ませ動いている青琉にはただただ過酷だった。
この鈍痛が、速く、そして強く力を籠めようとする度。呼吸を乱す。
「…っ、はぁッ…、くっ…!」
(考えろ)
「ぐッ…!」
考えろ
≪ガキン!!≫
―――刀が交差し拮抗する。風圧と雪で、体重をかける足が、汗滲む手が滑りそうになる。
ふわっと上がった髪が再び垂れる小十郎は汗ひとつ見せない涼しい顔で、対して青琉の息は上がるばかりだった。
小十郎が目を細め、
「…どうやら俺の、」
―――見込み違いだったようだな―――と切れた言葉が青琉の目を大きくしていく。
「…!!」
その時だった。今までになく強い力で薙ぎ払われ、背が反れて崩れる間に。
キインッ!―――…
甲高く音が響く。
―――見開いて揺れる目。振り上げたまま唖然と動けなくなる体。風を切って回転しながら小さくなっていく、己の刀が後ろの木に刺さった。
カチャリと目と鼻の先に片倉の刀が止まる。
「―――諦めろ」
ぐっと歯が、口が震えて。
―――唇を、噛んだ。
(…私は)
此処まで、なのか。
―――ドッと付く膝。
超えられないのか。
―――動かない小十郎の眼差し。
倒れそうな体を両腕で支えて、顔を伏せる。
白雪の上で赤く霜焼けしている手は、がりっと雪を握った。
「―――……未だ、だ」
小十郎は眉間を深くすると直ぐに瞠目した。
≪―――ピキッ≫
動かない己の脚。自分の両足が凍る感覚。
「ちッ…!」
≪がしゃん!≫とそれは一瞬で砕けて霧散する。目を離すと既に青琉は間合いから姿を消していた。退いて高く―――突き刺さった刀の横、木の表面に忍のように着地している。
―――そして刀を抜いた。
「フ…」
思わず笑いが漏れる。
「―――そう、こねえとなあぁッッ!!」
見上げて刀を後ろに引き、突き出しと共に雷撃を飛ばす。目がけて飛んでくるそれに向かい、木を蹴りつけて。
「うおおおおおおおおッッ!!」
飛び込む先で目の前にある雷の塊を斬った。突っ切る手前、雷は一瞬氷漬けになり霧散する。
小十郎は青琉をじっと見上げて、下に構えた刀を勢いよく斬り上げた。
「―――!」
軌道は間違っていない、筈だった。だが急に目の前から青琉の姿はなくなる。
吹き荒れている雪と共に、まるで霧のように。
(…力で勝てぬというのなら、)
速さで抜くしかない。
「お前まさか―――!」
刃が届かぬというのなら、さらに一歩踏み込むしかない。
―――小十郎が霧のような雪を斬り裂くと、うっすらとした人影が大きく唐突に足元に突っ込んでくる。
間合いが、
(…―――近いッ!)
「片倉あああああああッッ!!!」
地をどんと踏み締め、両手に強く握り締めて。氷雪を纏い、下から突き出した青琉のひと突きは小十郎の刀を吹き飛ばした。
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