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―――ズッ。
障子を少し開けて中を見る。しかし無表情な目は一度、大きくなって戸を開け切った。
(―――いな、い)
やってきた己の部屋。
あれから気がかりだった牡丹とねねには、悪いことをしたと一言告げねばと思って一番に来るのは此処と決めていた。
何より馴染みある此処で一度頭を整理したいと思ったのだ。
しかし二つ敷かれた布団の一方に寝ている筈の二人の姿はない。
(厠、か…?)
いつもなら自分がもう一方に寝て、彼女達はもう片方に一緒に寝ている。
まだ朝も早い。
あまり途中で起きる様子は今までなかったが、布団から出たような跡もありその線を疑った。
そうすれば体は自然と探しに出向く。昨夜はあれだけ騒ぎになってしまったのだ。
不測の事とはいえ、その詫びをしなければ気が収まらない。
「……」
しかしいない。―――どこにもいない。
「…………、」
目を落として眉を顰める。
駄目だ。一旦落ち着け。そう心に念じてとにかく思いつくままに足を速めた。
茶の間、水屋、表口、勝手口、土間―――。先々で早くも支度をしている女中に問うも、めぼしい話は当たらない。
(一体何処に、)
いつの間にか頭の中は彼女達の安否で一杯になっていた。
懐疑。不安。
他には変わりない光景、今でこそ日常となったものだからこそ一層増していく。
再び踵を返し、次へつま先を向けた。しかしすぐ体を止める。
―――顔を上げた。見えるのは此処より少し高くに建っている本丸。漸く朝日に象られ始めた城の方向だ。
「…っ」
無意識だった。今じゃない。まだ、そうと決まったわけじゃない。
―――まだ、
(大事にするには早いと、…分かっている―――)
膨らむ焦燥。揺らぐ視線。地に彷徨っていたそれを吹っ切る様に、城に背を向け、真っすぐ伸びた縁側を足早に駆け出す。
「はっ…はっ…」
息が白む。拍数が上がっていく。
多くの座敷を通り過ぎ、外を抜けて―――。
「お前達!」
勢いよく障子を開けた。
「おお隊長…!斯様に早う、もう御身体は大事ございませぬのか?」
「ふあ…え…?隊長…?」
足着く場もないほど密集してごちゃごちゃに寝ている其処は、兵達が寝泊まりしている離れだった。
その中でたった一人、既に着替え終えている重蔵が顔を明るくして答えたところで、聞こえたのか―――もぞりと動いて眠そうな亀助もこちらを見る。
すると騒ぎに気付いた他の者達も「隊長!」「もう起きてよろしいので…?」と、次々に起きて顔を向けてきて。
予想外の反応に、覚えた気恥ずかしさを一瞬で押し隠し全員見渡して頷いた。
「牡丹とねねを見なかったか」
「え」
「昨夜見たきり、お見掛けしておりませんが」
間が抜けた亀助に対し、真剣な眼差しで返してくる重蔵。
急に状況が現実みを帯び、青琉の表情は震えて歪んだ。
「…っっ、」
嫌な予感がする。
落ちた視線。刹那はっとした。
ない。
―――あの首飾りがない。
「隊長?―――ぉわっ!」
胸元に手を添えて硬直したと思ったら、即座に懐を探して青琉が走り出す。あっという間に縁側を遠のいていった。
「ま、待って下さいよー!!」
…嫌な予感がした。
『それなあに?お姉ちゃん』
いつかの会話。いつかの湯浴み前の何気ない言葉。
いつもは着物の中に入れているから、首から何か下がっているのを見つけた幼子の、ごく自然な疑問だったのだろう。
首の後ろに手を回し、ひっかけを外しながら
『…あぁ。これは―――大切なお守りだ』
そう告げて着物の中に置く―――。
―――青琉の足はある場所で止まった。
「急に…!どうしたっていうんです…っ」
息絶え絶えに追いついた亀助達を他所に、
(私は昨日)
『お姉ちゃん、はやく〜!』
(此処に―――、)
思い出す。あの時の事を考える。
いつも通り縁側の端に着物を畳んで置いた。そしてその中に入れていた―――筈、だ。
「おい」
目を丸くして顔を向ける。
人の気配。ザッザッと重みのある足取りが耳に入った。
その声は思いがけないものだった。こんな早くから聞いたことはなかったが、そうだ。
この屋敷の主は奴なのだ。
縁側の向こうから戦装束を身に纏っているそいつはやってくる。
「お前ら、朝っぱらから何してやがる」
「竜の右目!」
目を瞬く亀助。青琉を正面に止まった小十郎は、目を顰めた。
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